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音無リツの永遠

 サナエは目をつぶっていた。歯を食いしばり、何かを待っている。それがどういう意味なのかを悟った時には、リツはもう、自分の斬撃を止めることができなかった。


(正気じゃない!相手を見ないなんて!)


 リツの刀がサナエの右手に到達するまでの、刹那の時間。リツはそう思う。


(サナエさんは相打ち狙い!自分の命を捨てている!)


 それがサナエのできる、唯一リツを討ち果たす可能性がある選択だった。もしも自分の体に冷たい刃を感じたなら、迷わず刀を振り下ろす。極めて単純化されたその決意は、リツの『蛇睨み』の呪縛を凌駕する。


(でも、私の方が速いですよ!)


 右手を先に斬り落としてしまえばリツの勝ちだ。サナエがそれから動いたとしても間に合わない。だが、サナエは刀が右手に触れる前に動き出していた。


(どうして!?私が見えているの!?)

「やあああああああっ!!」


 それは『蛇睨み』の性質が招いた、副作用のようなものだった。殺気をぶつけることで相手の動きを止めるこの技は、逆に殺気を通して自分の行動が相手に筒抜けとなる。サナエは実際に刀が自分の体に触れる前に、リツが自分の右手を狙う殺気に反応して動き出したのだ。


 多くの剣術流派では、重力に逆らわない真っ向斬り下ろしが基本であり、極意でもある。なぜなら、他のあらゆる太刀筋に、上から乗って勝つ事ができるからだ。


(ああ……サナエさん。今やっとわかりました)


 リツの右手狙いの太刀筋は斜め。それに対してサナエの太刀筋は真っ直ぐである。リツの太刀筋にサナエの太刀筋が乗り、その軌道を逸らす。


(恐怖を感じながらも、それを克服して進み続けること……それが『勇気』……はじめから恐怖心のなかった私の方こそが……あなたに決して追いつけなかったのですね……)


 目を閉じたままのサナエは、自分の顔にパッと血飛沫が飛んだのを感じた。


(私にも……あなたのような勇気があれば……)


 恐る恐る目を開いたサナエの足元には、頭から血を流すリツが倒れていた。と同時に、グレンバーンが体の自由を取り戻す。


「サナエさん……やったのね」


 リツを見下ろしながら呆然としているサナエに向かって、グレンは歩いていった。


 サナエの足元に倒れているリツが動いた。まだ死んでいない。だが、割られた自分の額を手で触り、そこから白い物が溢れているのを見たリツは、自分が助からない命であると悟る。


「……お見事でした、サナエさん」

「何が見事なものですか!?」


 サナエが吠えた。


「そうやってあなたは、悪人として死んでいくことに満足しているんですか!?」

「……私はもう助かりません。あなたの手で……早くとどめを……」


 サナエが再び歯を食いしばり、刀をリツの心臓に向ける。苦しみが長引かないように、今すぐ楽にしてやるのが武士の情けというものだ。


「これが……私の精一杯のワガママです……これで、いいんですよね……村田さん……」


 リツのそんなつぶやきを聞いて、サナエが思わず後ずさる。刀を投げ捨てると、リツの体を背中におぶった。


「あなたは死神なんかじゃない……人間なんです!音無リツは人間なんです!誰よりも人間なんですよおぉっ!!」

「ちょっと!サナエさん!」


 リツを背負って走り始めたサナエを、グレンは後ろから火球で撃とうとする。が、動きが止まった。


「……撃てるわけがないじゃない!!」


 サナエは走り続ける。もしもツグミと合流できれば、リツを治してもらえるかもしれない。一縷の望みにすがるその背中に揺られて、リツが意識を取り戻した。


(……ジュウタロウさん?)


 リツの脳裏に、自転車の後部座席でジュウタロウの背中を抱きしめた記憶が蘇る。


(ジュウタロウさん……あなたに差し上げます。私の…………)


 サナエの足が止まった。その顔が見る見る青ざめていく。彼女は確かに感じたのだ。背中に負った一人の女から、たしかに命が失われた瞬間を。


「ああ……ああああ…………あああああああああああっ……!!」


 慟哭して膝から崩れるサナエに、後ろから無言で走ってきたグレンが追いついた。掌から炎を出し、サナエたちを照らす。


「ワタシは……なんでこんなにバカなんでしょうか!?リツさんを……ただ長く苦しめる結果にしかならなかったのに!!」

「……そうでもないわよ、サナエさん」

「へっ?」


 手から出た炎を宙に浮かべ、グレンがそっとリツの体を、サナエの背中から下ろす。


「彼女……すごく幸せそうな顔をしているわ。まるで子どもみたいに……」


 サナエたちから離れた闇の中で、双眼鏡越しにリツの最期を見届けたタソガレバウンサーもまた、その表情を見た。この世のしがらみから解放されて、ただ一人を想うその顔は、どこまでも静かな微笑みを浮かべていた。


「さようなら、音無リツさん。永遠に、幸せでありますように」


 そうつぶやくと、タソガレバウンサーは音も無く闇の中に消えていった。


 一方、自然公園では……

 中村ジュウタロウは石のベンチに腰掛け、音無リツを待ち続けていた。空から落ちてきた水滴が、自分の頬を濡らすのを感じたジュウタロウが空を見上げる。


「ああ……もしかして雨が降るのかなぁ?リツさん、早く帰ってこないかなぁ……」


 ジュウタロウは、リツが決して帰ってこない事を、まだ知らない。


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