総額2000万円の時
黄色い酸の弾丸が文字通り雨のようにパチ子に殺到する。あまりの量に、もはやドロドロの団子状になってパチ子を覆い隠す酸の雨であったが、突如巻起こった突風によって跳ね飛ばされた。何体かの蜂怪人がそれを浴びて羽を溶かし、墜落する。
アーンバルは奇妙だと思った。
「風でバリアを……!?馬鹿な!そこまでの能力は与えていないのに……!?」
「ほーん?ウチの偽物のくせにそんなこともできへんのかい」
酸の雨が吹き飛ばされたことでパチ子の姿が露出するが、彼女は一人ではなかった。いつの間に来たのか、誰かが一緒にいる。だが、ピンク色の愛らしいドレスに身を包んだ、金髪の魔法少女に、メグミノアーンバルは見覚えがなかった。
「え、誰?」
「ご存知、無いのですか!?」
どうやら人間の言葉も話せるらしい蜂怪人の一人がアーンバルに説明する。
「今話題のスーバー魔法少女アイドル、ダイキチハッピーですよ!生で見られるなんて、感激だなー!できればサインを……うっ!?」
アーンバルの機嫌を損ねた蜂怪人が、首筋に毒針を打ち込まれて死亡し、泡となって消えた。ダイキチハッピーはアーンバルを見据えて叫んだ。
「話は聞かせてもろうたで!あんたがパチモン騒動の黒幕か!?味方まで口封じのために殺しにくるとは、とんだ人でなしやなぁ!」
「えらそうに……一体何なのよ、あなたは?」
「ある時は女子高生、ある時はスーパーアイドル、しかしてその正体は……!」
ダイキチハッピーのドレスが、赤いラインの入った白いドレスへと変わる。金髪だった髪も明るいブラウンに変色したことで、アーンバルにも見覚えのある姿へと変わった。
「正義の戦士!閃光少女、テッケンサイクロンや!!」
「フォームチェンジした……ふん!馬鹿みたいね!」
フォームチェンジとは、魔法少女が状況に応じて特化した形態に変化することだ。アーンバルが「馬鹿みたい」と評したのは、少なからず訓練が必要なその能力を、ただのアイドル活動に利用しているサイクロンを嘲ったからである。
パチ子がサイクロンに言った。
「もう一人のワテ、助かったやで!でも、よくワテらのことがわかったな」
「ウチは風の閃光少女やで。屋敷内で変なことが起こってたら、すぐにわかるっちゅうねん」
アーンバルが言葉を引き継ぐ。
「そう、風の魔法は索敵や他の魔法少女の補助にその真価を発揮するわ。あなた一人で私たち家族を倒しきることができるかしら?」
無数の蜂怪人たちは相変わらず周囲を飛翔し、アーンバルの命令一つで邪魔者を排除する準備が整っている。だが、サイクロンはビビるどころか不敵に笑った。
「敵は多いな。でも、なんとかなるもんやで!」
「ふーん?」
「見てみい!」
サイクロンがパチ子を引き寄せて肩を抱く。
「今夜はウチとこいつでダブルサイクロンや!」
「えっ!?」
そう言われて戸惑うパチ子であった。だが、ここで気づく。
(そういえば、サイクロンはツグミちゃんがトコヤミサイレンスであることは知らんはずやで。ということは、本当にワテを戦力としてあてにしてくれてるんか?)
「だけど、今は逃げるで。ついてこい、パチ子!」
そう叫ぶやサイクロンは、パチ子の襟を掴んでアーンバルたちに背をむけた。
「やりなさい!」
アーンバルが攻撃命令を出すが、ダブルサイクロンは煉瓦塀に開いた穴から地下室へ飛び込む。酸の雨から辛くも逃れたサイクロンたちが入った部屋は、何本ものワインボトルが寝かされたワインセラーだった。
「パチ子!風のバリアは無理でも、突風くらいなら出せるんやろ!死にたくなかったら手伝え!」
「ええけど、ワテは何をしたらええんやで?」
「まずは……うらあっ!!」
サイクロンはワインセラーを豪快に殴り倒し、ワインボトルをどんどん割った。パチ子が困惑する。
「ええ!?」
「ええか、パチ子!相手の数は多い!けど、この屋敷はウチらのホームや!この環境を存分に利用するでぇ!どんどん瓶を割るんや!」
「そっかぁ……ちなみに、これ一本いくらするんやで?」
パチ子にそう聞かれたサイクロンは、両手に持ったワインボトルをまじまじと眺めた。
「えーっと……こっちは90万円で、こっちは500万だったかな?」
「え、ええんか!?ほんまに割っても!?」
サイクロンは返事のかわりに、そのワインボトル同士をぶつけて粉々にした。
「よ、よっしゃ!やったるで!」
パチ子もまたワインボトルの粉砕に力を貸した。
外ではアーンバルが蜂怪人たちに檄を飛ばす。
「何をボーッとしてるの!?早く二人まとめて始末しなさい!」
蜂怪人たちがその指図に従い煉瓦塀の穴に殺到する。
「今やパチ子!やったれ!」
「うらああっ!!」
二人のサイクロンが呼吸を合わせ、穴の外へ向けて突風を発生させた。突風は割れたワインボトルのガラス片を巻き込み、巻き込まれた蜂怪人たちをズタズタに切り裂いていく。
「「「ぎゃああああっ!?」」」
死んだ蜂怪人たちは泡になって消えていった。あっけにとられたアーンバルは、突風とともに飛んできた液体が、自分の顔に付着したのに気づく。それを指で拭って舐めたアーンバルは、サイクロンたちが何をしたのかを悟った。
「味な真似をしてくれたわね……」
アーンバルは別の指示を飛ばした。
「挟み撃ちにするわよ!半数の者はここで待機!もう半数は私についてきなさい!正面玄関から侵入する!」
ただし、これはリスクをともなう選択であった。メグミノアーンバルはテッケンサイクロン/立花サクラとは違い、この屋敷に怪物が住んでいることを知っている。おそらく、この騒ぎで目覚めているだろう。遭遇する可能性が極めて高いが、この際手段は選んでいられなかった。
(虎穴に入らずんば虎児を得ず……なんとしても、ナンバー821の口を今夜のうちに封じなければ……!)
アーンバルが蜂怪人たちと正面玄関へと回る。ドアに近づいたところで、メグミノアーンバルは自分の耳鳴りに気づいて集中力を削がれた。反応が遅れたアーンバルは、蜂怪人の一体がドアを蹴破ろうとするのを慌てて止める。
「待ちなさい」
そう言ってアーンバルが自らドアノブに手をかけた。同時に、耳鳴りが止まる。そして、アーンバルがもしやと思った通り、ドアには鍵がかかっていなかった。ゆっくりとドアを開けると、はたしてアーンバルの思った通り、彼女はどうやら待ち構えていたようである。
「…………」
灯り一つ無いロビーの中央に、ランタンを持った人影が立っていた。顔は暗くて見えない。だが、彼女が誰なのか、アーンバルにはとっくに見当がついている。
「天罰代行、暗闇姉妹」
影はそう名乗ると、自分の足元にランタンを置いた。
アーンバルが応える。
「そう……あなたが、暗闇姉妹。トコヤミサイレンスなのね」
『暗闇姉妹』
人でなしに堕ちた魔法少女を始末する者を、人はそう呼んだ。
いかなる相手であろうとも、
どこに隠れていようとも、
一切の痕跡を残さず、
仕掛けて追い詰め天罰を下す。
そしてその正体は、誰も知らない。
「あなた、人を殺していますね」
トコヤミサイレンスは返事のかわりにそう口にした。
「あなたに殺された者たちのうらみ、今晴らします」