閃光少女に会った時
この世界にはかつて『悪魔』という存在がいた。
悪魔とは「概念的な存在が、現実世界に適応した結果生じたもの」という、ちょっとわけがわからない定義がインターネット辞書には書かれている。理解がむずかしいが、とにかく悪魔は、私達の生活を脅かす者であるそうだ。悪魔の中には人間社会にうまく順応する個体もいるそうだが、とにかくモンスターのような恐ろしい存在だと思えばまちがいないし、実際まちがいなかった。
そして、この世界には2種類の『魔法少女』がいる。いや「いた」と書くべきだろうか?1つは『閃光少女』と呼ばれる、人類の自由を守るため悪魔を討伐する魔法少女。もう1つは、悪魔と契約を結び、自分の願いを叶えるために悪魔と共存しようとする『魔女』だ。どちらもなぜか未成年の女性がほとんどなので、まとめて魔法少女と呼称されていたらしい。
20世紀末、悪魔と人類との最終戦争が起こった。魔法少女同士がぶつかり合う壮絶な戦いだったらしいが、とにかく、人類側の勝利に終わる。ほとんどの悪魔はこの戦争によって滅びた。それは同時に、悪魔側についた魔女達の落日でもあったし、悪魔の王が消えたことにより、閃光少女達もまた役目を終え、姿を消した。
私の名前は村雨ツグミ。私は最終戦争を知らない。幼いわけではない。私は最終戦争が終わってから2年過ぎた現在18歳になる。だが、私に思い出せるのは、どれだけさかのぼっても1年ほど前までの記憶だけである。そう、記憶喪失なのだ。だから、もしかしたら客観的には誤りになるかもしれないが、私の主観としてこう書かざるを得ない。
私は、今夜初めて『魔法少女』に会った。
某県、城南地区城南駅前。午後8時過ぎ。
都会というほど込み入ってはいないが、田舎というほどでもないこの平凡な街には、今日も少なくない学生やサラリーマンの群れが往来を埋めていた。そのビルの一つ、屋上に誰かが立っている。
女子高生である。少なくとも、県内のとある高校の指定セーラー服を着用している。なぜかコスプレめいて見えるのは彼女の身長と顔つきのせいだろう。170cmもある。高校1年生の女子としては破格の身長だ。鋭い眼光を地上へ落としている端正な顔立ちは、美人というよりもハンサムと形容する方が適切に思える。赤みがかったロングヘアを後頭部で結んでいるが、その位置が高すぎるためか、ポニーテールというより、本人の雰囲気も相まって、生まれる時代と性別を間違えたサムライのようだった。
化粧もほとんどしていない無精さの割には、右手の中指に不釣り合いなほど派手な、赤い宝石の付いた金の指輪をはめている。その指輪だけは異様だが、手に握られている携帯電話は、最終戦争が終わって復興が進んだ現在においては、女子高生なら誰もが持っている普遍的なアイテムであった。
マナーモードにしている携帯電話がバイブレーションを刻む。液晶画面には「オトハ」という表示。待っていた相手だ。
「アタシよ。オーシャン、何人に連絡がついた?」
オーシャン。そう呼ばれた電話の先にいる相手は、自分と同じ『閃光少女』のアケボノオーシャンである。耳に近づけたスピーカーからは、ため息がまず聞こえてくる。
「ぜんぜん駄目だね。ガンタンライズとはなんとか連絡がついたけれど、来るのに時間がかかりそう」
困ったことになった、と屋上の少女は思う。悪魔が近くにいるのだ。それは閃光少女になった者が、使命を果たすために与えられた知覚センスがそう告げているのである。しかし、そんな才能も使わなければ錆びついてしまうのが当然だろう。この異変を察知しているのは自分と、同い年の閃光少女であるアケボノオーシャン、そしてガンタンライズだけだ。しかし無理もないのかもしれない。最終戦争から、もう2年が経ったのだ。本当なら、閃光少女を今も続けている方がどうかしている。
だが、とにかく今夜は問題だ。
「ひとまず、アタシとアンタの二人でやるしかないわね」
オーシャンの肯定する相槌を聞きながら少女は再び屋上から地上へと視線を落とす。悪魔が近づいているのはわかるが、どうしても見つけられない。オーシャンも駅の反対側出口で探しているはずだが、見つけられていないのは自分と同じだ。
「もしも最近、城西地区に現れた奴と同じならさぁ」
オーシャンが続ける。
「鏡の中から出てくるよ、そいつらは」
「見つけた」
少女はするどく携帯に叫ぶと、ビルの屋上から飛び降りていた。
手に持っていた携帯を投げ捨てる寸前に「どこに?」と聞こえた気がしたが、無用な質問だ。アケボノオーシャンは轟音が聞こえる方へ飛んでくればいいのだから。少女は落下しながら、右手の指輪を撫でた。
「変身!!」
少女の体が一瞬で赤い炎に包まれた。炎は間もなく収まり、真紅のドレスと、それとは不釣り合いな無骨な籠手を装着した、戦士としての姿の彼女が現れる。ビルからビルへ三角跳びをしつつ、地上の一点を目指して急降下していった。
有名なブランド服を扱う店舗の、ウインドウの前に立っているのは、ただの女子高生である。べつにその店に用事があったわけではない。ただウインドウを鏡代わりにして身だしなみをチェックしたかっただけなのだ。身だしなみに問題はなかった。が、何か異様な物が見えた気がした。黄色と黒の縞模様をした柱のようなものが、ウインドウから反射して見える自分の後ろにあるような……
「?」
振り返っても何も無かった。しかし、ウインドウに再び向き直った瞬間、8つの目をもつ『ソレ』の顔が自分に迫って来て、思わず悲鳴を上げた。
ガラスが粉々に砕ける轟音とともにウインドウから出てきたのは、虎柄の巨大な蜘蛛だった。乗用車よりも一回り以上も大きい蜘蛛は目の前の女子高生を跳ね飛ばすと、道路脇に駐車されていた乗用車に衝突する。運転手を待っていたらしい後部座席の老人が、スピンする座席に撹拌されながら頭から窓ガラスの破片を浴びた。店の入り口で唖然としていたサラリーマンは、大蜘蛛が振り回す足にぶつかり、街路樹に背中から叩きつけられる。
誰しもが突然の事態に混乱し、無秩序に逃げ回った。たった数分で街はパニック状態である。その中に、幼い少年を抱えて逃げる、小柄な少女の姿があった。都市が戦場となった時には飛散したガラスこそが危険な凶器となる。少女の足にもまた飛び散った無数のガラス片が突き刺さり、流れ出る血が彼女から逃げる力を奪いさってしまうのは時間の問題だった。その時である。
赤い火の玉のようなものが空から落ちてきて、轟音とともに道路に小さなクレーターを穿った。逃げ惑っていた男性が尻もちをつき、指をさして悲鳴を上げる。
「今度はなんなんだ!?」
炎が収まると、人間の姿をした何者かが立ち上がる。男性の悲鳴が、歓喜の叫びに変わった。
「グレンバーン……?閃光少女の、グレンバーンだ!!グレンバーンが帰ってきた!!」
グレンバーン。先ほどビルから飛び降りながら駆けつけた閃光少女が、大蜘蛛を睨みつけると、大蜘蛛は自身の牙をこすり合わせて威嚇音を発する。
「間違いない。悪魔ね」
グレンバーンはゆっくりと歩き、そしてそれが小走りになり、やがて全力走で悪魔の大蜘蛛へ近づいた。蜘蛛もまた8本の足をリズムカルにコンクリートに叩きつけてグレンバーンに迫る。
グレンバーンの拳があかね色に燃える。
「おらあっ!!」
グレンバーンは力まかせに右拳を蜘蛛の頭に叩きつけ、すぐさま反転し、後ろ蹴りで蜘蛛の体を立体駐車場のコンクリート柱へ向かって吹き飛ばした。駐車されていた車達が、巨大な衝撃に目を覚まし、けたたましい防犯ブザーの大合唱を奏でる。
蜘蛛が目を回すことがあるのかグレンバーンにはさっぱりわからなかったが、例えるなら、そのように見えた。大蜘蛛の足元がふらついている。攻撃は効いているのだ。
グレンバーンがすぐ横を見ると、足にガラス片が刺さった少女が、幼い少年を庇うように抱きしめながら倒れているのに気づいた。
「そんな事をしている場合じゃないでしょ!早く怪我人を助けなさい!」
グレンバーンは倒れている少女を叱ったわけではない。そんな少女を無視して、のんきに携帯電話のカメラで自分を撮影している群衆に怒ったのだ。2年の歳月は、人々の記憶からグレンバーンを消し去るには短い期間であったが、人類から危機感を奪いさるには十分過ぎるほど長かったようだ。
「早く来なさいよ、オーシャン」
追撃の手刀を脳天に浴びせた後、グレンバーンは大蜘蛛の体を無造作に掴み、比較的広い車道へと放り投げる。見た目のおどろおどろしさと比べれば、この程度の悪魔はグレンバーンの相手では無かった。しかし、それはあくまで能力をフルで発揮している場合の話である。だが、今はフルパワーで戦うわけにはいかない。炎の閃光少女であるグレンバーンが本気を出してしまったら、それだけで周りに大火災を引き起こしてしまう。怪我で倒れている少女は仕方がないとしても、閃光少女の戦いをエンターテイメントとして消費している群衆は、一喝した程度で避難するほど常識的では無さそうだ。
「逃げるな、こらあっ」
大蜘蛛がその巨体から想像できないほどの素早さで路地に入り込もうとする。余計な被害を広めないためにも逃がすわけにはいかない。狭い通路に飛び込もうとした瞬間、大蜘蛛の前方に青く透き通った、蜘蛛にも負けないほど大きなトランプが行く手を阻み、それどころか勢いよく蜘蛛にぶつかって、その巨体を仰向けにひっくり返した。
「必殺、畳返し~」
大きさは似ているが畳ではない。結界である。
呑気な調子で、青いシルクハットを被った、奇術師のような格好をした少女が現れた。
「いやぁ、待たせてごめんごめん」
彼女の閃光少女としての名前はアケボノオーシャン。青みがかったショートヘアと整った顔立ちは、グレンバーンとは別の意味でボーイッシュな印象を与える。群衆のカメラがアケボノオーシャンへ一斉に向いた。
「遅かったじゃない」
とはグレンバーンは言わない。
「頼むわ」
とかわりに叫んだ。
「OK」
アケボノオーシャンは何をするべきかわかっている。彼女が白い手袋をはめた両手をパチリと合わせると、先ほど蜘蛛の行く手を遮ったトランプが、まるでグレンバーンと大蜘蛛だけを囲むように現れた。彼女の役目は、悪魔が逃げ出したり、閃光少女の攻撃で周りに被害が出ないように結界を張ることである。本当は事前に悪魔と閃光少女の姿が見えないように結界で囲み、誰にも気づかれないまま悪魔を討伐するのが最善なのだが、今回はどうしようもなかったのは言うを待たない。とにかく、これでグレンバーンは本気になれる。
「はああぁぁぁ」
グレンバーンが気合を入れると、彼女の背中に6本の細い羽が伸び、羽の先をなぞるように丸い日輪が浮かぶ。そして真紅の籠手が炎に包まれた。大蜘蛛は後ずさりをするが逃げ場はもう無い。もはや前に出るしかない。
グレンバーンは両腕をそれぞれ天地に向け、大きく円を描くように回す。すると円の中心に、小さな太陽のような炎の球体が生まれた。
「おらあああっ!!」
グレンバーンがそれをドッジボールのようにして投げつけると、炎球を叩きつけられた大蜘蛛の体がまたたく間に燃え上がり、体表がどんどん赤く変色していった。
グレンバーンはそんな大蜘蛛にくるりと背を向けて、残心のポーズをとる。
「敵は一匹……」
その瞬間、グレンバーンの背後で大蜘蛛は大爆発を起こした。結果的に結界のすぐそばで観戦することになった少女からは恐怖でしかなかったが、思わず「すごい」とつぶやいていた。
グレンバーンがふと右手を見ると、蜘蛛の糸が絡まっているのに気づく。右手に軽く力を入れると、籠手が赤熱し、蜘蛛の糸はジュッと音をたてて蒸発した。
「もう大丈夫だね」
アケボノオーシャンが結界を解除すると、カメラを向けた群衆が大歓声を上げた。
「さ、サインしてください」
もうすっかり安全だと思ったのか、そんな事を言うファンらしき輩がしきりとグレンバーンに寄ってきた。そのたびにグレンは「邪魔よ」と彼らを追い払わなければならなかった。ファンサービスでやっている事ではない。許されるならば殴りたおしたい気分だ。悪魔は討伐したが、問題は怪我人である。オーシャンとも手分けをして確認することにした。もっとも、オーシャンはグレンよりもおおらかゆえ、サインはさすがに辞退するものの、撮影にピースサインで応えてグレンをイライラさせたが。
「大丈夫?」
グレンが声をかけたのは、幼い少年を庇いながら倒れていた少女だった。やはり足に刺さったガラス片によりおびただしく出血している。グレンが近づいてくるのを見て身を起こそうとしたが、グレンは「そのままでいいわ」とそれを制した。かわりに庇われていた方の少年を立ち上がらせてみたが、その子はほぼ無傷だった。ショックのためか、今はほとんど口がきけないようではあったが。
「弟君は大丈夫よ」
「弟……じゃないかも」
「え?」
なぜか自信が無いような言い方も気になったが、それよりも姉弟だと思っていた二人に縁が無かったことに意外さを感じた。そういえば、横に突っ立っている少年も不思議そうな顔で少女を見つめている。
「どうして……」
「わからない。気づいたらこうなっていたの」
グレンは改めて彼女をよく見た。身長は145cmくらいだろうか?自分よりずっと小柄だったので幼く見えたが、同じくらいの歳かもしれない。黒々とした艶やかな髪が腰にかかるほど長く伸び、それでいながら癖毛が強く、あちこちで飛び跳ねながら自己主張をしている。気弱そうに見えるが、それでもグレンの視線をまっすぐ見つめ返しており、瞳の光の中に芯の強さが見えた。なにより、もしも閃光少女に友がいるとするならば、このように見知らぬ誰かを、自分をかえりみずに助けられる者である。グレンは嬉しくなった。
「今夜アタシに良いことがあったとしたら、それはあなたのような人を助けられたことよ。久しぶりに人間を助けられた気がする」
グレンはお世辞が言えるタイプの人間ではない。無神経な群衆にウンザリさせられてばかりだったので、心からそう思ったのだ。思ったからには、それを口に出さない理由も無い。もっとも、言われた方の少女は赤面するしかなかったが。
「お~い、こっちこっち~」
少女の傷の具合を確かめていたグレンが振り返ると、アケボノオーシャンが空に向かって手を振っていた。もう一人の閃光少女が到着したのだ。少女が天に向って指をさしながら尋ねる。
「あの子は天使?」
グレンは質問に答えなかったが、ある意味そうかもしれないと思う。薄紫色のドレスを着たポニーテールの少女が、同じ色をした背中の羽を広げて空から降りてくる。手には槍を持っているが、所詮は護身用にすぎない。閃光少女、ガンタンライズである。彼女の役割は、悪魔の攻撃で負傷した人間を魔法で癒やすこと。要するにヒーラーだ。彼女は優しい笑顔をしながら降りてきたが、地上に近づくにつれて表情が固くなっていった。実体化した悪魔が襲撃した後は、いつだってひどい状況だ。死人も出ている。グレンは先にオーシャンの方へ行くように目配せした。
グレンは考える。誰かが言っていた「ヒーラーは後方で味方を回復するだけの楽な役目だよな」という、心ない言葉への反駁を。そういった意見も一理あるかもしれない。だが、これほどストレスを感じる役目も無いのではないか?とも思う。戦うだけ戦って、最期は討ち死にすればいい自分とは違う覚悟を問われる。
今もそうだ。ガンタンライズは、間違いなく助けられる怪我ならば助ける。オーシャンが見つけた怪我人を治して、二人でこちらに歩いてくるところだ。だが、歩道に横たわってピクリともしない女性の側で、涙を流しながら絶叫する男性の前には止まらない。ガンタンライズは彼らを見たが、顔も向けないオーシャンは彼女の肩を抱くように手を回し、制しながらこちらに歩いてくる。
死んだ人間はどんな魔法を使っても生き返らせることはできないのだ。しかし人情としては、生き返らないにしても、死んだ人間にも回復魔法をかけて、欠損した部位を修復して荼毘に付したい気持ちもある。だが、そういった感傷はシビアな場面では通用しない。ヒーラーは常に、誰を治すかの選択を強いられるのだ。ヒーラーの数は十分ではない。時間も限られている。ゆえに、全ての命を救うことはできない。当然、恨まれることもある。今回だって、裏では「なんでもっと早く来てくれなかったんだ」と言われるはずだ。ヒーラーは人の生死の結果を、全て自分の責任として背負っていかなければならないのだ。
少女の足を見たガンタンライズが少しはしゃいで言った。
「よかったー、あんまりひどい怪我じゃないみたい」
少女は少し耳を疑った。たしかに自分はなんとか生きてはいるが、ひどい怪我ではあるように見えたからだ。ガラス片が足首の健にも食い込んでいるし、出血も続いているのでちょっとした血の池も道路にできている。しかも、グレンバーンが「ごめん」と言いながらガラスを全て抜いていったので、少女は痛みで悲鳴を上げていたところだったのに。
「大丈夫、怖がらないで」
そう言うとライズは手のひらから光を出し、少女の傷口に当てた。すると、すぐに傷口が小さくなっていった。まるで開いていたジッパーが閉じていくようだ。少女にとって気になったのは、流れ出していた血液も逆流して体に入っていくことである。道路に落ちた血が再び自分の体に戻るのは不潔な気がしたが、たぶん魔法だから大丈夫なのだろうと、多少無理にでも納得するように自分に言い聞かせるしかない。
ガンタンライズの治療中はグレンバーンがアケボノオーシャンとなにやら会話を交わしていた。
「へ~、見ず知らずの子を命がけで守っちゃうなんて、世間も捨てたもんじゃないね~」
アケボノオーシャンが少女の顔を覗き込みながら、そう話しかけてきた。
「君、閃光少女の素質があるかもよ?」
オーシャンがそう言うとガンタンライズが彼女を睨む。それをたまたま目にしたグレンは少し気になったが(まぁ、無責任な冗談よね)と内心、怒る気持ちに同意した。
「あの人……死んじゃったの?」
少女の目線の先には、先ほどガンタンライズが素通りした、動かない女性がいる。セーラー服を着た女子高生である。大蜘蛛に最初に襲われたのは彼女だった。
「……うん」
ガンタンライズは渋々答えた。少女はむしろ怪我していた時よりも顔が青ざめていった。自分に近い年齢の、それも同じ女性の無惨な最期を見てしまったがゆえか、人間の死というものが実感をもって迫ってくる気がしたのだ。呼吸がどんどん早くなっていき、過呼吸になりかけると、ガンタンライズは少女の両頬を、両手で挟むようにピシャリと叩いた。
「私を見て!」
少女はビックリしてガンタンライズの顔を見る。ライズの顔は、ここに降りてきた時のように優しい笑顔になっていた。少女の呼吸が、やや落ち着きを取り戻す。
「死に囚われてはダメ。それが悪魔を再び呼ぶことになるから。生き残った人は、死んでいった人達のためにも、心を明るくして、強く生きていかなければいけないの、だからほら……」
少女はライズの笑顔を見つめ、そして微笑してうなずいた。そして「ありがとう」と。
「そうそう、ツグミちゃんは笑顔が一番だよ!」
ライズがいきなり少女の名前を呼んだ時、グレンとオーシャンに同じ動揺が走った。名前をズバリ呼ばれた少女、つまり、ツグミはもっと不思議に思うしかない。
「あなたは私の知っている人なの?」
ここで少し説明が必要だと思う。閃光少女達が、というより魔法少女達が特徴的なコスチュームを着ている理由である。決して伊達や酔狂で着ているわけではなく(そういう者もいるかもしれないし、グレンバーンの衣装は耐火服も兼ねているが)、認識を阻害する魔法を付与した衣装を身にまとうことで、自分の正体を隠しているのだ。認識の阻害というのは、要するに目の前で変身でもしない限り、グレンバーンの変身前の人物は不明のままだし、奇妙な例えだが、アケボノオーシャンにグレンバーンの服を着せたら、どれだけ顔や体格が違ってもグレンバーンに見えてしまうというわけだ。
口頭で自分の正体を明かしてしまっても同様に正体が露見してしまうことになる。ガンタンライズとツグミにどんな接点があるのかグレンとオーシャンには知るよしもないが、二人が動揺したのはそうした事情があるのだ。さらにガンタンライズは二人を驚かせる。
「もちろん知っているよ!」
「ちょ、ちょっと」
さすがに止めようかとオーシャンが手を伸ばすと、ガンタンライズは続けて元気よく言った。
「私達閃光少女は、親愛なるみんなのお友達だよ!いつもあなた達を見守っているからね!」
バイバーイと手を振ると、ガンタンライズは背中の羽を伸ばし、空へと飛び去った。
(たぶん、うまくごまかせたかな~?)
おそらく自分達も潮時だろうとオーシャンとグレンも思う。これ以上、自分達がここで姿を晒す理由はない。まもなく警察が到着するだろうが、法外な存在である閃光少女には、司法に協力する理由もなければ、その能力も無い。
オーシャンは自分の足元に、ちょうど本人がふざけて言った通り、畳ほどの結界を作った。彼女の隣にグレンバーンも立ち、二人そろって結界の上に乗る。
「じゃあねツグミちゃん、さよなら~」
二人を乗せた結界もまた、空に向かって飛び去っていく。オーシャンは下界に手を振りながら(グレンは黙って腕組みをしている)夜の闇に消えていった。
ツグミはふと、いつの間にか側にいたはずの少年(自分の弟と間違えられた子)がいない事に気づいた。しかし、まもなくその少年が、少し離れたところで母親らしき女性と手をつないでいるのを発見した。少年はツグミを指さして何やら母親らしき女性に語りかけ、その女性がツグミに何度も頭を下げているのが見える。
ツグミはつぶやいた。
「帰ろう。私にも帰れる家があるのだから」
その時、路地の暗闇で何者かが携帯電話を耳に当てていた。おそらく歩道側からは暗すぎて姿がわからないが、声色から察するに女性である。
「ええ、わかった」
受話器の先にいる人物に報告する。
「追跡を始めるわ」
するとその女性は自分の左腕を上空に向け、そこから何かを射出した。蜘蛛の糸である。蜘蛛の糸はするするとその女性の体を持ち上げていき、彼女もまた夜の闇へと消えていった。
「た……ただいまー……」
ツグミは糸井家のドアを恐る恐る開いた。時刻は既に午後9時を過ぎている。一階リビングの方からドタドタと足音が響き、まもなく顔を引きつらせた壮年の男性が玄関に滑りこんできた。
この家の主、糸井コウジである。コウジはしばらくツグミを見つめていたが、やがて「ああ、よかった」と胸を撫で下ろした。
「『お父さん』心配かけて、ごめんなさい……」
「まったく心配したよー、まさか城南駅であんな……とにかく、さぁ、中に、入って入って」
コウジに引きずられるようにしてリビングに入ると、テレビに映ったニュース番組が、破壊された城南駅の様子を中継していた。
「……もう一度繰り返します。本日20時、城南駅西口ショッピングセンター前で、正体不明の生物が突如現れ、通行人に次々と襲いかかり……」
「正体不明の生物は突如現れた女性二人組が駆除したとの証言が……」
「警察では目撃者の証言をもとに、三人組の行方を追って……」
「今年に入って4度目ですねー。解説の山田さんはどのように思われ……」
ツグミは次々とチャンネルを変えて見たが、どの放送局の、どのアナウンサーも、決まりきったように同じ内容を繰り返していた。
「本当は閃光少女が助けてくれたんだろ?」
ツグミはコウジの言葉にうなずく。
「どうしてテレビは閃光少女や悪魔のことを喋らないの?」
「警察や自衛隊だってそうさ。政治家も。大人達は、自分にとってわけのわからない存在が、怖くて仕方ないのさ。だから口にしない。そうすれば、まるで存在しないかのように振る舞える。そうして知らんぷりしていても、どこからか閃光少女が現れてなんとかしていくんだから、なんとか自分達のクビをつなげておく事ができるのさ」
一種のタブーなのである。今からずっと前に対悪魔法案を提出した国会議員が、誇大妄想のオカルト主義であるとして辞職に追い込まれた経緯があったためだ。悪魔との最終戦争が始まっても、それは変わらなかった。というより、戦争の終結で、いよいよ変わる必要さえ無くなったのである。政治家は自分達の票さえ確保できるのであれば、一年に数人くらい行方不明事件が起きても、重い腰を上げる度胸はない。
「でも『お父さん』は信じているよね」
「ああ。仕事柄かもしれないけれど。僕は、客観的な世界があるなんて信じちゃいないんだ。誰しも、世界を見ているつもりで、本当に見ているのは自分の心の影だ。つまり、世界があるように見えても、本当にあるのは自分の心だけなんだよ。悪魔ってそういうところから来るんじゃないかな?」
「私にはそういう話、ちょっと難しいかな……」
「うん、まぁ、そうだね……僕のクリニックには、悪魔がいなくなったと言われてからも、何年もずっと苦しんで通院を続けている患者さん達が何人もいるんだ。だから、彼らの言うことを嘘だなんて思うわけがないじゃないか。とにかく、きっと明日からケアに追われることになるよ」
糸井コウジの職業は心療内科医である。二階建ての自宅はクリニックも兼ねており、患者は玄関とは別にある入口からクリニックの方へ入ることができる構造だ。コウジいわく、こういった悪魔関連の事件が起こるたびに、不安から心身を患う人が増えるそうだ。閃光少女のガンタンライズが、ことさらツグミに笑顔を求めたのは、そういう不調を事前に防ぐ意味があるのかもしれない。ツグミが漠然とそんな事を考えていると、二階からバタバタと誰かが駆け下りてくる。
「ツグミちゃん!おかえりー!心配したよー!」
糸井コウジの娘、糸井アヤである。今年から県内のとある高校に通い始めた一年生だ。ツグミの方が年長なのだが、彼女の方が10cmほど背が高い。普段は薄紫色のリボンで髪をポニーテールにセットしているのだが、今は髪をおろしているようだ。はじけるような笑顔がまぶしい。リビングにダイブしてそのままツグミに抱きついた。
「ごめんねアヤちゃん、遅くなっちゃって。今晩はご飯を作ってあげられなかったね。明日の朝はちゃんとお弁当を作ってあげるから」
「きっとだよ?やったー!」
コウジはツグミの横で渋い顔だ。
「コラッ!お父さんはアヤの事も心配したんだぞ。『お腹が痛くなったから早退します』だなんて、急に塾を飛び出しちゃったと、先生から連絡があったんだから!」
「えー、だってー」
アヤは不満そうに頬をふくらませている。
「塾ってつまんないんだもーん」
「とにかく、お父さんはこれからツグミちゃんと大切なお話があるから、先に休んでいなさい」
「ふーんだ。そうやってまた私をのけものにするんだ」
アヤは二階の寝室に上がっていった。
ツグミが糸井コウジに対して、あるいは糸井コウジがツグミに対して、どこか遠慮するような態度をとるのには理由があった。ツグミはコウジの事を『お父さん』と呼んでいるが、その言葉の真意は、あくまで『糸井アヤちゃんのお父さん』である。この家に母親はいない。アヤの母は、彼女の幼少時に他界したのだ。それ以来、父親であるコウジが一人で懸命にアヤを育ててきた。その二人ぼっちの家庭に、拾われてきた猫のように居ついてしまったのがツグミだ。
ツグミは静かに学生証をテーブルに置いた。
『村雨ツグミ』
それが彼女のフルネームである。
今から1年前、当時中学生だった糸井アヤが、自然公園の樹林で倒れていたツグミを家に運び込んだのがキッカケだった。持ち物といえば、財布に入ったわずかなお金と、この学生証のみである。それだけでも奇妙なことだが、もっと奇妙だったのは、彼女が記憶喪失になっていたことだ。生まれはおろか、家族も、住む家も、学生証を目にするまでは、自分の名前さえ記憶から抜け落ちていた。彼女を診た医者は、樹林で落雷に見舞われたのではないかと推測する。しかも、奇妙なことはまだまだ続く。
学生証を持っていたので、当然、糸井コウジはその学校へと問い合わせてみた。県内にある、ごく普通の高校だ。しかし、その高校では村雨ツグミのことをまるで知らないという。それを信じるなら、この学生証はまったくの偽造だ。だとしたら、復学など叶うはずがない。記憶を失う前のツグミは、どうしてこんな物を持ち歩いていたのか?
結局のところ、糸井家でツグミを保護することになったのは、アヤがツグミを発見してから、まもなく決まった。アヤがどうしてもそれを望んだからである。母を幼少時に失い、一人っ子であったアヤは、姉妹のような存在を強く望んでいたのだろうとコウジは解釈している。
実際、父親のコウジから見て、ツグミとアヤは本当の姉妹のように仲睦まじくなった。思春期を迎え、どこか情緒不安定だったアヤが落ち着いたのも、ツグミが見守ってくれたおかげだろうと思う。
それだけではなかった。仕事に忙殺され、おろそかになりがちだった家事全般も、やがてツグミが一手に引き受けるようになった。料理も、掃除も、洗濯も、あるいは家庭菜園まで、ツグミは何でもこなした。ツグミはアヤの姉のような存在でもあり、そしてこの家庭にとって母親のような存在ともなったのだ。最近では、クリニックで書類をまとめる仕事の手伝いをも頼んでいるくらいである。
「この住所に行ってみたんです」
ツグミは学生証に書かれた住所を指さす。コウジはツグミに尋ねた。
「どうして、また?」
ツグミの自宅(?)を訪ねるのは今回が初めてではなかった。当然ながら、ツグミを保護した直後にもその住所を訪ねている。しかし、そこにはたしかに家があったが、不動産会社いわく、何年も前から誰も住んでいない空き家だった。
「もう一度見てみたくなって……」
「記憶が戻りそうな予感がしたから?」
「はい」
「それで、どうだった?」
「その家に、今は誰かが住んでいました。だから玄関の呼び鈴を鳴らしたんです」
「ほう?」
「知らない女の人が出てきました。向こうも、私を知らないみたいで。謝って帰りました」
「ふーむ」
コウジは腕組みをして考えた。
「ツグミちゃんが夕方になって、フラッと出ていっちゃった理由はよくわかったよ。でも、一つわからないなぁ。結局はそこに行っても、何も収穫は無かったんだろう?どうしてすぐに帰らず、日が落ちてからも駅にいることになったんだろう?」
「わからないんです。ただ、なぜか、そこに居なければいけないんじゃないかと思って……」
「ふむ?」
幸運の予感というものだろうか?とはいえ、そのために危険な目にあったのだから、これは悪い虫の知らせである。コウジは、ツグミが無理に記憶を思い出そうとしているために、心のバランスを崩しているのではないかと思った。
「ツグミちゃん、無理に記憶を思い出そうとする必要はないよ。君さえよかったら、私は君に、ずっとここに居てくれてもいいと思っているんだ。アヤもきっと喜ぶ。私も、君にもっとクリニックの仕事を覚えてもらおうと思っていたところだ」
「ありがとうございます。でも……」
「ツグミちゃんには、きっと、忘れたくなるほどつらい過去があったんだよ。そんなものにこだわらずに、今現在、これからを生きていけばいい。他人は自分の過去についてアレコレ勝手なことばかり思うけれど、自分のこれからの生き方は、自分で好きに決められるんだから」
「自分の生き方……かぁ」
二階の寝室で机に向かいながら、ツグミは『お父さん』の言葉を反芻していた。机の上には一冊のノートが開かれて、デスクライトの光だけが紙面を照らしている。ツグミが糸井家で保護されて以来書き続けたものだ。『お父さん』が言うには、日々の出来事、感じたことをノートに書き出すことで、心を癒す効果があるらしい。
コウジとの話し合いを終えてから入浴し、すぐにベッドに入ったのだが、ツグミはなかなか眠れなかった。今こそ心を安らげる効果がほしいと思う。ツグミは思いつくまま、閃光少女達とのめぐりあいをノートに書いていった。
今夜あった出来事を入念に記し終えたツグミは、その文章の頭に、大きな文字でタイトルを付けておくことにした。ノートを見直す際、見つけやすくするためだ。簡潔なものでいい。
「閃光少女に会った時」
(私も閃光少女になれたりするのかな?ガンタンライズちゃんみたいに、誰かを癒すことができるような)
その時、部屋の奥にあるベッドで物音がした。ツグミはすぐにデスクライトを消す。
「あ、ごめんアヤちゃん。起しちゃった?」
それはアヤが寝ているベッドである。アヤとツグミの二人は同じ部屋で、ベッドを二つならべて寝起きしているのだ。
「アヤちゃん?」
返事のかわりにすすり泣く声が聞こえる。ツグミは、横向きに寝ながら涙で枕を濡らすアヤの顔を、不思議そうに覗き込んだ。
「どうしたの?」
「今日ね……本当にツグミちゃんが無事で……よかった。ツグミちゃんが、遠くへ行ってしまいそうで……怖かった……」
アヤはやっとそれだけ答えた。「遠くへ行く」とは「死んでしまう」という意味だろうか?ツグミはアヤのベッドに自分の体を入れた。
「どこにも行かないで……」
「私はどこにも行かないよ。いつまでも、私はアヤちゃんと一緒」
「うん……」
ツグミはアヤをそっと抱きしめた。二人の心はすっかり落ち着きを取り戻し、静かな夢の世界へ導かれていった。