63 未来へ向けて②
魔法の練習の後で休憩をし、本日の学習内容の振り返りをしたら授業は終わりだ。
部屋の片づけを終えて二人廊下に出ると、エグバートが律儀に礼を言ってきた。
「今日もありがとう。シェリル先生のおかげで、明日の魔法研究所訪問もなんとかなりそうだ」
「あら……それは楽しみにしているからね、エグバート君?」
エグバートがシェリルを「先生」と呼ぶのは、からかいと甘えの両方の意味がある。
そういうことでシェリルも負けじとエグバートを「生徒」扱いして片目を瞑ると、エグバートは硬直し、ぐう、と喉が低く鳴った。
彼と結婚して数ヶ月経ったが、いまだにこうして固まることがある。
最初の頃は、エグバートからの甘いふれあいにシェリルの方がたじたじになっていたものだが、最近はシェリルもやられたらやり返し、エグバートを照れさせられるようになっていた。
(ふふん、今日は私の完勝みたい!)
「どうしたの、エグバート君? いつもの元気いっぱいのお返事は、しないの?」
「……は、はい、シェリル先生。あなたの期待に添えるよう、頑張る」
「いい子」
少し背伸びをして頭をよしよしと撫でると、エグバートは照れたように笑った。
たくましい体と涼やかな美貌を持つ、王家の血をその身に流している王子様。武術だけでなく魔法の才能もあり、女王に頼られる文官としての才覚もある彼の、そんな姿は――
「……可愛い」
「……シェリル。何度も言うが……やはり、男に可愛いと言うものではないと思う」
「そうですか? だって……皆の前ではきりっとしているエグバート様の可愛い姿を見られるのは、私だけなんですよ? それなら、思う存分可愛いって言いたいじゃないですか」
我ながら変な理屈だと思うが、真面目なエグバートはシェリルの言葉を数秒かけてじっくり考察した後、「確かに」と納得の表情になった。
「私のことを可愛いという人なんて、この世界中であなただけだろう。……それならば、二人きりのときならばあなたに可愛いと言われるのも、悪いことではないのかもしれないな」
「でしょう!?」
「……しかし、な」
調子よく頷いていたシェリルだが、ぐっと夫の顔が近づいてきたため、息を止めてしまった。
極上の宝石のような青の目が、じっとシェリルを見ている。
その目は涼しげなだけでなく、不思議な熱も孕んでいるようで――とくん、とシェリルの胸が甘くときめいた。
「やはり私は可愛いと言われるより、妻のことを可愛いと褒め、この手で愛で、たくさんの愛を囁きたいと思う。そちらの方が、私の性分に合っている」
「そ、そう……です、か?」
「そうだ。……シェリル、おいで」
低い声が甘くシェリルの名を呼び、彼は腕を広げた。
逆らうことなくシェリルがそこに身を預けると、大きな胸が難なくシェリルの体を受け止め、太い腕でぎゅうっと抱きしめられた。
「……エグバート様の腕の中、あったかいです」
「シェリルは小さくて、甘い匂いがする。……首筋か? もしかして、何か付けているのか?」
「あ、はい。リンジーが甘い匂いのするクリームを付けてくれました。保湿効果があるそうです」
「なるほど。思わず口づけたくなりそうな甘い匂いだ」
「そこはだめですっ! ……するなら、ここにしてください」
前、「痕をつけたい」とおねだりされて彼に体中にキスされることを許したのだが――翌日、とんでもないことになっていて、リンジーに苦笑されてしまったのだ。
エグバートのことはたくさん甘やかしたいとは思っているが、限度はある。
一度許すととことん甘やかされ、こちらが困るほどめいっぱい愛されてしまうので、時には「待て」をすることも必要だった。
そういうこともありシェリルが首へのキスを阻止して自分の唇をとんとんと指で叩くと、エグバートは目を丸くした後、嬉しそうに頬を緩めた。
「……愛している。私の、愛しい妻。可愛い、シェリル」
「私も愛しています。私の、大好きな旦那様……エグバート」
思いきってシェリルが夫の名を呼び捨てにすると、途端に彼の顔が迫り、唇が重なった。
密着した胸元から、お互いの心臓が速い鼓動を刻んでいることがはっきり分かる。
ほぼ同じ体温が解けあい、互いの心をも相手の体温に混じっていくかのように、身も心も満たされる。
顔を離した二人は互いの顔を見つめ、そして同時にくすっと笑いだした。
「シェリル、顔が真っ赤だな」
「あら、エグバートも赤いですよ」
「誰かのせいだな」
「誰のせいでしょうね」
子どもの言葉遊びのようなやり取りをしながら、二人の手が自然と重なり、ぎゅっと握られる。
シェリルの指は短くて細いので、エグバートの大きな手でほとんど包まれてしまっている。
だが――こんな小さくて頼りない手でも、シェリルはエグバートを支えられる。これまでも支えてきたし、これからも、自分にできる形でエグバートを支えたい。
「……これからもよろしくお願いします、エグバート」
「突然だな。だが……私の方こそ、よろしく頼む、シェリル」
返事と共に優しく手を握られ、シェリルは唇の端に笑みを浮かべた。
これまでも、これからも。
エグバート共に、シェリルは歩いていける。
これにて完結です。
お付きあいくださり、ありがとうございました!




