偽装の時
翌日。
「けしからーん!」
警部補の田中はそう叫びながら、読んでいた新聞を自分のデスクの上に叩きつけた。
ここは城南警察署、特別捜査課のオフィスである。
「社会の公器である新聞が『魔法少女』などという単語を紙面に使うとは!」
同じく特別捜査課の刑事である巡査、中村ジュウタロウがその新聞を手にとって広げる。
「魔法少女三人組、自身の姿をした悪魔から市民を守る……ですか」
表面の見出しをジュウタロウが声を出して読むと、田中はますます顔が険しくなった。ジュウタロウが続ける。
「テレビは相変わらず悪魔や魔法少女の存在を隠しているようですが、新聞に載るのは珍しいですな。でも、だいたい書いてある通りじゃないですか」
その言葉を聞いた田中が机をドンと叩いた。
「うるさい!魔法や悪魔などというものは、この世には存在しないんだ!」
「しかし、田中さん……」
新米婦警の氷川シノブが、ノートパソコンの画面を男たちに見せる。
「昨夜の戦いを多くの市民が携帯のカメラで撮影し、インターネットにアップロードしています。これでは、メディアだっていつまでも無視しているわけにはいきませんよ」
「いや、しかし、それはだね、氷川君……」
田中の態度がしどろもどろになる。でくのぼうと見下しているジュウタロウとは違い、氷川という若い婦警には嫌われたくないらしい。
「最近のコンピュータは……あー……画像のごまかしは簡単にできるものであるからして……」
「目撃者の証言は?」
「と、トリックに決まっている!あるいは数ヶ月前にあった城西地区での事件と同様に、催眠ガスが散布されたのだろう。俺は詳しいんだ!」
あまりにも無理がある解釈に、氷川は顔にこそ出さないが呆れ果てていた。
(それを調べるのが特別捜査課でしょうに……)
『特別捜査課』
城南署に最近新たに設置されたこの超常現象専門チームには、氷川を含めてこの三人しかいない。中村と田中は、どちらも城西署から異動してきた刑事だった。よほど魔法と、自分のキャリアが閉ざされた事を認めたくなかったのか、警部補の田中が何日も熱を出して寝込んでいたことは、城南署にいる警察官の中で知らない者はいなかった。だが、なんとか気を取り直した田中は、その立場を『魔法』とか『悪魔』の存在を全力で否定するために利用することに決めたようだ。
(まあ、私としても悪い話ではありませんが……)
そう思う氷川の正体は、魔法少女による革命を企むオウゴンサンデーの側近、鍵の魔女タソガレバウンサーである。知らぬ事とはいえ本物の魔法少女を前にして魔法少女の存在を懸命に否定する田中の姿は滑稽だが、むしろその方が氷川/タソガレからしても、情報の隠蔽に便利であった。
(むしろ危ないのはこの人のような気がします)
氷川に顔を見つめられた中村ジュウタロウがとぼけた声で尋ねる。
「どうしました、氷川さん?何か、私の顔に付いてますか?」
「いえ、何も」
同じく城西署から来た刑事でありながら、中村の魔法少女に対する態度は、田中のそれとは180度反対であった。田中が時々「でくのぼう」と罵倒する通りの愚鈍な男であるが、その素直さで時に核心を突いてしまうことがある。
(用心しなければ……)
と思ってはみるが、その冴えない顔を見れば見るほど、自分の心配が杞憂でしかない気がした氷川は、ジュウタロウの肩をポンと叩いた。
「とにかく、一緒にもう一度聞き込みに行ってみましょう」
「わかりました、氷川さん」
「田中さんは……」
氷川が振り返ると、田中は、まるでそうすればデジタル写真の偽造が見抜けるに違いないとばかりに、ノートパソコンの画面を凝視していた。
「……もうずっとそうしててください」
氷川は自分のデスクに置かれたペンギンのぬいぐるみを撫でて、ジュウタロウと共にオフィスを後にした。彼女が片思いをしている人物からもらったそのぬいぐるみを愛でるのが、氷川のモーニングルーティンなのである。
場所は変わって、とあるバス停。
オーバーオールを来た背の高い少女が、バスの到着をじっと待っていた。身長は170センチもある。赤みがかったロングヘアをポニーテールにしているのだが、その位置が高いせいか、本人の雰囲気も相まって、生まれる時代と性別を間違えたサムライのようになっていた。鷲田アカネである。普段なら鋭い眼光のせいで同じ年頃の学生たちを威圧している彼女だが、今は夏休みである。バス停に立っているのは彼女一人であった。
(今日も暑くなりそうね)
そう思いながら空を見上げる。そして、先ほどからチラチラと、昨夜出会った少女の姿が脳裏に浮かんでいた。
(やっぱり似ている……)
でも、別人よね。アカネは自分にそう言い聞かせて、北島カエデの事は考えないようにしようと決めた。同じ県内とはいえ、城南地区は広いのだ。もう会うことはないだろう、と。
その時、バス停にマイクロバスが停車した。
「ん?」
いつものバスではない。アカネが開いた電動ドアの前で困惑していると、運転席の女性ドライバーが身を乗り出して手招きした。
「どうぞ!乗ってください!」
「は、はあ……」
アカネは奇妙に思いながらも、言われた通りバスに乗る。他に乗客はいなかった。
「このバスは?」
「ああ、ご存知無いのですか。昨夜、城南駅で事件がありましてねぇ」
自分たちの戦いのことだとアカネは悟る。
「駅前経由のバスは運休なんですよ。代わりに市の方でバスを出してまして」
アカネはやっと腑に落ちた。そういえば、4月に悪魔襲撃事件があった翌日も、学校直通のバスに変わっていたと、アカネは思い出す。
「高専には行きますか?」
オトハが通っている工業高等専門学校のことだ。ドライバーはうなずいた。
「通りますよ。駅を迂回するので少し遠くなりますが」
アカネは軽く頭を下げると、そのまま最後部の座席に腰を掛けた。ドライバーが呼びかける。
「降車ボタンはありませんから、降りたい場所で声をかけてくださいね」
「料金はどうなるんですか?」
「いただきません。昨夜の事件が事件ですからね。市が負担する無料送迎バスなんですよ」
アカネは笑みを浮かべた。
「それはお得ね」
「……では、発車いたします」
アカネを乗せたマイクロバスが走り去った。
それから数分後。バス停にはいつもと同じように、大型バスが停車した。電動ドアが開き、数人の乗客が降りる。バスに乗り込む者はいないと確認したドライバーは、社内放送で乗客たちに呼びかけた。
「ご利用ありがとうございます。次は城南駅前。城南駅前です」
やがて本物のバスが、いつもと同じようにバス停を後にした。