真っ黒に煤けた時
リツのアパート。
そこには昨夜から京木ユウジロウが身を寄せていた。彼の仲間であるジョー、マツ、ヒデの三人もまた、自分たちの店には戻らず、分散して身を隠している。そんな時ではあったが、仲間の内で一番の若手であるヒデが、ユウジロウへメッセージを伝えるためにアパートを訪れていた。
「なんだと?」
ユウジロウが怒りの表情を浮かべる。
「白金組が、いまさら縄張りを譲れねえと言ってきたのか!?」
「そうなんです」
それは、ヒデが代理店長へ指示を出すため、一時的に『ミルクアンドハニー』へ寄っていた時のことだ。そこへ、白金組の組長付き、渡辺シンゾウという男が訪ねてきて、それを伝えたのだ。
「どうやら、まだ俺たちと戦争がし足りないようだな……リツが帰ってきたら、すぐにでも……!」
「ちょっと待ってください、京木さん。この話には続きがあって……」
シンゾウが言うには、京木が欲しがっている土地は譲れないが、他にも白金組の系列が所有している土地があり、それで手を打てないか?とのことだ。その交渉も兼ねて、今夜、白金組組長、白金ソウタロウの屋敷へ、京木たち全員を酒宴に招きたいという。
「酒宴?」
「これを機会に、今までの遺恨を水に流したいそうで」
「罠ではないのか?俺たちを一網打尽にするための」
「俺もそれを疑ったのですが……」
その交渉、および酒宴には黒波組の組長も招かれている。京木たちはヤクザではないが、黒波組の縄張りに店を立て、黒波組に上納金を収めていた。白金組が京木たちに手が出せなかった理由の一つが、黒波組が、いわば京木たちの庇護者になっていたことである。
「確かなのか?」
「はい。黒波組に探りを入れてみましたが、どうやら本当らしいというか……黒波の組長は、すでに今朝から白金ソウタロウの屋敷に入っています」
「なるほど、黒波組の前で俺たちを殺せば抗争になるのは必至。それに、黒波組としても、俺たちが勢力を拡大するとしたら上納金を増やすに違いない。その監視だと思えば不自然ではないか……」
京木はほくそ笑む。
「いいだろう。その話に乗ろうじゃねえか」
「リツ姐さんもつれていくんですか?」
「いいや」
京木は首を横に振る。
「前にも言っただろう、ヒデ。白金組の次は黒波組を喰らう、と。リツは切り札だ。まだ奴らに顔は見せねえつもりだ」
「前から思ってたんですが……」
ヒデが切り出した。
「なぜ、リツ姐さんは京木さんに服従しているんですか?」
「ん?お前には、まだ話していなかったのか?」
京木は、15年前にリツを保護した時の話をヒデに聞かせた。話の概要は、おばさんがツグミたちへ話した内容と同じである。
「へえ!」
ヒデが感嘆の声をあげた。
「それは、リツ姐さんが京木さんに惚れるわけですね!」
「……くくくっ」
「?」
突然笑いだした京木にヒデが怪訝な顔を見せる。
「ヒデ。この話には、実は裏があるのさ」
「裏?」
「リツの両親を殺したのはヤクザではない。本当に殺したのは……俺だ」
「えっ!」
京木が続ける。
「俺とリツの親父は、仕事の考え方の違いで対立していてな。あの夜、ついに引導を渡してやったというわけさ。その夜、あそこに現れたヤクザの男は、むしろ俺からリツたちを守るために、リツの親父と馴染みの組から派遣された護衛だ。そいつを撃ち殺し、リツも殺すつもりだった。だが、俺を憧憬の眼差しで見つめるあいつを見て思ったぜ。こいつは、仕込めば必ず使い物になる……と」
「それじゃあ……」
ヒデが慎重に、言葉を選びながら京木に問う。
「リツ姐さんは、自分の両親の仇を……両親の仇を討ち、自分を救ってくれた命の恩人だと思って恩返しをしているんですか?それはあまりにも惨い……」
「おいおい、お前まで甘っちょろい事を言うんじゃねえよ、ヒデ」
そう言ってヒデの肩をポンポンと叩く京木であったが、その力は普段よりも強かった。他言無用。言うまでもないことだろうな?という脅しが含まれている。
「いいか、ヒデ?女なんてのは、俺たち男とは別の生き物なんだ。優しくしても、つけあがるだけだ。お互いに利用し、利用される。それが全てだ。お前も自分の店を持ちたいのであれば、甘い考えは捨てることだな」
「……はい」
ヒデがアパートから出ると、ちょうど帰ってきたリツと鉢合わせになった。
「こんにちは、ヒデさん」
「……俺は、これで失礼します」
ヒデはリツと目を合わさずに、頭を下げてから足早にその場を去った。時々、ジョーやマツといった京木の仲間も同じような態度をとるが、その理由はリツにはわからないし、興味も無かった。
「ただいま帰りました」
「リツ」
京木ユウジロウがリツに尋ねる。
「何も言わずに、どこへ行ってたんだ?」
「サナエさんと会ってきました」
「中村サナエとか?」
「警告をしてきたんです。私に近づけば殺す、と」
「それでは足りない」
ユウジロウは命令を下した。
「中村兄妹を殺せ」
「……はい」
リツは、その理由を聞かなかった。聞いたところで、どうなるものでもないのはわかりきっている。ユウジロウもまた、理由をいちいち説明するつもりはなかった。
「ところで……その手にもっている木刀はなんだ?」
リツはユウジロウに背を向けて、二本の木刀をそっと撫でる。
「これは私の過去です」
「過去?」
「ユウジロウさん、ライターを貸してください」
アパートの庭に出たリツは、二本の木刀の周りに、枯葉や紙くずを集めて火をつけた。リツは、じっとそれを眺め続ける。やがて、自分の思い通りにならなかったことを、残念そうにつぶやいた。
「……簡単には、燃えないものですね」
そこには、ただ黒く煤けた木刀だけが残されていた。
犬神山神社の社務所では、サナエが布団もひかず、畳の上で横になっていた。ショックが大きかったのだ。ドアに背を向けて寝込んでいるサナエには、それをそっと開けて中に入ってきた者が誰だかわからない。が、察しはついている。
「アカネさんですか……?すみません、今は気分が優れなくて……ワタシは、とても戦える状態ではないと思います……申し訳ないのですが……」
「…………」
社務所に入ってきた人影は、何も答えない。
「ああ、もしかしてツグミさんでしたか?回復魔法をかけてくれるとしたら、気持ちはありがたいのですが……体ではなく、心の問題なんです……ダメダメなワタシで本当に……本当に申し訳ございません……!」
サナエの目から涙が流れ、ポタポタと畳の上に落ちた。そんなサナエの後ろ髪を、誰かがそっと手で撫でる。その人物から血の匂いを嗅ぎとったサナエは、驚いて体を起こし、振り向いた。同時に、自分が語りかけていたのがアカネでもツグミでもなかったことを悟る。
「オトハさん!?」
「やあ、おギンちゃん。具合が悪いところ、ごめんね」
オトハは昨夜見た時と同じ格好のままだった。憔悴しきったような顔だが、そう言って『おギン』ことサナエに微笑みかける。その左手首には、真っ赤に染まった包帯が巻かれているが、それでも止血が十分にできなかったため、食品用の透明なラップでぐるぐる巻きにされていた。




