同胞の時
ミツコが玄関のドアを開けると、そこに一人の婦警が立っていた。彼女が挨拶をする。
「こんにちは。大変な時に申し訳ありませんが、少し事情を聞かせていただきたく……」
「失礼ですが、あなたは?」
婦警が自己紹介をした。
「はい。ワタシは城南署特別捜査課の氷川シノブ巡査です。誘拐事件の事はニュースで拝見しましたが……なにしろワタシは魔法少女による犯罪の専門家です!鉄の船に乗ったつもりでお任せください!」
「はあ、どうも……」
その船、沈んだりしないかしら?そんな事を思いながら、ミツコは氷川と名乗る婦警を自室に招いて、カエデの事を根掘り葉掘り聞くその婦警に架空のストーリーを話すことになった。トコヤミサイレンスではなかった事に安堵する。が、ここでハッとミツコが気づいた。
(まさか、この婦警はずっと私と一緒にいるつもりなの……!?)
それは困る。アカネの夢に干渉するどころか、影武者を用意することもままならないではないか。アケボノオーシャンがカエデに住所を言わせた理由がこれなのだろうか。
(……隙を見て殺すしかないわね)
ミツコは、のんきそうに微笑するが出された茶菓を決して口にしない婦警を見てそう考えた。
婦警の胸元から携帯電話の着信音が響く。
「失礼、きっと署からだと思います……もしもし!」
婦警は携帯を耳に当てながら、老人ホームの外へ退出した。
たしかに電話は城南署からであった。しかし、電話の主は上司などではない。周りに会話を聞かれていないか気をつけながら、村雨ツグミが署内の公衆電話を握りしめる。
「サナエちゃん、そっちは大丈夫?」
「はい、大丈夫です。むこうはワタシが城南署の氷川さんだと信じていますよ」
壁に耳あり障子に目あり、と言う。氷川シノブの姿に『変身』して恵に潜入したサナエは、どこからか蜂怪人が盗み聞きしているのではないか?と警戒しながら答えた。サナエがツグミに尋ねる。
「本物の氷川さんは足止めできそうですか?」
「それなら大丈夫」
ツグミが請け負う。
「昨夜、サクラちゃんの家でトコヤミサイレンスが戦うところを見たって話をしたら、すごく食いついてくれたよ」
ツグミが特別捜査課オフィスの方へ視線を送ると、本物の氷川が今か今かとばかりにツグミの電話が終わるのを待っていた。トコヤミサイレンスの正体はツグミなので、これも一種の自作自演である。もっとも、氷川の正体はタソガレバウンサーで、しかもツグミの正体を知っている。全てを承知で氷川はツグミに付き合っていた。
(何がしたいのかわかりませんが、好きにさせた方が面白そうですからねぇ)
そう考える氷川は、自分の欲望に正直なのである。トコヤミサイレンス本人からトコヤミサイレンスの戦いについて聞くことは、北島カエデの誘拐犯を捕まえるよりずっと氷川にとって刺激的な体験だった。
だが、もちろん氷川のような反応の方が稀だ。
「警部補の田中という人は、たくさんの警察官を引き連れてテレビ局の方に急いで行っちゃったよ。アケボノオーシャンを捕まえるんだって」
「はい?」
「なんでも、魔法少女もありえないし、その偽物なんてありえない。全てはアケボノオーシャンを名乗る不審者の自作自演だー、なんて」
「馬鹿が一周回って真実に到達しちゃったわけですねぇ。それで、兄さんは?」
サナエの兄、中村ジュウタロウも特別捜査課の刑事だ。
「わからない。顔を見ていないの。自転車は置いてあったけれど、他の刑事さんとパトカーに乗った可能性もあるし……」
「そうですか。まあ、仮にこっちで鉢合わせになっても兄さん相手ならなんとか誤魔化せますよ」
「サナエちゃん、まさかメグミノアーンバルを殺したりなんかしていないよね?」
ツグミが心配そうに尋ねた。もしも彼女を殺害することだけが目的ならば、ツグミ一人で恵を襲撃しても事足りる。それより、サナエに任せたい仕事があったのだ。
「大丈夫ですよ、任せてください。必ずや、パチ子さんとカエデさんのウイルスを無効化する方法を突き止めてみせますから」
それこそサナエがここに来た理由だ。当然ながら、パチ子とカエデはそんな秘密をアーンバルから明かされてはいない。そもそも、彼女たちがどこでどう造られたかもわからないのだ。だが、それは実際に恵に足を踏み入れたサナエからしても見当のつかない話である。
「しかし、さっぱりわかりませんね。北島ミツコの自室にも入ってみましたが、普通の部屋ですよ。どこかに秘密の階段でもあって、地下に悪魔製造の秘密プラントでもあるのでしょうか……?」
「たいへんかもしれないけれど、頑張ってね。こっちはプランBを進めるから」
ツグミが城南署を訪れたのも、ただ氷川を足止めするためだけではない。受話器を戻したツグミは、まさに手ぐすねを引いて待っている氷川の元へ戻った。
「お屋敷に電話しておきました。お昼から私がしばらく帰らなくても大丈夫だそうです」
ツグミが電話をかけたのはそういう設定だ。
「じゃあ、私とずっと二人っきりですね!」
「いや……それはどうでしょうか……?」
何やら身の毛のよだつものを感じたツグミは、曖昧にうなずきながら特別捜査課のオフィスに入った。
氷川になりすますサナエもまた、自分の携帯電話を切った。その瞬間、首筋にカン!という金属同士がぶつかり合った音が響く。
「えっ……!?」
サナエの首に何かがぶつかったらしい。唖然とした表情で足元に落ちている毒針を拾ったサナエは、自分とおなじような表情でこちらを見つめる北島ミツコと目があった。距離は3メートル。ミツコが玄関の影から氷川を暗殺しようとして放った毒針が、弾き返されるのは全くの想定外だ。だが、それは暗殺をしかけられたサナエにとっても同様である。
(毒針が効かない!?なぜなの!?)
ミツコは氷川に背を向けて老人ホームの中へ逃げようとする。そんな彼女の首に分銅の付いた鎖が絡みついた。
「うっ!?」
「まさか、こんな形でワタシが本物の警察官ではないとバレるとは思いませんでしたよ!でも、あなたも迂闊です!」
サナエは鎖鎌の鎖をグイグイと引っ張る。実は強化服を着た状態で『変身』していたスパーダのパワーに、ミツコが抗う術は無かった。サナエは引き寄せたミツコの首に、チョークスリーパーの形で腕を巻き付ける。
「…………」
「さあ、どうです!アカネさんを……パチ子さんとカエデさんを、あなたの呪いから解放しなさい!さもないと、このまま首をへし折ってしまいますよ!」
「ふふふっ」
「何がおかしいんですか!?」
「見て、ほら」
ミツコが顎で指す方向を見ると、窓越しにホームの老人たちが二人の様子を心配そうに見ていた。当然だが、何も知らない彼らはミツコの味方である。
「ど、どうなっとるんじゃ一体!?」
「警察を呼ぶべきか」
「でも、ミツコママの首を締めているあの婦警も警察じゃろう」
サナエは気まずい思いをしながらも強く出る。
「本物の氷川さんに迷惑がかかるから、ワタシがあなたを殺さないとでも言いたいのですか!?」
「そうね……でも、それだけじゃないわ」
「ハッ!?」
心配そうにしている老人たちの後ろで、彼らの家族に擬態した蜂怪人たちが、徐々に本性を現しつつあった。口から昆虫のように横向きに開く顎が飛び出し、今にも老人たちに襲い掛かりそうな姿勢をとる。
「あの老人たちが人質ということですか!」
「それだけじゃないわ」
ミツコが妖しい手つきでサナエの腕をなでる。ゴツゴツとした強化服の装甲を指で確かめたミツコが核心をついた。
「強化服を身にまとった上でのこの完璧な変身……あなた、中村サナエね?」
「…………」
返事は無い。だが、首に巻き付けられたサナエの腕から伝わる動揺のおかげで、ミツコにはそれ以上の詮索が必要ではなくなった。
「私は城南署にも子どもたちを隠してあるわ。あなたの兄、中村ジュウタロウの事が気にならない?」
それもまた脅迫だ。城南署にいる蜂怪人がジュウタロウを殺すと言いたいのだろう。
「じょ、城南署には今、トコヤミサイレンスがいます!」
「強がりを……トコヤミサイレンスは殺し屋。誰かを守る能力には長けていないわ」
「くっ……!」
サナエはゆっくりと、自分の腕の中からミツコを開放した。ミツコは悠々とサナエに振り返る。
「それに、あなたが私に攻撃できない理由がもう一つ。あなたと私は、同類なのよ。いつか会えると思っていた本当の仲間……ずっとあなたの事を調べていたけれど、やっと会えて嬉しいわ」
ミツコはサナエの手を取り、自分の乳房に押し付けた。サナエがその手を振りほどく。
「ワタシにそんな趣味はありませんよ!」
「そうかしら?よく見て……匂いを嗅いで……五感で確かめてぇん……」
猫なで声を出すミツコに閉口しながらも、サナエは徐々にミツコの正体に気づきつつあった。
「まさか、あなたは悪魔人間……!」
先達から魔法を学ぶ閃光少女でも、悪魔と契約して力を得る魔女でもない、第三の魔法少女。悪魔と融合した人間。サナエとミツコの正体はそれであった。ミツコは返事の代わりにサナエを手招きする。
「ついて来て、サナエさん。あなたが見たがっていたものを見せてあげるわ」
「……まさか、あなたの裸とかじゃあないでしょうね?」
ミツコは不適に微笑みながら口にした。
「それ以上のモノよ」