手折られ花は恨み花、弱者の涙とだけ手を結ぶ時
「他の三人にも連絡した。もうすぐ、ここに集まってくるはずだよ」
「そんなことより、オトハさん!」
サナエが血に染まったオトハの左手首を見つめる。
「自殺しようとしたんですか!?」
「自分で切ったのは認めるけれど、死のうとしたわけではないよ」
そう言うとオトハは、水で洗ったものの、凹凸部にまだ血痕が残ったカミソリを取り出した。
「マオさんが、どんな痛みを感じたのか知りたかったんだ」
「村田マオさん、ですか……」
京木の手で殺された、『行き場のない女性を支える会』の代表だ。彼女が京木に性的に搾取されたあげく自殺未遂をし、それが一条キヨシ刑事との出会いのキッカケとなったのは、白金組の渡辺シンゾウを通してサナエたちも知っている。
「手首の動脈を切ればすぐに意識を失うから楽に死ねるなんて、知ったかぶりをする人もいる。だけど、刃物が皮膚に食い込んで、肉を裂いていく感触って、めちゃくちゃ痛いんだよ。私にはとても最後までできそうになかった。
だけど、マオさんはそれをした。それくらい、愛する人に裏切られて絶望したんだ。だけど、キヨシ君と出会って、マオさんは立ち直ることができた。自分のような人間がこれ以上現れないように、『行き場のない女性を支える会』を作った。
それなのに……あいつら……あいつら!まるで、道端の花でも手折るように、マオさんを……キヨシ君を……!!」
オトハの息が荒くなる。過呼吸を起こしそうになった時、誰かが彼女を後ろからそっと抱きしめた。サナエには、それが誰なのか見えている。
「ツグミさん……!」
ツグミはオトハの耳元にささやいた。
「大丈夫……大丈夫だから……」
「ツグミセンパイ……」
オトハが落ち着きを取り戻す。続けてアカネも部屋に入ってきた。
「サナエさん、あたしたちが音無リツについて聞いた話を、あなたも知るべきだと思うわ」
アカネは、おばさんから聞いた話をサナエに伝える。幼少時に両親を奪われ、やがて殺し屋へと成長した少女の物語を。
「今にして思えば……」
サナエが語り始める。
「リツさんは、そんな自分を変えようと試行錯誤していた途中だったのではないでしょうか……?」
サナエは、リツが偶然、兄ジュウタロウとめぐり合い、徐々に人間らしさを取り戻しかけていた様子を仲間たちに語った。
「もしかしたら今回のことは……リツさんにも、どうしようもできなかったのかもしれない」
再びアカネが口を開く。
「リツさんがどこで選択を誤ったのか……あるいは、正しい選択をしていても、どうにもならなかったのか……アタシたちには、どうしたってわかるはずがない。マオさんたちの殺害にどこまで関与していたのか……止めることはできなかったのか……」
マオの名が出たことで、再び息が荒くなるオトハの頭を、そっとツグミが撫でる。アカネが続ける。
「でも、責任をとれるとしたら、それはリツさんしか……いいえ、シニガミマンティスただ一人しかいない。もう、それしか道は残っていないのよ。事ここに至ってしまったら、アタシたちが責任をもって、彼女を始末するしかない……!」
「ふぅん。やはり君はそういう考えで暗闇姉妹をしているのか」
「ハカセ!」
気が付くと、ジュンコもまた部屋に入ってきたところだった。
「やれやれ。言われた通りに、おばさんとやらに金を渡してきたよ。ケース一杯のあの金があればしばらくは楽ができたのに、惜しいものだねぇ」
「なによ、ハカセ!お金が欲しくてやっているわけじゃないのは、あなただって同じでしょ!」
「まぁ、それはそうだが……」
アカネに反駁されたジュンコがオトハに尋ねる。
「君も仕事に参加するのかい?」
「……うん」
「君が村田マオと一条キヨシの遺体をどこにどうしたのか……今はあえて聞くまい。だが、一度仕損じたせいで、京木たちはおそらく分散して身を隠しているはずだ。彼らを始末するには、さてどうしたものか……」
「もちろん、作戦は考えていますよ」
オトハはブリキの缶をジュンコに差し出した。
「これは?」
「杉原ナオミちゃんからの仕事料」
「誰だって?」
杉原ナオミについて、オトハが説明した。
「マオさんが保護していた、中学生の女の子だよ。母親の不倫相手から性的な関係を迫られて……拒絶したら、母親に頭からお湯をかけられた子」
「意味がわからないわ」
とアカネ。
「なんで母親がそんな……」
「わからない。嫉妬なのか……不倫相手を繋ぎとめるエサにしたかったのか……その両方なのか……このお金は」
オトハがブリキの缶を開いて、中に入っていた硬貨と紙幣を見せる。
「ナオミちゃんが、『行き場のない女性を支える会』の他のメンバーの家事を手伝ったり、子守をしたりして稼いでいたお金なんだ。いつかお金が十分に貯まったら、左目が失明したのはどうしようもないけれど、せめて顔の皮膚は治してもらおうと……そう思って……」
「そのナオミちゃんに、マオさんのことを話したのね。それで、彼女がそれを……アタシたちに」
ブリキ缶を受け取ったジュンコが、中の金額を数えた。
「1万5千319円だ。五人で分けて、一人あたり3千円ということで、いいかな?」
「どうするの、サナエさん?」
アカネにそう問われ、うつむいていたサナエが顔をあげる。しばらく瞑目していたが、やがてカッと目を見開いた。
「……やります。死んでいった人たちのために……ワタシたちに全てを捧げてくれた女の子のためにも……なにより、リツさん自身のためにも……」
サナエは皺だらけの千円札三枚を掴んだ。
「ワタシはやります!!」
アカネもまたその返事に満足そうにうなずくと、自分も3千円分の硬貨を手にした。
「手を結ぶのは弱者の涙だけ……アタシたちらしくていいと思うわ!」
オトハもまた金に手を伸ばす。ラップ越しに、赤く染まっている手首の傷が痛々しい。
「治さなくていいの?」
ツグミの問いにオトハは首を横に振る。
「今はまだ、いい。この痛みを、忘れないようにしたいから」
「そう……なら、必ず京木ユウジロウへ届けて。その痛みを」
ツグミが金に手を伸ばした時、ジュンコが彼女に尋ねた。
「そういえば、君が暗闇姉妹をしている一番の動機って、何だい?」
すでに氷の表情へと変わっているツグミが、それを一言で表した。
「怒りだよ」
「……そうか」
最後にジュンコが残りの金を、ブリキの缶ごと受け取った。
「悪いが、端数は私がもらうよ。タクシー代の足しにするからね。さて、オトハ君」
ジュンコが尋ねる。
「私たちに聞かせてくれるかい?君が考えた作戦というのを」
やがて日が傾き、夕日が神社の参道を茜色に染めていく。神社に集まっていた暗闇姉妹たちは、それぞれの持ち場へと移動を開始した。日が沈んで夜の帳が下りれば、それが彼女たちの仕事が始まる合図である。