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必殺の時

「それにしてもここは……」


 ウインドは大きめに見積もっても2メートル四方の床面積しかない箱型の空間を見回す。


「これでは翼をもがれたのも同じですね。なるほど、さすがは暗闇姉妹。仕掛け慣れていらっしゃる」


 トコヤミがその手に持つ短槍を動かそうとした時、スナップを効かせたウインドの裏拳が素早く彼女の面を打つ。トコヤミをノックアウトするほどの威力は無かったが、彼女の顔から鼻血が流れた。おそらく、そのハンドスピードはトコヤミを凌駕している。


「あなたはヒーラーですが、ご自身の体は回復できない。さぁ、エレベーターが一階へ到着するまでに接近戦で僕を倒せるでしょうか?」


 トコヤミは短槍の柄を側面から噛むように口に咥えると、ウインドへ向けて縦拳のラッシュを放った。ウインドの方は殺到する拳を掌で捌くように方向を反らし、トコヤミが右拳を伸ばしきるまえに左拳で彼女の頬にカウンターを叩き込む。


「む!?」


 見るとトコヤミの右手がウインドの襟を掴んでいる。縦拳の連打は掴みかかる動きを巧妙に隠していた。トコヤミは柔道で言うところの小外刈りでウインドの背をエレベーターの壁にぶつける。


(この手に波動を!)


 ウインドはトコヤミの右手首を、自分の右手で掴む。


「がっ!?」


 しかしすぐさまトコヤミの頭突きがウインドの顔へ刺さった。波動は高度な技術だ。痛みで集中力を削がれた状態では使えない。トコヤミはむしろ握っていたウインドの襟を手放し、逆に自分の右手首を掴んでいたウインドの右手を掴み返した。

 小手返し!手首を極められたウインドの体が回転を始める。


「甘い!」


 ウインドはエレベーターの壁や天井を走るようにして投げられまいとする。しかし今度はトコヤミが肩で体当たりし、床面に足がつく寸前だったウインドを転倒させた。


「!」


 尻もちをつく形になっているウインドの顔に向けて、トコヤミの膝蹴りが何度も襲った。エレベーターの床面に血が飛び散る。ウインドは両腕をクロスさせるようにして防御するが、トコヤミはその上から、ウインドの両腕ごと潰すつもりで膝蹴りの連打を続ける。


「くそっ!」


 余裕が無くなったウインドは右手の爪を硬質化させ、横向きに薙ぎ払った。トコヤミは後ろに退いて避けようとするが、狭いエレベーター内ゆえに完全には避けられず、爪はトコヤミの腹部に切創を作る。


「はっ!」


 ウインドは、今度は上から大きく振りかぶって斬りかかるが、トコヤミは姿勢を低くして懐に飛び込み、ウインドの右腕を抱え込んで一本背負い投げをした。といって、人が投げ倒されるスペースなどない。


「がっ!?」


 自然、体が前に倒れようとするウインドの頭はエレベーターの壁に衝突する。トコヤミはウインドの右腕を抱えたまま、壁に足をつけて垂直に駆け上る。足が天井に付くほど駆け上がると、今度はそのまま落下し、ふたたび背負投げの体制をとった。しかし、目的は投げることではない。

 ウインドの硬質化していた右手の爪が、勢いよく床面に突き刺さった。


(やられた!!)


 ウインドの爪が引っ張っても抜けない。右手の自由を奪われたウインドの右側頭部を、トコヤミは執拗に左肘で殴打した。読者も試してみればわかるが、左手だけで右側頭部をガードするのは困難だ。


(くそっ!どうしても爪が抜けない!)


 トコヤミは口に咥えていた短槍をアイスピックのように右手で構えると、ウインドの首筋に向かって突き立てようとした。ウインドは左掌でそれをガードする。短槍の刃がウインドの掌を貫通し、抵抗するその左手ごと、トコヤミは短槍を無理やり押し込み、首の動脈を狙う。


(波動!)


 ウインドは自分の掌を貫通している短槍を通してトコヤミに波動を流し込む。しかしトコヤミはそれを察知すると、右足でウインドの左足を踏みつけた。トコヤミの足に流れる波動がウインドへと帰っていく。


(波動返しか!?)


 しかしトコヤミも無事とはならなかった。足の力は健在だが、短槍を持っていた右腕に力が入らなくなったのだ。だらりと下がった右手から短槍が床面に落ちる。波動を返された方のウインドは、もともと自分の魔法なのでダメージはない。

 だが、それはそれでトコヤミは、再び左の肘打ちを執拗に頭へ叩き込んだ。


(ダメージを受けすぎている!このままではまずい!)


 投げ、頭突き、体当たり、肘、膝。いずれもこのような超接近戦では有効な攻撃ばかりだ。だが、トコヤミにはもう一つ、超接近戦を制する武器があった。


『一階です。ドアが開きます』


 そのアナウンスを聞いたウインドは、左手刀で自らの右爪を叩き折った。そのままウインドはトコヤミにタックルし、エレベーターから出たところでトコヤミを押し倒す。だが、右腕が使えない状態でさえなお、トコヤミに寝技勝負をしかけるのは危険すぎた。

 体位が下になったトコヤミは、ウインドの腿を蹴って彼女の体勢を崩した後、左腕をウインドの左腕に巻きつけるようにして制し、下から体を抜いて、ウインドがうつぶせに潰れるよう胸を彼女の背中に押し付ける。制していたウインドの左腕をトコヤミは両腿で挟んで動けなくした後、自由になった左手でウインドの右襟を下から掴み、捻った。

 超接近戦を制する必殺技の一つ、絞め技だ。柔道の送襟絞の変形だが、タキシードのように襟の詰まった服は、柔道着よりも首が締まりやすかった。トコヤミの胸でうつぶせに押さえこまれ、左腕は彼女の両腿に挟み込まれている。右腕は、そもそもうつ伏せに抑え込まれているので自分の体が邪魔になって動かせなかった。


「…………っ!!」


 声も出せないウインドの顔がみるみる赤紫色に染まっていく。だが、彼女は一人ではない。


「あっ!?あれは!」


 ロビーの二階部分で寝ていたサナエは、階下の騒ぎに気がついて飛び起きた。手すりに掴まって下を見ると、ウインドの上に誰かが覆いかぶさっているのが見える。漆黒のドレス姿は、アケボノオーシャンから聞かされていた通りだった。


「暗闇姉妹!どうしてここに!?……うわっ!?」


 サナエのすぐ後ろには窓がある。さきほどバイクと一緒に自分がガラスをぶち破りながらここへ飛び込んできた時の窓だ。外から大量の蝙蝠たちが殺到し、その窓からロビーへなだれ込む。


(……やれ!!)


 ウインドの危機を察した蝙蝠たちは、まるでそれ自体が巨大な黒い生き物に見えるほど密集し、勢いよくトコヤミへ襲いかかった。密集した蝙蝠の突進でトコヤミの体が宙に浮き、そのままロビーの外に面するガラスウィンドウをぶちやぶって、中庭まで吹き飛ばされた。

 トコヤミが散乱しているガラス片の中から起き上がると、密集した蝙蝠が再びトコヤミに狙いを定めて突進してくる。トコヤミはそこから後ろに飛び下がり、蝙蝠を十分に引き付けた後、左手を散乱したガラス片に向けた。ロビーのガラスウィンドウを回復魔法で直したのだ。砕けたガラス片がロビーまで戻り、もとの位置へと修復されていく。その過程でガラス片が蝙蝠たちを巻き込み、彼らの体をズタズタに切り刻んだ。


「トコヤミサイレンス!!」


 しかし、その同じガラスウィンドウが再び粉々にくだけ、そこから翼を広げたウインドが飛び出してきた。滑空する速度のままトコヤミの体を両手で掴み上げ、しばらく飛んだ後、彼女の体を唐突に離して中庭の木にぶつける。トコヤミはよろよろと満身創痍で立ち上がるが、空中を旋回してきたウインドが、再び彼女を捕まえて別のガラスウィンドウに叩きつけた。

 ガラスをぶち破って再びロビーに戻ってきたトコヤミの体は、大きなダメージを受けている。それでもなお立ち上がって、左手をガラスウィンドウのあった位置に向けると、回復魔法をかけた。中庭に散らばっていたガラス片が集まり、元のガラスウィンドウの形へ修復されていく。

 ウインドはロビーの中に戻るためガラスウィンドウに拳をぶつけた。大きなヒビが入ったが、そのヒビが瞬時に元に戻る。何発も何発も粉々にすべくパンチを繰り出すが、そのたびにガラスは回復魔法で修正された。ガラス面が、磨かれた鏡のように中庭の様子を映している。吸血鬼、セキショクウインドの姿を除いて。


「なるほど、いい勉強をさせていただきました。回復魔法にはこのような使い方もあるのですね……ですが!」


 ウインドは少し後ろに下がると空中へ浮かび、助走をつけてガラスに体当たりした。ガラスウィンドウが粉々になると同時に修復が始まるが、完全に閉じてしまう前にウインドの体が通り抜けた。修復されていくガラスを背にして、ウインドはゆっくりロビーの床に着地する。

 ウインドの目は、ボロボロになりながらも立っているトコヤミサイレンスの姿を認識する。ウインドは左手を懐に入れ、金色のナイフを取り出しながら言った。


「どうやら本気で戦わなければ僕の命が危ないようですね。とても手加減なんてできません。あなたに瀕死の傷を負わせてしまうかもしれませんが、僕たちの同士にもヒーラーはいます。帰ったらすぐに治してもらいましょう。どうぞ、ご安心を」


 その返答の代わりに、強烈な回し蹴りがウインドの横腹を襲った。


「!?」


 ウインドは驚く、自分を蹴ったのは前方にいるトコヤミサイレンスではない。誰かが自分を後ろから蹴ったのだ。そして、後ろを向くと、そこにもトコヤミがいる!


「どうして二人いるっ!?」

「やーっ!」


 一人目のまったく沈黙サイレンスではないトコヤミが、ウインドの背中に襲いかかった。その右手には、折れた刀身にカーテンの生地を巻き付けて持ち手にした、即席の小太刀が握られている。トコヤミはウインドの波動によって右腕は動かせないはずだ。つまり、間違いなくこちらが偽物だ。


(日本陸軍伝軍刀操法、基礎刀法、一本目……)


 暗闇姉妹に『変身』していたサナエは、刀の切っ先まで気を研ぎ澄ましていく。銀髪の少女の姿に戻った彼女は、頭上から刀を振り下ろした。


「大空斬り!!」

「がはっ!?」


 背中を割られたウインドは、血に染まった片方の翼を床に落とす。


「続けて、直前の敵!!」


 サナエは刀の峰に左手を添えながら、ウインドの胴体を突くように猛進する。


「このクサレボンクラがーっ!!」


 自分の翼を斬った少女の正体がスイギンスパーダだと気づいたウインドは、慇懃さをかなぐり捨て、体を反転させながらナイフを突き出した。二人の少女の肉を冷たい金属が裂く。相打ちである。


「ぎゃああああ!?痛い、痛い、痛い!!死んじゃう~!!ああ~血が~!!」


 サナエはそう叫んで大騒ぎしているが、そのくせウインドに突き刺した刀を、絶対に手放そうとしない。


「うるさい!!」


 ウインドが右掌底をサナエのこめかみに叩きこむと、「きゅう……」という変な声を出して倒れた。脳震盪を起こしたサナエの手が刀から離れる。

 しかしその直後、黒い包帯がウインドの背後から飛び、彼女の首に巻き付いた。


「ぐっ……!?」


 それは本物のトコヤミの攻撃だった。ウインドの首を縛った包帯は、ロビー二階部分の手すりを回り込んでいた。トコヤミが自分の体から伸びる包帯を左腕に絡ませ、全体重をかけて引き下げる。すると、飛行能力を失ったウインドの体が、釣瓶のように持ち上げられた。


「………………!!(まずい、このままでは)」


 窒息するだろう。首を締める包帯を切断したかったが、悪いことにナイフはサナエの体に刺さったまま彼女と一緒に倒れている。右手の鋭い爪も、トコヤミとの戦闘中に自ら叩き折ってしまっていた。だが、ウインドにはもう一つ使える刃物があった。


「ずえいっ!!」


 ウインドは自分の体に刺さっているサナエの刀を引き抜くと、それで自分の首を吊る包帯を切断した。ウインドの体が地面に落ちる。切られた包帯はシュルシュルとトコヤミの体へ戻った。


「動くなっ!」


 ウインドはトコヤミへそう叫んだ。彼女は手に持った刀の切っ先を、気絶して仰向けに倒れているサナエの喉へ突きつけている。


「近づいたらこの女を殺すっ!」


 トコヤミはたしかにその声を聞いた。しかし、彼女はかまわずウインドへと近づく。息の根を今度こそ止めるために。


「本気だぞ!!お前の仲間なんだろ!?死んでもいいのか!!」


 トコヤミはかまわずウインドに迫る。


「ちっ!!」


 ウインドは刀を放り捨てて、走って逃げた。強力な回復魔法が使えるヒーラーを相手にして、人質作戦をとるのはあまりにも無謀である。


「なんということだ……僕がこれほどのダメージを負ってしまうとは……実力を完全に見誤った……僕一人ではだめだ。あの暗殺者は一対一の戦いにはとても強い。複数人でかからなければ……」


 ほうほうの体でタワーマンションから外へ転がり出たウインドはそうつぶやかずにはいられなかった。そんな彼女に、バイクから降りた白バイ隊員が駆けつけてくる。


「大丈夫ですか?あなたもすぐに避難を……」

「邪魔だ!」

「!?」


 ウインドに頭部を殴られた白バイ隊員は、ヘルメット越しであったにも関わらず吹き飛ばされて失神した。イライラしながらウインドは背後を見る。きっとすぐそこまでトコヤミサイレンスが迫っているはずなのだ。しかし、そこに彼女はいなかった。


「トコヤミサイレンス……追ってこないのか?」


 見ると、トコヤミはタワーマンションの奥へと歩いていくところだった。向かう先にあるのはエレベーター。エレベーターに乗り込み、振り返るトコヤミと目があう。


『ドアが閉まります』


 そんな電子音声がエレベーターを閉鎖し、分厚いドアがトコヤミとウインドを隔離した。


「……僕を見逃してくれるのか?そうか……暗闇姉妹は案外優しいんだな。まぁ、彼女自身のダメージも大きい。お互いに回復してからリターンマッチを狙うのが順当か」


 ウインドはそう思った。しかし、違う。トコヤミはウインドをここから逃す気など微塵もない。彼女はただ、必殺の準備を整えたにすぎない。自分がとんでもない見当違いをしてしまったことを、セキショクウインドはまもなく思い知ることになる。


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