朝チュンの時
心ここにあらずなサクラをなんとか今朝もアイドル稼業に送り出したツグミは、すぐに電話をかけた。昨夜の出来事を和泉オトハに伝えるためだ。
「実はカクカクシカジカで……」
「マルマルウシウシと……」
テッケンサイクロンの勘違いにはオトハもさすがに笑ってしまったが、パチ子の心情を思うと笑ってばかりもいられない。
「それで、パチ子ちゃんは?」
「まだ寝てる」
「余命10日を宣告されたわりにはメンタルが強いね」
「疲れているんだよ。今朝はゆっくりさせてあげようと思う。ねえ、オトハちゃん。今日、こっちに遊びにこない?」
「うん?」
オトハは言葉に詰まる。
「ほら、前に持ってきてくれたカセットのゲーム。また3人で遊ぼうよ。パチ子ちゃんも、それで気が紛れるかもしれないし」
「ごめん、ツグミセンパイ。今日はちょっと無理かも……」
「そう……ううん、謝ることなんてないよ。また何かあったら連絡するから」
ツグミからの通話が切れた後、オトハはしばらく携帯電話を眺めながら考え事をしていた。隣にいたサナエがオトハに尋ねる。
「誰からの電話です?」
「ツグミちゃんからだよ。メグミノアーンバルという魔法少女が黒幕で、昨日の夜パチ子ちゃんを消そうとしたって」
「なんと!それはパチ子さんも可哀想ですねぇ……でも!それならこちらに協力をしてくれるのでは!?」
「私もそう思う。できればすぐにでも話を聞きたいけれど……」
オトハはコンクリート塀の影から、アカネの住んでいるアパートを見上げた。
「昨日からアッコちゃんの様子がおかしかった。ただの風邪かもしれないけれど……もしも私たちが助けたあの人質の少女が、メグミノアーンバルが造った人造悪魔だとしたら……彼女自身も知らない、何かの罠が仕組まれているとしたら……」
「ど、どうなるんですか……!?」
オトハは首を横に振った。
「わからない。だけど、もしも対応を誤ったら、危険が危ないかもしれないよ」
サナエもまたオトハのそばに寄り、コンクリート塀の陰から同じようにアパートを見上げた。魔法少女探偵である中村サナエがオトハにここへ呼び出されたのは、二人でアカネのアルバイトについて探るためだ。その過程で、おそらく、例の少女に出会うだろう、と。
ベランダでスズメがチュンチュンと鳴く声を聞いて、北島カエデがベッドから身を起こした。しばし呆然としていたが、昨夜からの事を思い出し、赤面しながら身悶えする。
(と、泊まっちゃった……!!アカネさんの部屋に……!!)
カエデが寝ていたのはアカネのベッドである。昨日の夕方、引きずり込まれるようにアカネの部屋に入ったカエデは、強迫症のようになっていたアカネを一晩中慰めるハメになった。といって、いかがわしい事をしたわけではない。口づけさえしていないのだ。アカネから「ずっと一緒にいてくれるわよね?」と言われたカエデは、ただその通りにしただけである。カエデを自分のベッドに寝かせたアカネの方はといえば、ソファーで夜を過ごした。二人とも体が大きすぎて、同衾はできないからである。
カエデが視線をソファーに移すと、そこにいたアカネが消えていた。そのかわりに、隣の部屋からウインナーの焼ける香ばしい香りがただよってくる。
「おはよう」
カエデの顔を見たアカネがそう挨拶した。情緒不安定だった昨夜と違い、今朝のアカネは、まるで憑き物でも落ちたかのように晴れ晴れとした笑顔をカエデに向けている。
「冷蔵庫の中身……全然少ないわね。今日、買い足しておかないと……」
「あの……アカネさん?」
カエデがアカネの言葉に違和感をおぼえて尋ねる。
「なんだか、アタシがずっと一緒にいるのが当たり前のように言いませんでしたか?」
「?」
アカネが首をかしげる。アカネは、むしろなぜそんな質問をするのかわからないとばかりに肩をすくめた。
(もしかして、アタシを妹のモミジさんと錯覚しているのでは……?)
そんな不愉快な想像がカエデの脳裏に浮かんだ時、アカネが二人分の朝食を持ちながら、カエデに隣の部屋へ行くよう、うながした。
「ほら、早く食べちゃいましょ?恵の仕事に遅刻しちゃうわよ」
(あ、なんだ。アタシが恵のカエデだって、わかっているんですね)
カエデは不快な想像から解放され、アカネと一緒にささやかな朝食を楽しんだ。
それから二人は一緒にアパートの外へ出た。もちろん、老人ホーム恵へ行くためである。なのに、バス停で立ち止まるアカネを見て、カエデが不思議そうに尋ねる。
「どうしたんですか?」
「どうしたって?」
「なぜバス停で止まったのかと」
「あら?バス停で待つのはバスに乗るために決まってるじゃない」
そんな会話をしていると、狙ったようなタイミングで一台のマイクロバスがバス停に横づけした。電動ドアが開くと、アカネは迷うことなく車内に乗り込んでいく。
「えっ?ちょっと、なんですかこのバスは……?」
カエデからは、どうみてもバス会社の運営するバスには見えなかった。他に乗客が一人もいないのも、怪しい。だが、女性の運転手が手元のダイヤルを操作し、スピーカーから笛の音色が聞こえてくると、カエデの態度が一変した。
「……ああ、そうだ。このバスに乗らなければいけないのでしたね」
「ほら、こっちに座りなさいよ」
先に乗り込んでいたアカネは、最前列の席に座り、隣の席をポンポンと叩く。カエデは大人しく、その席に腰をかけた。
「それでは出発します」
運転手が事務的にそうアナウンスすると、バスはゆっくりとバス停を後にした。
アカネとカエデはボーッとした表情でバスの座席に揺られている。
「…………ん?」
バックミラーを見た運転手が怪訝な顔をした。走行するバスの後ろを、一台のバイクがつかず離れず、ついてくるからだ。右半分が銀色に、そして左半分が赤色にカラーリングされた大型のスポーツバイクには、二人の少女が乗っている。運転しているのは、ライダースーツを着て、ヘルメットの端から銀色の髪がはみ出している中村サナエだ。同じくヘルメットで顔を隠し、後ろの席にまたがっている和泉オトハがサナエに声をかける。
「やっぱり変だよ。あのバス、会社の名前もどこにも書いてない」
「人質になっていた例のあの子も一緒でしたね」
サナエが相槌を打つ。
「とにかく、正体を確かめましょう!」
バスは進路を変え、高速道路に入る。ぐるぐると回る道を登ったバスは、本線に合流した途端、急加速をした。
「あっ!?」
小さくなるバスを見てオトハが動揺する。
「気づかれた!あのバス、逃げる気だよ!」
「そうみたいですね」
「なに落ち着いてるのさ、おギンちゃん!」
「なぜならば、慌てる必要は無いからです……しっかり捕まって!」
「うわっ!?」
サナエがスロットルをひねると、彼女を乗せたスーパーバイク、マサムネリベリオンが咆哮をあげた。
「リベリオンも、舐められたものですね!あんなバスが私たちから逃げられるわけがありません!逃げたということは、後ろめたい事があるということ!証拠集めの手間が省けました!捕まえちゃいましょう!」
「それはいいけど、私が後ろに乗っているのを忘れないでよね!うわっ!」
サナエとリベリオンは、オトハを振り回しながら走る車の群れを縫い、驀進するバスを追いかけていった。