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感染の時

 数日後。


「ひゃあぅ!?」


 後ろから急に抱きつかれたツグミは変な声を出した。

 ここは立花邸。メイドのツグミはいつも通り、洗濯物を広い庭にまとめて干していたところである。


「お、オトハちゃん!?」

「あそべー」


 オトハがツグミの後ろ髪に顔を突っ込みながら言う。


「かまえー」

「もう、どうしたの?」

「聞いてよ、ツグミちゃーん」


 ツグミを解放したオトハが愚痴る。


「最近、アッコちゃんが付き合い悪いんだよ」

「アカネちゃんが?」

「そう。この間も約束をすっぽかすし、遊びに誘ってもバイトがあるからって蹴られるんだ」

「そうなんだ」

「サクラちゃんは?」

「今日は収録……じゃなくて!バイトに行って朝からいないの」

「ちぇーっ!みんなバイト!バイト!学生なら夏休みくらい遊べばいいのに!いつかこの国の若者たちは、仕事をし過ぎて病気になっちゃうよ」

「うふふ、大げさなんだから。洗濯物が干し終わったら紅茶を入れてあげるから、ちょっと待っててね」

「わかった…………あれ?」


 干されているとある衣装にオトハが目をとめた。


「テッケンサイクロンの服?洗濯したの?」


 赤いラインの入った白いドレスといえば彼女の衣装だ。だが、ツグミは首を横に振った。


「あれはパチ子ちゃんの服だよ」

「洗濯しないといけないの?私たちの服は変身するたびにキレイに直るのに」

「ただ似せているだけの普通の服みたいだね。認識阻害魔法も働いていないし。パチ子ちゃんのことも、後で話すよ」


 やがて応接室でツグミとお菓子を食べながら、オトハはパチ子の状況に耳を傾けた。結局のところ、パチ子が立花邸にいる限りは、その世話を焼くのは自然とツグミの役目になるのだ。


「昨日、ジュンコさんが来たよ」


 西ジュンコ。悪魔でありながら人間の姿をした彼女の別名は、ハカセである。その名前通り、技術面で暗闇姉妹をバックアップするのが彼女の仕事だった。


 ツグミがその時のジュンコの様子を思い出す。


「はーっはっはっは!!」


 ジュンコは来て早々、テンションが高かった。


「だ、誰やで!?あんたは!?」

「私の名前はドクター・ハカセだ!君の健康診断に来た!」

「ドクターとハカセって意味がかぶってるやで!怪しすぎるんやで!怖いで!」


 偽名の件はともかく、ジュンコが怪しいというのは至極まっとうな指摘だとツグミも思った。スーツの上から白衣を来ているのは彼女が普段から着ているユニフォームであるが、顔バレを防ぐためか、目元だけを隠す仮面をつけていた。ちなみに、ツグミは後で調べてわかったが、こういう仮面をベネチアンマスクというらしい。そんな女が注射器を持って迫ってくるのだ。慌てるなという方が無理である。


安心あーんしーんしたまえ!ちょっと血を抜かせてもらうだけだ!なあに、天井のシミでも数えていればすぐに終わるとも!」

「誰かー!!助けてー!!」


 悲鳴をあげるパチ子をツグミがなんとかなだめようとした。


「だ、大丈夫だからパチ子ちゃん!何かあっても、私が治すから……」

「その何かが怖いんやでー!!」


 ジュンコは容赦なくパチ子に針を刺した。


「ブスッとな」

「ぎゃー!!」


 こんな調子であったが、採血は無事に済んだ。ぐったりしているパチ子を部屋に残して、ツグミとジュンコが外で会話をする。


「私はこの血液から彼女の正体を調べてみるよ」

「急にマジメになった……はい、お願いします」


 そして現在の状況をオトハが尋ねた。


「パチ子ちゃんは?やっぱり危険が危ない?」

「そうでもないよ。何も教えてくれないけれど、ご飯がある限りは無理に逃げようともしないから」

「そうなんだ」

「ねえ、オトハちゃんも一緒に遊んでいきなよ」

「えっ?」


 ツグミに案内されたオトハが例の地下室へと入る。そこに居たのは、部屋に置かれたソファーに寝転んで、テレビを見ているパチ子の姿だった。それだけではなく、殺風景だったはずの地下室は、いつの間にか日用品で満たされていた。


「えええええ!?」

「あ!オトハちゃん、いらっしゃいやで」


 呑気に手をあげるパチ子には何の拘束も施されていない。外で干されている偽サイクロン衣装のかわりに、ツグミと同じメイド服を身につけていた。


「な、なんで!?危ないよ、ツグミちゃん!」

「だって、ずっと身動きをとれないようにするのはかわいそうだよ。それに、今さら逃げる気は無い……そうでしょ?」


 パチ子は「せやで」と同意した。


「ワテにも義理があるさかい、目的は明かせんけど、飯さえ食わしてもらったら大人しくしてるやで」

「ゆるいな〜この敵キャラ」

「それはそうと、オトハちゃん」


 パチ子がトランプをテーブルに置く。


「一緒に遊ぼうや。ツグミちゃんと二人だけでババ抜きするのも飽きるんやで」

「……変なことしたら斬り刻むからね」


 オトハは少し困惑しながらも、テーブルの側にある椅子に座った。慣れた手つきでトランプをシャッフルして配る。


「ところで、さっき義理があるとか言ってたね。やはり、君たちに指示を出す黒幕がいる、と……」

「うっ」


 パチ子は自分のトランプを持って顔を隠した。


「オトハちゃんはやっぱり怖いな〜迂闊な事は言えんやで……」


 しばらくそうして遊んでいると、部屋に置かれた電話機が鳴った。


「えっ、電話……!?」


 オトハが何を心配しているのか、ツグミにも無論わかっている。


「大丈夫、あれは受信専用だから、外には電話をかけられない」


 ツグミが受話器を耳に当てた。電話をかけてきたのはジュンコである。


「ツグミ君かい?そばにパチ子君もいるんだろう?」

「いますけど……」

「おっと!これから話すことは本人からすればショックだろうから、言葉を慎重に選ぶことだ」

「えっ?」


 ジュンコが話している間、ツグミは単純な合槌だけを返した。ジュンコが言うには、パチ子はウイルスに感染していると言うのだ。


「それって……」

「安心したまえ。君たちに害は無い。感染力が極めて低いようだ。だが、このウイルスは血液中の赤血球を徐々に破壊する性質があるらしくて……」


 ジュンコが化学的な用語を使ってする解説は、ツグミにはチンプンカンプンである。


「つまり、どういうことなんですか?」

「そうだな、簡単に説明しよう。パチ子君は、このままだと、あと10日ほどで死ぬ事になる。残念だが、ウイルスは怪我ではなく病気のようなものだ。君の回復魔法でも治せないだろう」


 ツグミが息を呑む。


「どうして……!?」

「おそらくだが、彼女を造った何者かが意図的に仕組んだことだろう。もしも自分に反抗しても大丈夫なように……そうそう、言い忘れていたね」


 ジュンコが続けた。


「パチ子君の正体は、人造悪魔だ。君たち風に言えば、そう……クローンということになるな」

「友だちになれるかもって、思ったのに……」

「ツグミ君」


 ジュンコが真剣そのものの口調で続ける。


「黒幕が何者であれ、唯一の手がかりは彼女だけだ。この事実を伝えるべきかどうか……そばで面倒を見ている君が判断するといい」


 電話が切れた。ツグミの深刻そうな顔を見たパチ子が尋ねる。


「どうしたんやツグミちゃん?なんか悪い知らせか?」


 その能天気な口調からは、パチ子がその事実を知っているとは、ツグミには到底思えなかった。ツグミは、無理に笑顔を作って首を横に振った。


「なんでもないよ。大丈夫……そうだ!ババ抜きの次は七並べで遊ぼうよ!」

「わー!何やそれ!?どんなルールなんや!?」


 無邪気に笑うパチ子の顔を、ツグミは直視できなかった。と同時に、ツグミは命を造って、もてあそぶような何者かの所業を思うと、知らず知らずのうちに奥歯を噛み締めていた。


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