60 忠義の盾①
屋敷の中は、なかなか荒れていた。
そもそもジャレッドはここを終の棲家とするべく買ったわけではないので掃除も適当だったようだし、旧王国軍の者が通過した場所などは、見るのも無惨なくらい荒らされていた。
――そんな屋敷の三階。
シェリルとリンジーが捕らえられていた部屋の床に、ボロボロにされたジャレッドが倒れていた。
「ジャレッド様……!」
「……あ、ああ。なんだ、お嬢様か。てっきり聖女神様が、いらっしゃったのかと……」
「君を聖女神の御許に送るのは、まだ早い」
既に魔道士による治療を受けていたようだが、こんなときでもジャレッドは軽口を叩きつつ、立ち上がる元気はないようで床に転がったままだった。
シェリルとエグバートが揃って部屋に入り、魔道士たちは一旦下がらせた。
先ほどの間にシェリルはチョーカーを外してもらっていたので、いざとなったらジャレッドの治療もできるし、この屋敷を破壊することもできる。
「……あー、そうだ。お嬢様、あの約束は――」
「例の女性でしたらさっき、騎士の方にお願いしました。事情聴取はするそうですが、問題なさそうなら王都追放処分で終わらせるようです」
「……ああ、そうですか。ありがとうございます、本当に」
「……ジャレッド。君は……いったい何をしでかしてくれたんだ」
ジャレッドはほっとしたようだが、エグバートの声には怒りが滲んでいる。
自分の前に膝をついたエグバートを見、ジャレッドは苦く笑った。
「あはは……ほーら、やっぱり怒ってますよ、お嬢様」
「それはそうですけど……」
「私の話を聞くんだ、ジャレッド。……君は私たちの知らない場所で、旧王国軍の情報を掴んでいたんだな」
「そういうことです。……どうしても、やつらをぶっ潰したかったので」
エグバートが静かに問うと、ジャレッドは素直に頷いた。
もうこれ以上隠しごとをする必要はないと分かっているからか、彼はすらすらと打ち明ける。
「最初、やつらの狙いはどちらかというとお嬢様の方でした。お嬢様がいなくなれば、エグバート様はミルワード夫人の息の掛かった別の令嬢と再婚し、利用できるだろうと。でもお二人がイチャイチャするもんだから、諦めたようです。……そこまでは、俺も黙って様子見をしていられました」
「……ジャレッド様が行動に移ったのは、エグバート様を害されると思ったからなのですか?」
シェリルが問うと、ジャレッドは微笑んで頷いた。
「はい、そうです。……ミルワード夫人は最初、趣味の悪い贈り物をお嬢様に届け、様子を見たそうです。そうしたら、エグバート様がお嬢様のために怒るものだから、シェリル様を殺すのではなく、利用した方がいいと思ったのでしょうね」
趣味の悪い贈り物――あの派手な紫色の髪飾りのことだろう。使う機会がないし……かといって捨てられないので引き出しの奥に入れたままなのだが、あの頃から既に、夫人はエグバートとシェリルをどう利用しようか考えていたようだ。
「あの人、早く孫を見せてくれってせっついてきませんでした? 孫が生まれたら用済みのエグバート様を殺し、エグバート様の死を理由に反乱を起こす――そんな企みが分かったら、もう黙っていられませんでした」
「それで、シェリルを?」
「はい。この命に誓って、お嬢様に手は出しておりません。でも……連中は、焦るでしょうね。もしお嬢様が産んだ子が俺と同じ髪の色をしていたら、計画は水の泡です。……俺がお嬢様を屋敷に連れ込んだ、という噂を流せば、やつらは血相を変えて殴り込んでくると分かっていました。もちろん、お嬢様を殺すために」
「……君は、シェリルを、囮にしたんだな」
明らかな怒気を孕んだエグバートの言葉にも怯まず、ジャレッドは笑顔で頷いた。
「ええ。……リンジー、でしたか。彼女もずっとお嬢様の側にいたので、証言をしてくれるはずです。ミルワード夫人も旧王国軍の幹部たちも捕まり、後は俺が尋問を受けて全てをゲロれば、おしまいです」
「……尋問?」
シェリルがびくっとして問うと、途端に笑顔を消したジャレッドが小さく頷いた。
「……俺は、女王陛下の名の下に婚姻が結ばれたお嬢様を誘拐し、手込めにした可能性があります。実際には何もなかったとしても、おもしろおかしく吹聴する者もいるでしょう。……ですから俺は魔法で尋問を受け、洗いざらい吐き出す。そうすれば、俺がお嬢様に何もしていないこと、お嬢様が無事だったことはあのメイドお姉さんが見ていたはずだということ、そして俺が見知っていたミルワード夫人たちの情報――全てを、吐き出せるのです」
「待って! 魔法で、って……それがどういうことか、分かっているのですか!?」
思わずシェリルは声を上げ、ジャレッドの前に倒れ込むように詰め寄ってしまった。
ジャレッドはさらりと言ったが、魔法を使った尋問なんてとんでもない。確かに自白効果のある魔法は存在するが、被術者の精神に異常を来す可能性が高いため、特別な許可がない限りは使用を禁じられている。
重大な罪を犯した者や、とんでもない機密事項を知っている者の口を割らせるために使われることはあるが……それほどでもないのならせめて、自白に近い効果のある魔法薬程度で終わらせる。それくらいなら城にも常備されていて、普段から使用されるのだ。
「もちろん、知っていますよ。……自白魔法を掛けられた後、精神が崩壊し、廃人になった例もたくさんある、ってね」
「待て、ジャレッド。……そのようなことはさせられ――」
「甘いですよ、エグバート様。……俺はあなたの花嫁を奪い、その体を暴いたかもしれない憎き男です。あなたは俺やお嬢様の言葉を信じているのかもしれませんが……世間は優しくない。裁判の場で俺が自白して初めて、お嬢様に何もなかったことが証明され――この件にかたがつくのです」
淡々と言われ、シェリルは分かった。
(ジャレッド様は、全てを見通した上で私たちを誘拐した……)
彼の計画の中に、「自白魔法を受けた上で尋問を受ける」ということも最初から入っていたのだ。
そして、それをしなければこの件がまとまらなくなり、シェリルやエグバートが中傷を受ける可能性があることも。




