トリガーを引いた時
「おギンちゃん!もっとトばして!」
「わかりました!」
「わっ!?おギンちゃん、トばし過ぎないで!」
「どっちですか!?」
バスを運転する女がちらちらとバックミラーを確認する。直線勝負ではレーシングカーでさえバイクには分が悪いのだ。振り落とされないように必死にしがみつくオトハをタンデムシートに乗せた状態でさえ、サナエの操るスーパーバイクは徐々にバスに迫ってきていた。
「ところで、オトハさん!ワタシ、そろそろ『大変身』をしたいのですが……」
「そうだね」
そう言うとオトハの右手に青い宝石の指輪が出現する。
「私も変身するよ」
「……」
「……」
「オトハさん、すみませんが一度バイクから降りていただけませんか?」
「ええーっ!?」
サナエの言う『大変身』とは、スーパーバイク、マサムネリベリオンの外装を強化服として身にまとうことである。当然、オトハの体がタンデムシート上にあると邪魔になった。
「拙者に死ねと申すのか!?」
バイクはゆうに時速200キロを超えている。飛び降りるのは自殺行為だ。
「オトハさん!自分の能力を忘れたのですか!?あなたなら自分の結界に乗って自由に空を飛べるでしょう!」
「結界だけならともかく、私を乗せた状態でこんなに速く飛べないよ~!」
爆走するバスの中では、ぼーっとしていたカエデがハッと我に返った。
「な、なにごとですか!?一体どういう……!?」
「大丈夫よ……」
ぼーっとしたままのアカネがカエデの頭を優しく抱える。
「モミジは……アタシが守るから……」
妹と混同され、カッと頭に血がのぼったカエデがその腕を振り払った。
「なにをたわけたことを言っているのですか!!アタシは……!!」
運転手がスピーカーのダイヤルをひねる。車内を満たす笛の音が大きくなると、カエデの態度が豹変する。
「いいえ……アタシこそ、お姉さんを守りますから……」
バスの運転手がため息をついた。
(やれやれ……まったくカエデったら……)
可能であれば、後ろからついてくる二人をまいてしまいたい。そう考える運転手であったが、このバスの装備では難しいだろうなと思った。目くらましの煙幕がある。だが、それで一時的に視界を塞いだところで、ここは直線道路なのだ。逃げるための助けにはならないだろう。だが、バスの前方にある物を見つけた運転手はニヤリと笑った。
「ん?なんだ?」
そう思わずつぶやいたのは、トレーラーに丸太を満載にして走る大型トラックのドライバーだ。追い越し車線から勢いよくトラックの前方に出たマイクロバスが、ブレーキを踏んで急にノロノロ運転をし始めたからである。
「おいおい……なんだよ……?」
トラックのドライバーは舌打ちをしながら、右ウインカーをつける。追い越し車線へと移ろうとして右にハンドルを切った瞬間、ドライバーの視界が奪われた。
「うわっ!?」
バスの後ろから煙幕がまき散らされたのだ。ドライバーが乗るトラクターヘッドが、そのまま右側面の防音壁へと突き刺さる。そして、丸太を満載したトレーラー部はその重さによる慣性によって、後輪をスリップさせながら左側面の防音壁へと叩きつけられた。荷を固定する金具が外れ、丸太がゴロゴロと道路上に転がる。
「うわーっ!?」
たまらないのは後続のドライバーたちだ。黒い煙幕で視界を奪われた彼らは、丸太か、さもなければトラクターヘッドに次々と衝突した。
「なんてことを……!?」
と、その光景を見て口にしたのはオトハだ。当然ながら、このままバイクで進めば事故に巻き込まれることになる。サナエは、オトハに改めて頼んだ。
「オトハさん……ワタシと、リベリオンを信じてくれますか!?」
「……わかった!やっちゃってよ!スイギンスパーダ!」
バイクのタンデムシートからふわりとオトハの体が浮く。サナエはクラッチの上についたレバーを親指で押し、マサムネリベリオンに叫んだ。
「大変身!!」
その直後、黒い煙幕が二人の少女の姿を完全に隠した。
バスを運転する女性がバックミラーを見る。
(やったかしら……!?)
バスの後方では、黒い煙幕がただよい、それと同じくらい黒い煙を、トラックに追突した車たちが上げている。通れる道が無ければもう追ってはこられないだろう。女がそう思ったのは束の間のことだった。
「えっ……?何?エンジンの音が……!?」
黒い煙を突き破るようにしてマサムネリベリオンが姿を現した。その背に、赤と銀色に塗り分けられた、強化服姿の中村サナエ、スイギンスパーダを乗せて。
バスの運転手が驚く。
「あのバイク、壁を走っているわ!?」
スーパーバイク、マサムネリベリオンの能力は重力を無視して走ることだ。まるで重力が直角へ曲がったように、リベリオンのタイヤはしっかりと防音壁に接地していた。
しかも、スイギンスパーダは一人では無い。アケボノオーシャンも一緒だ。
「うわーっ!!うわーっ!!」
オーシャンの両足にはそれぞれ細長い結界が展開され、さながら水上スキーのように、オーシャンはリベリオンのテールをぎゅっと掴んで耐えていた。手を離すとそのまま吹き飛ばされてしまうので、オーシャンは足元から火花を散らしながら、必死にバランスをとる。
「道路に戻りますよ!振り落とされないでくださいね!」
「ひーっ!!」
リベリオンがドスンと音を立てて道路に着地し、さらに加速していく。文字通り振り回されながらも、オトハは決死の路上スキーを続けた。
バスの運転手がつぶやく。
「どうやら……計画を変更する必要がありそうね……」
バスを追いかけていたサナエたちは、バスが急に減速したので自分たちも速度をゆるめた。どころか、やがてバスが路肩に停車する。
「どうしたんでしょうか、オーシャンさん?」
「……やる気なんじゃない?気をつけて。用心しながら近づこう」
バスの運転席から女が立ち上がった。帽子を脱ぎ、髪を掻き上げた彼女こそが、本当の北島ミツコ、またの名をメグミノアーンバルである。
アーンバルは何かを持ってカエデに近づいた。
「あなたの力を借りる時がきたわ」
アーンバルは、そう言ってカエデの耳にヘッドホンを装着する。そこからは、先ほどから車内に流れている笛の音色と同じものが流れていた。
「マ……マ…………?」
「行きなさい。あなたのお姉さんを守るために、敵と戦うのよ」
そう言うとアーンバルは、カエデの右手中指に指輪をはめた。魔法少女の指輪だ。赤色と青色が溶け合ったような宝石がその指輪で輝いた時、カエデの目から光が消えた。
バイクから降り、バスに歩いて近づいていたスイギンスパーダとアケボノオーシャンの足が止まった。誰かがバスから降りてきたからだ。スパーダが首をかしげる。
「グレンバーンさん?」
たしかに、その魔法少女が着ているドレスはグレンバーンのそれに似ていた。だが、すぐさまオーシャンが否定する。
「ちがう!その子、グレンバーンじゃない!」
「ということは……!」
「きっと私たちの偽物と同じように……人造魔法少女だ!」
変身したカエデが二人の前で格闘の構えをとる。右半身が赤色で、左半身が青色のドレスを着用したその魔法少女は、アーンバルからは単にナンバー822と呼ばれていた。
バスの中にはアーンバルと、ぼんやりとしたアカネの二人が残されている。アーンバルはアカネに語りかけた。
「できればあなたの体も確保しておきたかったけれど、仕方がないわね。その魂だけをもらっていくわ」
「……師匠?」
「師匠?ふふふ、寝ぼけているのね。でも、大丈夫よ。あなたはちゃんと、私が安らかにしてあげるから」
アーンバルは顔をそっとアカネに近づける。
「あなたにも……恵みがありますように」
アーンバルに唇を奪われたアカネは、夢の世界へと意識が堕ちていった。