少女の願いを聞いた時
貸し会議室のドアを誰かがノックした。
「はーい」
眼鏡の中年女性がパソコンによる作業を中断し、入口へと向かう。
「どうも、こんばんは~」
ドアを開けた先にいたのは、ホットパンツにへそ出しシャツの、ボーイッシュな雰囲気の少女だった。和泉オトハである。自分の名前をその女性に告げた後、オトハは中を見回しながら尋ねた。
「村田マオさんは?今夜はこちらに来られていないのですか?」
「すみません、先ほど出かけられたところですね~」
「一人で、ですか?」
「いいえ。あなたと同じようにマオさんを訪ねて来られた女性の方と、少し外でお話ししてくるそうです。まぁ、よくあることですよ」
それを聞いてオトハは安心した。もしも一人だったり、男性に連れ出されたと聞けば、すぐに外へ飛び出していただろう。
「きっとすぐに帰ってきますよ、中で待っていてください」
「ああ、はい。それでは……」
オトハが靴箱にサンダルをしまってスリッパに履き替えていると、顔に包帯を巻いた少女と目があった。中学生くらいだろうか?とオトハが考えていると、少女はすぐに目をそらす。
「それで……」
「はい?」
「何かお困りのことがあって来られたのですよね?」
眼鏡の女性が資料の束を持ち出してきた。クリップで、弁護士のものと思われる名刺も挟んである。
「恋人からのDVですか?それとも家庭の不和?職業訓練校の手続きであれば、私も通っているので何でも……」
「あー、うーん、そのー……」
オトハはそういう相談がしたくて訪ねたわけではない。だが、冷やかしだと思われたくなかったオトハは、先ほど目があった女子中学生に近づいた。
「おー、勉強を頑張っておりますなぁ。感心感心」
「?」
包帯の子も、眼鏡の女性も不思議そうな顔をする。
「いや、実は私、現役の高専生なのですが、マオさんとはプライベートで友人でして」
ここまでは嘘ではないだろう。
「彼女からちょっとした教師役を頼まれたんですよ。はははは」
「なぁんだ、そういうことですか」
眼鏡の女性もつられて笑った。
「よかったわね、ナオミちゃん」
それが包帯の子の名前らしい。先ほどからそうだが、その言葉を聞いてもニコリともしなかった。
「それじゃあ、お願いしますよ和泉先生」
「いやいや、先生だなんて恐縮至極」
オトハは上機嫌でナオミの隣に座った。とにかくこれでマオが返ってくるまで時間を潰せるだろう。それに、もしもしばらくマオを見守ることにするとしたら、本当に教師役を請け負ってもいいかもしれない。
「和泉オトハだよ~」
「……杉原ナオミ」
少女が短く自己紹介をする。
「学校の宿題をしているの?」
「……学校には行ってない」
「どうして?」
「……みんな、私の顔を怖がるから」
オトハが言葉を詰まらせると、少女はシャープペンシルの先でノートに書かれた数式を叩いた。
「ここから先の解き方がわからないの」
「あー、それは一度、素因数分解をしてみて」
「素因数分解って?」
「うん、数字を書いて、まずは2から割っていけば……」
オトハはマジメに指導する。ナオミは時々、包帯が被っていない右目を手でほぐした。
「……こうしたら、少しの間はよく見えるから」
「…………」
「……お母さんから、お湯をかけられた。左目はもうダメだけど、右目がダメにならなくて、よかった」
「……うん」
オトハはやっと、それだけ口にする。いたたまれなくなったオトハは、顔を上げて壁時計を見た。
「あれ?もう30分たったのか~。マオさん、まだ帰ってこないのかなぁ~?」
「ねえ、和泉先生」
ナオミがオトハの目を見つめる。
「マオさんの友だちなんだよね?」
「う、うん。そうだよ」
「さっき誰かが……女の人が訪ねてきた時……マオさん、目が変だった」
「目が変?」
「うまく言えないんだけど……」
ナオミが少し考えて、そして口にする。
「怖がっていたような……それでも、何かの責任をとろうとしていたような……」
「怖がっていた……?責任をとるって……」
「先生……お願い……」
オトハはしばらくの間、その言葉の意味を考えた。やがてオトハは、無言で立ち上がった。
マオとリツの二人が夜道を歩き続ける。
指定された場所は、農道沿いにある潰れたうどん屋だ。そこへ近づくほど外灯は減っていき、人目につかなくなっていった。
「あの……リツさん……?」
「…………」
マオが恐る恐るリツに声をかける。先ほど読んだ紙の内容によると、余計な事を口にすれば殺されることになるし、おそらくナオミたちも血祭りにあげられるはずだが、リツは何もしてこなかった。
「これって……何かの冗談ですよね?」
「…………」
リツは無言でマオの後ろを歩き続ける。
「リツさんが魔法少女だなんて、嘘なんですよね?」
「…………」
リツの足が止まった。喋りすぎたのか……!?と、戦慄しながら振り返るマオであったが、もう言葉を止めることができなくなっていた。
「おかしいですよ、リツさん!リツさんって、そんな人だったんですか?簡単に人を殺せるものなのですか!?」
「私は……何も言うなって……」
「えっ……!?」
リツも、悩みながら言葉を続ける。
「私は……あなたに紙を渡せばいいって……マオさんが全て事情を知っているから、何も言わずに、ついていけばいいって……」
「それって、どういう……!?」
その時、トロトロと農道を走ってきた白いワンボックスカーが、突如歩道に向けて急ハンドルを切った。
「アっ!!」
マオが車体に突き飛ばされて転倒する。すぐさまワンボックスカーから、目出し帽で顔を隠して黒ずくめの三人組が降りてきた。
「よし、いいぞ!すぐにこいつも車に……つぁっ!?」
男の一人が肩に激痛を受けた。リツの仕業である。
「なにをなさるのですか」
リツはいつの間にか魔法少女としての白い着物姿に変身し、男の肩を峰打ちで打った刀を返すと、その刃を首に突きつけた。
「待ってください!リツ姐さん!」
「えっ、その声……」
「俺ですよ!」
男はリツの刀に気をつけながら目出し帽を脱いだ。
「マツさん?」
「ジョーやヒデも一緒です」
「どうして?いったい何を?」
「京木さんからの命令ですよ」
「ユウジロウさんが……!?」
リツが気をとられている内に、ジョーとヒデの二人でぐったりしているマオを車内へ担ぎ込んだようだ。マツは軽く頭を下げると、車へ飛び乗って急発進させた。
「ユウジロウさんが……そんな……仕事のパートナーを迎えに行くだけだって言っていたのに……」
そう、リツは何も聞かされていなかったのだ。殺しの仕事はもうしなくてもいいと言われて喜んでいたリツに、京木の言葉を疑う理由は、何も無かった。