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家に帰る時

 ツグミ(トコヤミサイレンス)の声を聞いても、パチ子の足が止まることはなかった。一階へ駆け上がり、そのまま正面玄関を飛び出していく。とはいえ、スタートダッシュが遅れていても、トコヤミの方が素早いのだ。


(追いつける……!)


 自身も正面玄関から外へ出る直前まではそう思っていたトコヤミであったが、前方を走っているはずのパチ子の足音が消えて動揺した。


(音が消えた!?)


 さきほど本物のサイクロンが使っていた魔法だ。おそらく、音を消している間に、どこかへ隠れたに違いない。再び世界に音が戻った時には、トコヤミはパチ子を完全に見失っていた。


「パチ子ちゃん!どこにいるの!?返事をして!!」


 トコヤミは必至になって探すが、屋敷の庭はすっかり闇に包まれている。物体の熱を探知できるサーマルゴーグルがあればともかく、肉眼で探すのは困難であった。


 パチ子は茂みに隠れて、じっとトコヤミの様子をうかがっていた。あたりをキョロキョロと探すトコヤミが、やがて走り去ったのを見て、パチ子はほっと胸をなでおろす。


「……とはいえ、本物のサイクロンも、いまごろワテを探してるやろうで。早く屋敷の外に出るんやで」


 キョロキョロと辺りを見回し、誰も見ていない事をたしかめたパチ子は茂みから出た。


(さよならやで。ツグミちゃん)


 パチ子が再び走り出す。塀を飛び越え、自然公園まで行けば、もう誰も追いかけられないはずだ。そうパチ子が考えていた時、闇の中から光る短冊のような物が飛んできた。


「いったい何やで?」


 光る短冊は、まるでパチ子を追尾するように飛んでくる。その短冊が、蓄光塗料を染み込ませた、パチ子の服に付いているリボンの切れ端だったと気づいた時には、パチ子はそれを追ってきたトコヤミに組みつかれていた。ツグミは、パチ子の服のリボンをあらかじめ切っておいたのだ。回復魔法の性質を利用した追尾弾である。


「うげっ!?」

「パチ子ちゃん!逃げちゃダメだよ、パチ子ちゃん!」

「離してくれやで!ワテはママのところに帰るんやで!」

「なにをバカなことを言ってるの!?」


 トコヤミにはパチ子の思考がまるでわからない。


「そのママは!あなたを殺そうとした!!」

「あれは偽物やった!」


 パチ子はトコヤミから逃れようと暴れる。


「本当のママやなかったんやで!本当のママはもっと優しい人なんやで!偽物と違って、家に帰ればワテを……!」

「そんなわけないでしょ!!帰ったら殺されるだけだよ!!」

「なんでツグミちゃんにそんな事がわかるんや!?」

「だってあなたは………………!!」


 トコヤミは、今までパチ子に言えなかった事を話した。パチ子が、おそらくはあと10日間しか生きられない事。それは、感染しているウイルスが原因である事。そして、それはパチ子を造った存在、すなわちメグミノアーンバルが最初から仕込んでいた事を。


「そんな…………」

「…………」


 全てを聞かされたパチ子は呆然とする。


「嘘やろ……?ワテは、偽物のママが言ってた通り……ただ目的を果たすために造られて、用が済めば捨てられる命でしかなかったんか…………」

「ううぅぅうぅ……!」


 泣きじゃくるトコヤミの顔を見れば、彼女が嘘をついているわけではないのが明白だった。パチ子にとって、信じていたママに裏切られたショックは大きい。だが、パチ子はそれよりも、さっきから声を押し殺して泣き続けているトコヤミの方が気になった。


「なんでツグミちゃんの方がそんなに泣くんやで?」

「……知らないよ、そんなの」


 トコヤミがパチ子の胸に顔をうずめる。パチ子は、そんなトコヤミの頭をなでた。


「ワテなら大丈夫やで。大丈夫……」


 大丈夫なわけがなかった。だが、泣き続けているツグミを前にすると、そう言うしかできないパチ子である。だが「大丈夫、大丈夫」と繰り返しているうちに、パチ子の心に落ち着きが戻っていくのも事実であった。

 トコヤミがすんすんと鼻を鳴らす。


「服からお酒の匂いがする……」

「さっき蜂を倒すのにワインボトルを割りまくったんや」


 白いドレスのあちこちに赤ワインの染みが広がっている。トコヤミはドスの効いた声で言った。


「この服、誰が洗濯するの〜?」

「うっ!」


 その迫力に、パチ子は思わずトコヤミから後退りした。


「おーい!」


 パチ子がその声に振り返ると、テッケンサイクロンが駆けてくるところだった。パチ子が彼女に手を振る。


「急におらんようになったらあかんで!逃げたんか思うたわ」

「逃げへんよ、ワテは」

「そうか。ところで、トコヤミちゃんは?」

「何言ってるんやで、サイクロン?彼女ならそこに……あれ?」


 パチ子がキョロキョロと辺りを見回す。しかし、そこに居たはずのトコヤミサイレンスの姿はどこにも見えなかった。


「おかしいな〜?さっきまで一緒だったんやでぇ?」

「ふーん?まあ、ええわ。帰るで、パチ子!」

「……せやな」


 戦闘でむちゃくちゃになっていた地下の各部屋は、いつの間にか綺麗に修復されていた。誰の仕業か見当はついている。ベッドに倒れ込んだパチ子は、誰に言うつもりでもなくつぶやいた。


「ただいまやで」


 答える者はいない。しかし、今のパチ子に言葉は不要だった。

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