ビキニの時
翌朝、西ジュンコの工場。
訪れたオトハが開きっぱなしのシャッターをくぐると、ちょうどサナエが自分のバイクを整備しているところだった。
「おはおは~」
「あれ?オトハさん?」
サナエが首をひねる。
「学校はどうしたんですか?」
「なに言ってるのさ、おギンちゃん」
オトハはサナエをそのあだ名で呼ぶ。
「今日は土曜日だからお休みなんだよ」
「土曜日でも午前中は授業でしょう?」
「古いな〜おギンちゃんは」
多くの学校で土曜日が完全に休みになったのは2002年からのことである。サナエはもう高校を卒業しているので、その事をオトハから初めて聞いた。
「へ~なるほど~」
「ハカセは?今日はいないの?」
ハカセは西ジュンコのあだ名だ。
「野暮用があるそうで。午前中は留守ですね」
「ふーん、そっかー。車でデパートまで送ってもらいたかったけど、仕方ないなー」
サナエはいつものライダースーツではなく、作業ズボンを履き、上はシャツ一枚でT型レンチを握りしめている。オトハが抗議した。
「ちょっと!おギンちゃん!ブラジャーくらい付けてよ!」
「え〜?」
サナエが困ったように頭を掻く。
「そう言われましても、この時期は汗疹が出ますから……」
「ちょっとセクシーすぎるよ!それじゃあ!」
「もう、仕方がないですねぇ」
そういうと、オトハから見るサナエの胸元が、いわゆる、普通の状態になった。
「えっ……?」
「ワタシが普段使っている変身能力のちょっとした応用ですよ」
「ああ、ブラジャーがあるように見せかけてるんだ」
悪魔人間であるサナエの能力、それは他人に変身することだ。衣服すらコピーすることができる。オトハが納得したところでサナエは自分の作業に戻ろうとしたが、オトハは勢いよく工場の外に飛び出すと、自分のスクーターの座席の収納スペースから、女性向けファッション誌を取り出して戻ってきた。
「おギンちゃん!ちょっと私に変身してよ!」
「えっ!?オトハさんに?」
「この雑誌の服を着てみてほしいのさ!どれが似合うか試してみたいから!」
「う〜ん、しょうがないですね〜」
そうぼやきながらもサナエはオトハの姿を完全にコピーしてみせる。実はオトハの姿には以前にもなったことがあるのでお手のものだ。
「じゃあ、まずはこんなのでどう?」
「ふむふむ?」
オトハがファッション誌のページを指さす。青いスカートにシースルーの上着は、昨晩の村田マオとよく似ていた。サナエが化けているオトハの衣装が、雑誌の衣装そっくりに変化する。
「うーん……やっぱり私にはこういうの、似合わないなぁ……」
「そうですか?ワタシは悪くないと思いますけどねぇ」
サナエもまた、オトハに変身した自分の姿を鏡に映して首をひねっている。
「では、浴衣なんてどうでしょうか?」
そういうとサナエは浅黄色のさわやかな浴衣姿にチェンジした。
「かわいいじゃないですか!」
「悪くはないけれど……和風かぁ……」
オトハが難色を示したのは、自分の父親、白金ソウタロウの着流し姿を連想させるからだ。再びサナエが別の衣装に変わる。
「おギンちゃん!マジメにやって!」
「えっ!?」
「ビキニで外を出歩けるわけないじゃん!」
「そ、そうですか~?」
水着姿のオトハ(サナエ)は鏡を見ながらつぶやいた。
「かわいいと思いますけどねぇ」
「痴女だよ、それじゃあ!」
「では、別の服に……」
「ちょっと待って」
オトハはオトハ(サナエ)をまじまじと見つめた後、少し小声になって尋ねた。
「胸を大きくすることはできる?」
「できますよ……あっ、はい?」
返事をした後でサナエは耳を疑う。
「そんなことをして何の意味があるんですか?」
「い、いいんだよぉ!最近はその……大きく見せることができるブラジャーだってあるんだからさぁ!」
ヌーブラが発売されたのも、ちょうど2002年からであった。
「それじゃあ、やりますよ。けど、どれくらい大きくしたらいいんですか?」
「……Dカップくらいに」
サナエが首をかしげた。
「そんなこと言われても、わかりませんよ。具体的に、誰みたいにしたらいいんですか?」
「それじゃあ……アッコちゃんくらいに」
アッコちゃんとは、彼女の親友である鷲田アカネのことだ。身長170cmの女傑であり、暗闇姉妹の一人、閃光少女グレンバーンでもある。
オトハのリクエスト通り、オトハ(サナエ)の胸が膨らむ。だが、かなり違和感があった。
「おギンちゃん!マジメにやって!」
「えっ!?マジメにやってますよ!」
サナエは、今度はビキニのアカネになって見せた。
「そもそも、アカネさんとは骨格からして違うんですから仕方がないですよ!」
「…………」
「…………」
オトハはビキニ姿のアカネ(サナエ)をまじまじと見つめた。アカネ(サナエ)もまた、鏡で自分の姿を見つめる。やがて振り向いたアカネ(サナエ)は、オトハに向けて、胸を強調するポーズを見せつけた。
「うっふ~ん!」
「あははははははっ!!」
「お色気の術~!なんちゃって!」
こうなると本来の目的もなにもあったものではない。サナエは、今度は看護婦姿のアカネに変身する。
「お注射の時間でーす!」
次は婦警だ。
「悪い子は逮捕しちゃうわよ!」
そしてメイド服を着たアカネに変身した時には、オトハは笑いすぎてお腹が痛くなっていた。
「おかえりなさいませ、ご主人さま!お風呂にしますか?ご飯にしますか?それとも……ア・タ・シ?」
「あははははっ!!おギンちゃん、もうやめて!!腹筋が死ぬ~!!」
「ハッ……!あわわわわ……!」
「ん?おギンちゃん、どうした……?」
「おらあっ!!」
「ぎゃっ!?」
オトハの目から火花が飛んだ。本物のアカネから頭頂部に本気で手刀を打ち込まれたからである。激痛に頭を抱えるオトハが視線をあげると、アカネ(サナエ)がアカネにヘッドロックをかけられているところだった。
「きゅ~っ!!」
「人の体で遊んでるんじゃあないわよ!!」
「アッコちゃん、どうしてここに!?」
「アタシだって今日は休みよ!!」
一通り制裁を受けたオトハとサナエ(もちろん元の姿)は、怒れるアカネを前にして、正座をして神妙に事情を話した。
「……ファッションねぇ。でも、変よ。オトハって、そういうのに執着しないタイプだったじゃない」
「いや~オトハちゃんも年頃の女の子ですから~……なんちゃって」
アカネが拳をボキボキと鳴らすと、サナエがオトハにささやいた。
「オトハさん、今さら隠し事をするのは、その……命にかかわりますよ……」
「ああ……うん。それじゃあ、言うけどさぁ……」
オトハは最近あった出来事を話した。警察官になっていた幼なじみの一条キヨシと再会し、彼と親しくなろうとしたが、同じように気持ちを寄せる村田マオという女性がいたことを、だ。
「そういうことなら、折角だし三人でデパートに行きましょうよ。アタシも自分の服を買いたいところだったの。サナエさんの整備が終わるまで、二階で待っているわ」
「そうしますか。あと30分くらいで終わりますから、待っていてください」
「…………」
「オトハ、なにボーッとしてるのよ」
「えっ?」
「アンタも二階に来なさい。話があるわ」
オトハはアカネに従って工場の二階へ上がった。ここは事務所兼ジュンコの自宅である。寝室はプライベートな空間のはずだが、アカネは構わず入ると、エアコンのスイッチをオンにした。そしてベッドにドカリと腰を降ろす。
「……アンタも座りなさいよ」
「ああ、うん……」
オトハがアカネの隣に座る。すると、アカネが耳元にささやいた。
「あなた、一条さんとセックスしたいの?」
「えっ!?」
あまりにも単刀直入なアカネの問いにオトハがひるむ。
「誰でもいいわけじゃないのはわかるわ。でも、性的な欲求不満を抱えているなら、アタシにできることであれば何でも……」
「やめてよ、アッコちゃん!そんなの、セクハラだよ!」
思わずベッドから立ち上がったオトハをアカネが睨む。セクハラ云々については、少なくともオトハに言われる筋合いはないが、アカネはその言葉を飲みこむ。
「それじゃあ、一条さんとどうなりたいのよ?」
「そんなの……普通でいいんだよ」
「普通って何?アタシたちは普通なの?」
オトハはだんだん、アカネが何を言いたいのかがわかってきた。
「アタシは閃光少女になると決めた時から、人間の恋は諦めている」
「……私はアッコちゃんほど強くないから」
「それは違うわ、オトハ。アタシが強いから恋を諦めているわけじゃない。弱いからよ。自分のせいで恋人が狙われて、傷つくとしたら、アタシはその結果に耐えられないと思う」
「じゃあ、私が耐えられるなら、好きにしてもいいよね」
「あなたが暗闇姉妹だとしても?」
「…………」
オトハは言葉を失った。
「アタシは、むしろアンタがセックスしたいだけなら、その方が良かったわ。でも、普通の関係にはなれっこないわよ。あなたは殺し屋で、相手は刑事なんだから」
「……じゃあ、どうしたらいいのさ?」
オトハの声が震える。
「それはさっきからアタシの方が聞いているのよ。一条さんとどうなりたいのか、って」
「……子供の頃」
やや落ち着きを取り戻したオトハが語りだす。
「キヨシ君はいつも一緒に遊んでくれたんだ。そんな関係がいつまでも続くと、その時は思ってた。キヨシ君と離れて、ああ、人間はいつまでも同じところにはいられないんだなとわかって……さみしくなって……でも、また会えたんだ。会えたけど……」
村田マオがいた。
「一条さんを独占したい?」
アカネの問いかけにオトハが首を横に振る。
「ちがう。ちがうけど、怖いんだよ。私の座る場所が無くなりそうで……」
「ねぇ、オトハ。アタシはさっき、人間の恋は諦めていると言ったけれど、恋そのものを諦めているわけではないわ」
「そうなの?それじゃあ、魔法少女同士で恋愛するとか?」
「バカね。そういうのとは違うわ」
アカネは笑った。
「アタシたちはもう人間ではない。普通の関係にはなれない。だけど、それは幸せになっちゃいけないという意味では無いわ。アタシはバカだから、魔法少女と人間の理想的な関係なんてわからないけれど、アンタにならわかるかもしれないわよ?」
「魔法少女と人間との関係かぁ……」
「どうせ、みんな地獄に堕ちる」
「えっ……!?」
アカネはオトハが驚く方がむしろ意外だった。
「当然でしょ。人の命を奪っているのよ、アタシたちは。でも、最期はそうなるとしても、幸せな時もあったっていいんじゃないかしら。アタシは、アンタにもそうなってほしいと思うわ」
「最後は地獄行きか〜。まぁ、それまでは魔法少女人生を楽しみたいかな」
「サナエさんなんて嘘つきだから、真っ先に閻魔様に舌を抜かれるわね」
「はい?ワタシの舌がどうかしましたか?」
寝室にサナエが入ってきた。先ほどまでガレージで汗を流していたせいか、エアコンの効いた部屋で体を震わせる。
「あら?早かったわね」
「ちょっと服を着替えますよ」
サナエが手に持っているバッグから私服を取りだす。ここには女子しかいないのでサナエも気兼ねしないが、アカネにはどうしても見過ごせないことがあった。
「ちょっと、サナエさん!ブラジャーを付けずに外出するつもり?そんなの許さないわ!」
困った顔をするサナエを見て、オトハはクスクスと笑った。