氷川さんが訪ねてきた時
翌朝。
立花邸に一人の女性警官が訪ねてきた。対応したのは、執事のトーベ・ウインターだ。
「実は妙な通報があったもので。なんでも、昨夜お宅の庭にヘリコプターが舞い降りて、マシンガンやらミサイルやらをぶっ放して炎上していたとか……何か心当たりがありますか?」
「いいえ、まったくございません。通報されたのがどなたかは存じませんが、夢でも見ていたのではないでしょうか?」
「うーん、そうですねぇ」
婦警が窓の外に見える裏庭を眺めながら、供されたコーヒーを一口飲む。
「よく手入れされている庭ですねぇ」
「恐れ入ります」
緑いっぱいの庭が、夏の朝日を受けて輝いていた。まさか昨夜ここが戦争映画のような惨状になっていたなど、普通ならありえないことである。
「ところで、ツグミさんは元気ですか?」
「はい?村雨ツグミのことでしたら、たしかに当家で働いているメイドですが、お知り合いですか?」
「おほん」
婦警はわざとらしく咳払いをする。
「ツグミさんがこちらで転落事故をされた時、調書を書いたのは私なんですよ」
「左様でございましたか」
「……それで、ツグミさんは元気ですか?できれば顔を見ていきたいなー、なんて」
デレデレしている婦警にトーベは微笑して答える。
「たいへん申し訳ありませんが、昨夜から体調を崩しておりまして。面会はできればご遠慮していただきたく……」
「そ、そういえば……!」
婦警が話の腰を砕こうとする。
「ツグミさんがコンビニ強盗を撃退したことがあったんですよ!たまたま私も現場に居まして、ナイフで斬られたので病院にも付き添いを……」
「左様でございましたか」
トーベは微笑したまま、困ったような顔をした。
「ですが、やはり面会は後日に……」
「ツグミさんが家出をしていた時も……!」
婦警がさらに押す。
「私が保護したんですよ。何か辛いことがあったのか、ボロボロになって路地に座り込んでいたツグミさんを保護した時は興奮……じゃなかった、安堵したものですねぇ」
「あの……失礼ですが、あなたの名前をもう一度うかがってもよろしいですか?」
「はい!城南署特別捜査課、氷川シノブ巡査です!」
「氷川さん」
トーベは同じ微笑を続けながら彼女に言った。
「ツグミさんと縁の深いあなたに気にかけていただいて、きっとツグミさんも喜ぶと思いますよ」
「あはは、縁が深いだなんてそんな~」
照れる氷川にトーベが続ける。
「ですが、やはり今は体調が優れないようなので、後日にいたしましょう」
氷川は何も言わなかったが、顔に「え~?」と書いてあるのがトーベには手に取るようにわかった。だが、次の言葉を聞いて氷川の顔がパッと明るくなる。
「そのかわり、体調が良くなり次第ツグミさんの方から城南署へ訪ねていただきましょう。最近はメイド長が亡くなって以来忙しい日が続いておりましたが、友人のあなたを訪ねれば、良い気分転換になるでしょう」
「わかりました!」
氷川が用済みとばかりにパッと立ち上がる。
「では、ご協力ありがとうございました!念のため、もう一度裏庭を見ても?」
「かまいませんよ。門は開けておきますので、お帰りはそちらからどうぞ」
トーベに見送られて玄関から出た氷川は、その足で裏庭へと向かう。振り返ってもすでにトーベの姿は無かったが、おそらくカメラで監視しているのではないかと氷川は思った。しばらく裏庭を歩いていると、氷川の足が何か硬い物をふみつける。なるべく視線だけを動かして、氷川は足元に落ちている機関銃の空薬莢を見つめた。
(なかなか骨が折れたことでしょうねぇ、メグミノアーンバル。トコヤミサイレンスの恐ろしさが、身にしみたことでしょう)
氷川の正体はオウゴンサンデーの側近、タソガレバウンサーなので、本当ならメグミノアーンバルの味方をしなければならない。だが、生粋のトコヤミサイレンスオタクな氷川にとって、アーンバルが昨夜の襲撃に失敗したことの方が愉快だった。
やがて氷川が敷地から出ていくのを監視カメラで確認したトーベは、魔法薬のセットを持ってツグミのいる部屋へと向かった。正確にドアを4回ノックすると、中からツグミが「どーぞ」と返事をしたので、今朝は爆竹に火をつける必要はなさそうだ。
「おはようございます、ツグミさん。さきほど、城南署の氷川さんという方がお見えになっていましたよ」
「氷川さんが?」
トーベは先ほどまでの氷川とのやりとりをかいつまんでツグミに話しながら、彼女の怪我の様子を見る。昨夜の戦いで、偽アーンバルにひどく顔を殴打されているのだ。だが、兵器の扱い以上に魔法薬を調合するスキルを持っているトーベのおかげで、湿布を取ったツグミの顔から青あざが消えていた。
「ははひはいほ(まだ痛いの)」
トーベがツグミの口の中を見る。頬の内側が切れているのだ。
「すみませんが、しばらく我慢してください。治す薬はありますが……オーバードースの危険がありますからね」
「おーばーどーす?」
「簡単に言えば、薬による中毒です」
トーベがツグミのベッド脇の小机に置いてある、空のマグカップを見た。そこに入っていたコーヒーにもまた、眠気覚ましの魔法薬を混ぜていたのだ。他のメイドたちや、何より立花サクラに正体を気づかれないよう、外傷だけでも一晩で治せたのは幸いと思うべきだ。
「ですので、後は自然治癒力にまかせましょう」
次にトーベはサクラの部屋に向かった。ツグミも一緒である。トーベが4回ドアをノックしたが、返事はなかった。フライパンと爆竹を取り出したツグミに、トーベは無言で首を横にふる。
「サクラちゃん……?」
ツグミがそっとドアを開けると、サクラはすでに起きていた。心ここにあらず、といった感じで朝日に目を細めながら物思いにふけっていた彼女は、ツグミが眠気覚まし入りコーヒーを差し出したことで、やっと現世に心が戻ってきたようだ。
「どうしたの?サクラちゃん?」
「実は昨日の夜、アーンバルゆうレオタードの姉ちゃんがパチ子の口封じに来てなぁ……」
サクラが昨夜の戦いをツグミに話して聞かせた。トコヤミサイレンスの正体がツグミであることはサクラに内緒にしているので、ツグミは昨夜の戦いを何も知らない、ということになっている。
「トコヤミサイレンスが、ウチのことを好きや言うねん」
「は?」
ツグミは我が耳を疑った。
「テッケンサイクロンのカッコよさと、ダイキチハッピーの可愛さとのギャップに興奮する言うてんねん」
「は?」
「ウチはどないしたらええんやろ……」
サクラは頭を抱えた。
「トコヤミちゃんは、ウチの恩人なんや。だけど、恩人であって恋人というのはなんか違う気ぃするし……ウチはアイドルやから、そういう恋愛は……いや、そもそもウチも女やねん……うがががが」
葛藤するサクラから、ツグミがゆっくり後ずさる。そばに来ていたトーベの耳元にツグミがささやいた。
「トーベさん、記憶を消す薬って作れないでしょうか?」
「あいにく今まで作ったことはありませんが……」
再び呆然と窓の外を眺めるサクラに視線を移しながらトーベが答えた。
「前向きに、検討いたしましょう」




