失恋の時
時刻は18時を過ぎた。夕陽を浴びる城南署前のバス停に、一人の少女が座っている。
和泉オトハだ。要するに昨日と全く同じ行動をとっているわけである。が、格好は違った。へそ出しの黒いシャツにホットパンツの組み合わせは、オトハの感覚からすると、肌の露出が多すぎる気がした。選んだのはアカネである。
「性的に欲求不満なのはアッコちゃんの方じゃないの……?」
デパートで試着してみた時、思わずそうつぶやいたものだ。
(私はどうしてここに来たのだろうか?)
そうオトハは自問してみる。魔法少女と人間の理想の関係とはなんなのか?そんなものオトハにも見当がつかなかった。だが、これは一人で悩むべきことなのだろうか?と思う。一条キヨシに自分の正体を軽率に明かすわけにはいかないが、それでも彼が自分のことをどう思っているのか、それをハッキリさせたい。オトハは、今の自分の行動をそう分析した。
いつまでたっても、一条キヨシは現れない。昨日と違って、村田マオもいなかった。
「……そっか、今日土曜日だもんな」
警察官の勤務日程などオトハは知らないが、休日だったのかもしれない。オトハは携帯電話を取り出して、それをしばらく見つめる。やがて意を決したオトハはある番号にかけた。
「……もしもし」
「キヨシ君?」
「ああ、オトハちゃんか」
電話越しのキヨシの声は、ひどく眠たそうだ。
「どうしたの?昼寝にしてはずいぶん遅くまで寝てたんだね」
「いや……今夜、張り込みをするから今のうちに寝ておこうと思って……」
「あっ、ごめん!邪魔するつもりはなかったんだ」
「今は……」
電話の向こうでガサゴソとキヨシが動く。
「6時半か。いや、ちょうどいい時間だよ。そろそろ準備して出ようかな」
「そっかぁ、張り込み頑張ってね」
「ありがとう」
「…………」
「…………」
キヨシが沈黙を破った。
「オトハちゃん。何か用事があって僕に電話をかけたんじゃなかったのかい?」
「あっ……!ああ、うん、そうだった」
オトハが恐る恐る尋ねる。
「聞きたいことがあるんだ」
「うん」
「私のこと……」
そう言いかけてから言葉を変える。
「……もしも私が、キヨシ君のことを好きだと言ったら、どうする?」
「もしもオトハちゃんがそう言えば……」
しばし間が開いた。
「僕も好きだと答えるかな」
「そうなんだ」
「僕は城南にずっといる予定だし、休みの日にも会えると思う。今はちょっと忙しいけれど、そうだな……」
やがてキヨシが続ける。
「ボーリングとかは好きかい?」
「ボーリング?」
「あるいは、カラオケとか、映画館に行くとか。そうだ、オトハちゃんならゲームセンターも好きなんじゃないか?落ち着いたら、一緒に行こうよ」
「それって……」
キヨシも鈍感では無い。オトハが自分に好意を寄せていることに気づいている。そして、キヨシがこういう返答をした理由もまた、オトハもわかっていた。オトハは念を押すように尋ねた。
「私たち、ずっと友達だよね」
「ああ、友達だ」
「…………」
「オトハちゃん?」
オトハは目を擦ってから口を開いた。
「ねえ、もしもマオさんより私の方が早く再会していたら、友達ではなかったのかなぁ?」
「わからないよ、そんなこと。でも……久しぶりに会った少し大人になった君は、すごく綺麗になっていたよ」
「そっか……ありがとう」
オトハはずっと携帯電話を耳に当てていた。
「ありがとう、キヨシ君。久しぶりにあった君は、すごくカッコいい男になっていたよ。マオさんと、よく似合うくらいに……」
電話は既に切れている。それは、オトハの独り言であった。
オトハが携帯電話をしまうのを見計らって、若い二人組の男が声をかけてきた。
「ねえ、お嬢ちゃん。今の彼氏ぃ?」
「ふられちゃったの?」
「今から俺たちと遊びにいかない?」
「は?」
オトハは顔をしかめる。
「あなたたち誰?」
「俺はカズで、こっちはヒロ」
「いや、名前だけ言われても……」
要するに、ナンパか。もちろん、オトハはそれに応じるつもりはない。
「悪いけど、あなたたちに興味が無いし、そんな気分でもないよ。他をあたってよ」
「そんなつれないこと言うなよ〜」
「面白いところへ連れて行ってあげるからさぁ」
「しつこいなぁ!行かないってば!」
「そのへんにしときな、若いの」
「あ?」
若い男二人はドスの効いた声に反応して振り返った。そして、顔がひきつる。いつの間にか自分たちの後ろに立ち、小柄ながらも筋肉質で、茶色のサングラスをかけたその男は、どう見ても本物のヤクザであった。
「ひぇ」
「す、すんません!」
「お前ら、いったい誰に声をかけてると思ってやがる」
「え?誰って……」
「わーっ!わーっ!」
オトハが大声で誤魔化そうとした。
「私は誰でもない!誰でもないから!ほら!二人とも今日は帰りなよ!」
「あ、ああ」
「失礼します」
男たちはヤクザに頭を下げてその場から退散した。それを見届けた渡辺シンゾウが、サングラスを外してニコニコとした表情をオトハに向けた。
「こんばんは、お嬢!」
「もう!『お嬢』は禁止だってば!……何か用?」
「何か用とは、ずいぶんなご挨拶じゃありませんか」
シンゾウが困ったように頭をかく。この組長付き兼オトハの世話役を務めていた男は、それでも笑顔を崩さなかった。
「キヨシぼっちゃんを見張れと言ったのはオトハさんですぜ?」
「私、見張れって言ったっけ?見守れの間違いじゃない?」
「この際どっちだっていいんですが……」
「あれ?じゃあなんでここにいるの?」
「キヨシぼっちゃんは、今日は徹夜して京木ユウジロウを見張るつもりでして……」
さきほど一条キヨシが言っていた張り込みとはこの件だろう。
「ベテランの馬場という刑事と一緒ですから、大丈夫でしょう。俺が周りにいると邪魔になるでしょうし、下手すりゃあしょっぴかれちまいますよ」
逮捕されかねないという意味である。
「それなら仕方ないなぁ」
「昨日はキヨシぼっちゃんを村田マオと取り合ってやしたね」
「……見てたの?」
「そう指示したのはオトハさんですぜ」
その通りすぎて、さすがにぐうの音もでない。
「村田マオについて調べやした。もしもお望みなら、彼女の弱点は……」
「やめてよ!そんなつもりなんかないよ!」
「この際どっちだっていいんですが……」
シンゾウの顔から笑顔が消えた。
「村田マオは京木ユウジロウに狙われていますよ」
「京木って……前に言ってた白金組に喧嘩を売った人?」
「昨日、京木の仲間がキヨシぼっちゃんを尾行してたんです。あっしは逆にそいつを尾行しました。ですが、急にターゲットを変えまして、その男。てっきりオトハさんを狙ってるのかと思ったんですが、奴は村田マオの方を嗅ぎ回っているようでした」
「マオさんが……どうして……?」
「聞きたいですかい?つまりそれは、村田マオの弱点にもなりますが」
オトハはしばらく悩んだが、マオを放っておく気にはなれなかった。
「教えてくれない?あの人、過去に何があったの?」
そしてシンゾウからマオの過去を聞いたオトハは絶句した。そして、おそらく京木ユウジロウがマオを狙っているとしたら、その過去が原因だ。
「マオさんに会いに行ってくるよ」
オトハはマオの連絡先は知らないが、以前『行き場の無い女性を支える会』のチラシを受け取っている。おそらくは、それが手がかりになるはずだ。
「ついてこなくていいから」
オトハはシンゾウにそう命令すると、スクーターに乗ってその場を後にした。