斬首の時
駅前のビルから慌てて外に出るオトハに一人の男が駆け寄ってきた。
「ついてくるなって言ったのに!」
渡辺シンゾウである。彼は申し訳無さそうに頭を下げると、オトハに尋ねた。
「村田マオに何かあったんで?」
「わからない。けれど、外へ出ていったきり帰ってこない。何か悪い予感がするんだ」
シンゾウはしばし悩んだ後、一枚の紙切れをオトハに手渡した。
「なにこれ?」
「へい。京木の奴、第三埠頭の倉庫を一つ貸し切ってやして、その地図です。普段は無人ですが、もしも村田マオをさらったとすりゃ、隠せるのは店かそこだけですぜ。店の方は、あっしが探りを入れてみやしょう」
女であるオトハは、客として風俗店に入ることができないからだ。
「オトハさん、くれぐれも危ねえ真似はやめてくださいよ。この情報は、本当なら外に出しちゃいけねえことになっていたんですから」
「ありがとう。シンさんも気をつけて」
スクーターで走り去ったオトハは、シンゾウがどうして都合よくこんな資料を持っていたのか、その理由をずっと後になってから知ることになる。
はたして、マオが連れ去られてきたのは埠頭にある倉庫の方だった。すでに意識は回復していたマオだったが、両脇を黒ずくめの男二人に固められているため、逃げ出すことはできない。目出し帽をすでに脱いでいる男たちの顔には見覚えがあった。ということは、まもなく自分は、ある男の前に引きずり出されるのだろう、とマオが悟る。
「京木ユウジロウ……」
思い出したくもなかった名前を、マオは憎々しげにつぶやいた。
やがて車が停まり、マオは男たちに倉庫の中へと引きずり込まれていった。エアコンの効いた事務所らしき空間に入ると、高級スーツに身を包んだ、30代のハンサムな男が振り返る。
「ご苦労だったな、みんな。そして……久しぶりだな、マオ」
「…………」
ありったけの憎しみをこめて睨みつけるマオに、京木ユウジロウはブランデーの入ったグラスを差し出した。
「俺たちの再会を祝して、一杯どうだ?」
マオはグラスをそっと受け取ると、その中身をユウジロウの顔にぶちまけた。
「あっ!おい!」
「……いや、いいんだ」
ユウジロウはそう言って仲間をなだめる。
「ありがとう。おかげで少しスッキリしたわ」
マオがテーブルに空のグラスを置くと、ハンカチで顔を拭いていたユウジロウが笑った。
「昔よりも気が強くなったらしいな」
「ええ。誰かさんのせいで地獄を見せられたから」
マオがくってかかる。
「昔はあなたの事を愛していた。どうしてもお金がいるからって、身を売ってまであなたに貢いだわ。でも、いつか一人前の男になったら結婚しようと約束していたあなたは、なんのことはない、私を働かせていた風俗店のオーナーだったんじゃない!」
マオは左手のリストバンドを外した。そこには、ずっと消えない傷口が残っている。マオが手首の動脈を切り、自殺しようとした印だ。
「その時の絶望が、あなたにわかる!?今さらなんの用なの!?」
「白金組から縄張りを奪う……」
マオの気持ちなど意に介さないかのようにユウジロウが語りだす。
「店も立てる。だが、いくら土地と店が立派でも、女がいなけりゃ話にならないからな」
「また私に働けっていうの……!?」
「お前は指名数ナンバーワンだったからなぁ。見たところ、今でも十分イケるだろう」
ユウジロウが舐め回すように自分の体を見るのは、マオにとって嫌悪感しかなかった。
「だが、欲しいのは一人や二人ではない。一度にたくさんの女を集める方法を……ふふっ、お前が見つけてくれていたのさ」
「なにそれ……?どういう意味なの……!?」
「行き場のない女性を支える会……だったか?」
「!」
ユウジロウがその会の名を口にした時、マオはようやくその意図を察した。
「また店で働かせられたくなければ、私に、会のメンバーを売れって言うの……!?」
「いや、ちがうな。お前が集めた女たちにも働いてもらうし、お前にも働いてもらう。俺は、欲深い人間だからな」
「そんな……」
「お前が頑張れば頑張るほど、金に不自由する女が集まってくる。俺はそいつらを店で働かせる。お互いにとって、悪い話ではないだろ?」
「この外道!!」
思わずマオは叫んでいた。
「人でなし!!誰があなたなんかに協力するものですか!!」
「いや、協力するようになる。今お前は一条という刑事と付き合っているらしいな」
「!?」
その名前を聞いて、思わずマオは怯む。
「あの人は関係無いでしょ!」
「ああ。金にはならない。だが、お前を操る手綱としては、どうかな?」
「…………ふふふふ」
「ん?」
「あはははは!」
突然笑い始めたマオに、ユウジロウは眉をひそめた。
「どうせ、協力しなければ私の過去を一条さんにバラすとか言って脅すつもりだったんでしょ?お生憎様!あの人は全部知っているわ!」
「そうなのか?」
「ええ、そうよ!自殺未遂で、病院へ運びこまれた私に寄り添ってくれたのが一条さんだった!親身に相談に乗ってくれたわ!私のために仕事も探してくれて……私が『行き場のない女性を支える会』を作ろうと思ったのも、彼のおかげよ!」
マオは続ける。
「一条さんは、あんたが殺人事件の黒幕ではないかと疑って、ずっと探っていたわ!私を誘拐したのは間違いだったわね!あんたを逮捕する口実ができたんだから!あんたたちはもうおしまいよ!!」
「そんなに一条を頼りにしているのか」
「ええ、そうよ!」
「そんなに一条の事が好きか」
「ええ……何なの?さっきから……まさか……!」
「おい」
京木が顎で仲間三人に指示すると、やがて彼らは頭に黒い袋を被せられた一人の男を連れてきた。その男性は、彼自身の携行品である手錠によって両手の自由を奪われている。
「やめろ!何をする!?離せ!!」
「その声は……!?」
そうつぶやくマオの前で、一条の頭から袋が取られた。
「マオさん!?」
「一条さん!」
「ふはははははっ!」
京木が勝ち誇るかのように笑い声をあげる。そんな彼に、一条が声を荒げた。
「お前が京木ユウジロウか!やっと会えたな!」
「ああ。そして、もう会う事は無いだろう。捜査から手を引きな。さもなければ……」
「マオを殺すというのか!?」
「それができる暴力装置を俺は持っている」
魔法少女による殺人を仄めかしているのは、それが立件不可能だと、たかを括っているからだ。
「諦めろ、一条。どうせ無理な事だったんだ。それに、マオ。俺に逆らうと一条がどうなるか……わかっているな?」
「くっ……!」
「マオさん!そんな奴の言いなりになっちゃダメだ!」
「まだ聞きわけがないらしいな」
京木は、仲間のジョー、マツ、ヒデの三人へ声をかける。
「マオに、男の体というのがどんなだったか思い出させてやりな。一条の目の前でなぁ」
うなずいた三人は、マオと一条を事務所の奥へと引きずっていった。
「いやあああああっ!!」
「くそっ!離せ!!このケダモノどもめ!!」
二人の絶叫は、この広い埠頭の敷地内では誰の耳にも届かないだろう。
「やれやれ、だ」
そう呟きながら、一人になったユウジロウはブランデーを再びグラスに注ごうとする。その瞬間、何か閃光のようなものが走り、ボトルの首が飛んだ。
「なっ!?」
ユウジロウが驚いて後退りする。彼のそばには、いつの間に来たのか、魔法少女姿のリツが立っていた。
「……よく、ここがわかったな」
「ユウジロウさん……」
リツの右手には、抜き身の刀が握られたままだ。
「どういうことですか?村田さんに、何か酷いことをするつもりなのですか?私を……騙したのですか?」
リツの刀で切断されたボトルの断面には、ヒビ一つ入っていない。ユウジロウは、そのままブランデーをグラスに注ぐと、それを無言で飲み干した。




