何かを映すモノ 1.
1.
僕が力を得たきっかけは些細なことだった。
いや、あれがきっかけだったのかは分からない。ただ単に、あのときに気が付いた、というだけなのかもしれない。
とにかく力を使ったのは六月の初日、つまり昨日が初めてだった。
具体的に言えば、昨日の5時限目。クラスで一番可愛いとの呼び声高い、水樹七歌が指名されて黒板の前に立ったときのことだ。
その時〝たまたま〟ある想像をしてしまった。それは思春期男児なら誰でもするようなモノだっただろう。
つまり──もし、彼女の真下に鏡があったらどうなるだろうか。
そういうものだった。
それを考えるだけなら、別に大したことじゃないだろう。だが、その時の僕は何かがおかしかった。それを思うと同時に、そこに鏡が在れ──そう強くイメージしてみたのだ。
結果。
想像<イメージ>は現実<カガミ>になって現れた。
水樹七歌のスカート真下、彼女の靴の上に現れた透明な鏡。そこには、僕が望んだものが映し出されていた。
目を擦ってもそれは消えない。
まず思ったことは、もし周囲の人間にバレたらどうしよう、ということだった。
だが約一分で、その鏡は自然に消滅し、それに気が付いたものは誰一人居なかった。いや、居たとしても、騒ぐものは居なかった、というのが正しいかもしれない。
それから。
状況を認識した後、再度、鏡の生成を試みた。結果、望むところに望んだ形で鏡が現れた。
そして、その鏡は自分以外には視認出来ないモノだということも分かった。
つまるところ。
すごい力を手に入れたのだ。
反射に反射を重ねれば、更衣室や風呂場覗きはお手の物(と思われる)。スカート覗きはし放題。あ、ちょっとあの人可愛いな、と思った時に、その人のスカートを覗けるわけである。
自分は健全な男子高校生のつもりだが、健全であるがゆえの欲望というものも持ち合わせていた。ある日突然こんな力を手に入れればこういう考えを起こすのも別に不思議ではないと思われる。
そんな夢膨らむ今日この頃。
そんなときに彼女は転校してきた。
僕の学校は珍しく、ホームルームが昼休みの後に行われる。結果的に、季節外れの転校生が教室に現れたのはちょうど昼の13時10分。
転校生は少女だった。
本名はキャンディス・ブラック。日本では黒崎雨と名乗っているらしい。つまり、日本人とイギリス人のハーフで、帰国子女だった。
身長は平均より少し小さいくらいで、かなり小柄だ。ついでに言えば幼く見える。
髪は父親譲りで黒く、眼は母親譲りで碧眼。顔立ちは一目でハーフだと分かるものなのに、髪は真っ黒だから、普通は違和感を感じるのだろうが、彼女の場合は妙にしっくりしていた。
はっきり言って黒崎雨は美少女だった。
水樹七歌が美人、というなら、黒崎雨は可愛いという表現が似合う。
そして、転校生も来た事だし席替えをしよう、という流れになり、くじ引きによる順当な席替えが行われた結果。
黒崎とお隣になることに成功したのだ。
しかも、黒崎は窓際の一番後ろで、僕がその隣。
彼女の隣は僕だけで、まだ教科書を持っていない彼女に教科書を見せるのは僕なのだ。
そんなわけで。
美少女転校生お近づきになり、るんるん気分で午後の授業を終え、さて帰ろうと昇降口に向かった僕は、下駄箱に一枚の紙が入っているのを発見した。
どこぞやの青くて可愛いキャラクターが薄っすらと印刷されているメモ用紙には、
『放課後、弓道場で待っています』
とだけ書かれていた。
字を見る限りは、女生徒と見て間違いない(丸っこくて可愛い文字は、男が書いているのだとしたら少し気味が悪い気もする)。
となると。
コレはまさかの告白だろうか。少し遅い春の訪れだろうか。
いや待て。
字が綺麗だからといって本人も可愛いとは限らない……。
と。そんな心配をしていたが、全て杞憂だった。
▽
結論から言えば、弓道場の前に居たのはクラス一の美少女、水樹七歌だった。
「水樹?」
そう呼びかけると、手を後ろで組んで壁にもたれていた君崎はがこちらに気が付いて、はっという表情を浮かべた。
「君崎君……着てくれたんだ。」
君崎は僕の苗字。君崎隼人が僕のフルネームだ。
「そういえば、放課後だけど、弓道部無いのか?」
もう3時45分、部活動開始時刻を回っているのに、弓道場には人気がまったく無い。
ちなみに、水樹七歌は弓道部員。袴がよく似合うと評判だったりする(オレも一度覗きに行ったことがあるが、真面目に弓道部に入部しようか検討した)。
「今日はオフなの。こないだ日曜日に試合があったからその代休」
「そっか」
とりあえず納得。
「で、本題は?」
と、話を戻すと、彼女は硬い表情のまま口を開いた。
「相談……なんだけどさ、聞いてくれるかな」
「相談?」
結論。決してクラス一の美少女の用事は、付き合ってくださいという告白ではなかった。
▽
「ストーカー?」
とりあえず、長話になるからと、弓道場の近くにあったベンチに座った僕たち。もし誰かがここを通ったら、噂(僕にとっては好都合だが)が流れるかも、などと思いながら、彼女の話に耳を傾ける。
「もう一週間も前から」
「一週間」
なんていうか。可愛く無い女子が『朝痴漢されたー』などと大きな声で言っていると、何だか非常にむかついたりするものだ。だが、水樹七歌が小さな声で言う分には、まぁそんなことをあるかなと思う。
「黒いダッフルコートを着ていて、フードを被った人がね、部活帰りにいつも付けて来る」
確かに怪しい。真冬ならともかく、暖かくなってきているこの時期に、フードまで被るというのは、客観的に見てもおかしい。
「最初は気のせいかな、と思ったんだけど、どうも違うみたいで。帰り道を換えてもも付いて来て……」
「一週間続いたなら、確かに間違いないだろうな」
ザ・ストーカー行為だ。
ところでストーカーとスニーカーってなんとなく似てるよな。
あ、スニーカーと言えば、僕はコンバースをコンバットと読み間違えていた時期がある。どこと無く感じは似ているが、靴とゴキブリ駆除装置と、まったく別物である。
……。
閑話休題。
「で、警察とか親とか先生とかには?」
「まだ。その、できればことを大きくしたくないし……」
まぁ、そうだよな。下手に誰かに相談して、被害妄想だの自意識過剰だの言われるのもいやだろうし。
とは言え、親くらいには相談しても良いものでは無いだろうか。
「で、ええっと、僕は何をすれば良いのかな」
まぁ、当然そう思うわけで。
「その、できれば一緒に登下校欲しいなって……」
つまるところ一人では心細いから護衛、というわけか。
しかし、そんな上手い話があって良いんだろうか。正当にクラス一の美少女と登下校できるなんて。
「弓道部の人で、私と家が同じ方面の人が誰もいないんだ」
ああ。
たしか水樹の家は、駅と反対の住宅街。たまたま徒歩通学の人が弓道部には居ないのだろう。
「なるほど……でも、何で僕?」
僕は、運動部にも入ってないし、体格も大きいほうとはいえない。
すると、彼女は、
「ええっと、君崎って、空手で県大会ベスト8入ったことあるでしょ?」
なんて自分でも忘れていたような功績を持ち出してきた。
「そんなことも、あったな。けど、あれは小学6年生の時のことだぞ……」
空手は小学校卒業と同時に止めている。
「けど、クラブで弓道とか古流剣術とかやってるんだよね?」
「いや、実家に弓道場があって、嗜む程度だし。後、古流剣術じゃなくて、スポーツチャンバラな」
昔から武道とかそんなんが好きで、趣味でやっているだけ。両方遊びみたいなもんだ。まぁ、空手は割りと真面目にやっていたけど。
「……。と、とにかく! ダメ!?」
い、いや……。そんな上目遣いで言われて、しかもこの状況で、断れるわけもなく。承諾することによって折れるフラグも無いし。
「良いけどさ。お前さえ良ければ」
というか、むしろ好都合。
まぁ、その辺の帰宅部よりは強い自信もあるし。
話も終わったので、とりあえず、立ち上がる。
「じゃぁ、特に用が」
言いかけた時。
弓道場の向こう側に人影を発見した。どうやら、壁際にこちらを伺っていたらしい。
まさか……アレが例のストーカーだろうか。
そう思ったときには、完全に壁の向こう側に去ってしまっていた。
単に人が通りかかっただけかもしれない。
僕は思考を止め、水樹に向き直った。
「じゃぁ、特に用が無ければ帰ろうか?」