告白の時
音無リツは病院の入り口に立っていた。
無論、目的はジュウタロウである。よく考えてみれば、彼の見舞をしなかったのは昨日一日だけだ。だが、それが妙に長い時間だったような気がするリツは、入るのに躊躇している。そうやって迷っていると、入り口から中村ジュウタロウの同僚の婦警、氷川シノブが出てきた。
「あ!おはようございます、音無さん!」
「おはようございます、氷川さん」
「中村さんのお見舞いですか?」
「えっと……その……」
「まったく困った人ですよ、中村さんは。音無さんからも叱ってあげてくださいよ」
「え?」
氷川から何があったのかを教えられたリツは、すぐさまジュウタロウの病室へ向かう。
「ふふっ、本当に一途な人なんですから」
氷川は笑みを浮かべて、リツの背中を見送った。
リツがジュウタロウの病室へ入ると、はたしてジュウタロウは氷川が言っていた通りの状態になっていた。
「ああ。おはようございます、リツさん」
「ジュウタロウさん……」
ベッドで寝ているジュウタロウは、右足にギブスをはめられ包帯で宙吊りにされている。骨折しているのだ。
「氷川さんから聞きましたよ」
その理由を、である。
「階段から転んで落ちたとか……」
「いやあ、まったく不注意で面目ないことです」
ジュウタロウは「ハハハ」と笑うが、リツからすれば笑いごとではない。
「まだ怪我は治ってなかったのに、どうして階段を使ったんですか?」
「どうしてって、階段を使わないと一階へ降りられないでしょう」
「そうじゃなくて、エレベーターは?」
「エレベーター?ああ、なんだか私一人で使うにはもったいない気がしまして」
さすがにリツもあきれた。病院の電気代を心配する患者がどこにいるだろうか。リツはしばらく沈黙していたが、やがて意を決してジュウタロウのギブスに手を当てた。
「ジュウタロウさん。こんな怪我は、なんてことはありません。私を連れ出してください」
「なんてことはないと言いましても、医者は一月は歩けないと……あれ?」
リツがギブスに当てている手が光を放つ。ジュウタロウは、自分の骨が繋がっていく感覚を味わった。
「リツさん、これはいったい何ですか?」
「これは回復魔法です」
「どうしてリツさんが魔法を使えるんですか?」
「それは私が……」
リツは恐るべき力でジュウタロウのギブスをバリバリと剥がしていく。
「それは私が、閃光少女だからです」
「なるほど、そういうことですか」
素直にうなずくジュウタロウを見て、リツが尋ねた。
「疑わないのですか?」
「リツさんの言うことを疑うわけがありませんよ」
「いや、そうじゃなくて……」
暴力団構成員殺害事件の犯人だと疑わないのか?とリツは聞いたつもりだったのだ。だが、中村ジュウタロウの脳内では、犯人が魔法少女で、リツが魔法少女だったとしても、それがイコールで繋がる理由を持っていない。
「私が人を殺している、と……」
「どうしてですか?閃光少女は、人間を守る存在でしょう」
「私も……」
リツは一瞬、喉をつまらせる。
「私も、そう思います」
リツは半ば引きずるようにして(もちろん、今度はエレベーターを使って)ジュウタロウを病院の外へ連れ出していった。途中、すれ違った看護婦たちが目を見張ったのは言うまでもない。
「あなたを連れ出してくださいと、そう言っていましたね?」
実際に連れ出されているのは、そう尋ねるジュウタロウの方であるが。
「それじゃあ、近くの公園にでも行ってみますか」
「はい」
ジュウタロウは健康そのものになった体で病院の駐輪場を目指す。事前に刑事課の一条に頼んでいた通り、そこにはジュウタロウの自転車が停めてあった。それにまたがると、ジュウタロウは振り返ってリツを手招きする。
「後ろに乗ってください」
「あっ……はい」
リツは言われた通りにする。ジュウタロウが両足を地面からペダルへと移した瞬間、自転車はガシャーン!と勢いよく横向きに転倒した。
「あ痛たたたたた……」
「ジュウタロウさん」
「すみません、リツさん。二人乗りは慣れていなくて……次は大丈夫です」
立ち上がった二人が再び自転車に乗る。ジュウタロウが両足を地面からペダルへと移した瞬間、自転車はガシャーン!と勢いよく横向きに転倒した。
「あ痛たたたたた……」
「ジュウタロウさん?」
「リツさん、申し訳ないのですが……」
自転車に乗るのは諦めましょう、とは言わない。立ち上がった二人が再び自転車に乗る。
「後ろから私をしっかり抱きしめてくれませんか?」
「えっ……ジュウタロウさんを?」
「そうすれば倒れないと思うんです」
リツはジュウタロウの背中を抱きしめる。その大きな背中は、ラーメンの匂いがした。
「リツさんの体、ずいぶん熱いですね」
「ジュウタロウさんのせいです」
「少し走れば、風に当たって冷えますよ」
たどたどしく、ゆっくりと進みだした自転車は、二人の熱を冷ますことはできなかった。
公園についたジュウタロウは、ここでやっと、リツが手から血を出していることに気づく。さきほど自転車で転んだせいだろう。
「ああ、こりゃいかんですな」
ジュウタロウは水飲み場でハンカチを濡らすと、その傷口をそっと拭いた。
「リツさんの回復魔法で治せませんか?」
「いいえ。自分の怪我は治せないんです」
「それは困った能力ですな」
「いいんです」
リツは首を振る。
「私以外の誰かを治せるなら、それで、いいんです。私、今度からはそうやって生きていきたい。私は、閃光少女の音無リツは、今日から人類の味方です」
では過去は違ったのか?とはジュウタロウは聞かない。赤ベコのように、うんうんとうなずくだけである。
「私もそれがいいと思います。リツさんの活躍を、不肖中村ジュウタロウ巡査、いつでも見守っていますからね」
「どこで見守るんですか?」
「呼んでくれれば、どこだって」
リツはしばらく沈黙して、自分の手を拭き続けるジュウタロウをじっと見つめた。やがてリツは、今日どうしても伝えたかった事を彼に伝えることに決めた。
「ジュウタロウさん。私を、あなたのそばにずっと……」
「ああ、こんなところにいたのですか!」
突然の声にジュウタロウとリツが同時に振り返る。高級スーツに身を包んだ、髪をオールバックにまとめたハンサムな30代の男。にこやかに笑いながら近づいてくる男の顔にジュウタロウは見覚えがない。だが、リツはもちろん、その男が誰かを知っていた。
(ユウジロウさん……!?どうしてここに……!?)
ユウジロウは慇懃にジュウタロウへ挨拶をする。
「お初にお目にかかります。俺は、音無ユウジロウと申します。妹のリツが大変お世話になっております」
「ああ、リツさんのお兄さんでしたか」
「中村さんの話はかねがねリツから聞いております。せっかく妹を助けていただいたというのに、仕事が忙しかったばかりに、挨拶が遅れてしまって……」
「失礼ですが、ご職業は?」
「はい。マッサージ店の店長をやらせていただいております」
物は言いようである。ユウジロウは腕時計をチラリと見た。
「そろそろお昼ですね。よろしければ、一緒に食事でもどうでしょうか?」
「ええ、そうですな。それでは行きましょうか、リツさん」
「えっ、あっ……はい……」
目の前の男は音無ユウジロウでもなければ兄でもない。しかし、それを言い出せなかったリツは、二人の運命の男の後を、黙ってついていくしかなかった。