50 不屈の貴公子
マリーアンナ視点
女王マリーアンナは、鏡に映る己の姿をじっと見ていた。
「そんなに見てどうしたんだい、マリー」
「威厳のある格好になっているかどうか、気になってね」
傍らの揺り椅子に座るテレンスに問われ、マリーアンナは目を細めた。
マリーアンナ・アナスタージア・アディンセル、三十六歳。
エンフィールド王国女王であり、アディンセルの名を持つ一人目の王として、非常に改まった場ではアディンセル一世と呼ばれることもある。
艶のある赤茶色の髪は肩先でばっさりと切りそろえられており、貴族女性たるもの髪を伸ばすべきと教わってきた女性たちの中には、初めてマリーアンナの短髪を見て卒倒する者もいたくらいだ。
今から二年ほど前に革命軍を結成し、数ヶ月間の短期決戦で叔父にあたる先代国王を討ち取った彼女は「革命女王」と呼ばれ、人々から様々な眼差しで見られている。
マリーアンナに対する評価は、二分される。
先代国王に虐げられていた者や近隣諸国の王たちからは尊敬の目で見られ、逆に先代国王の賛同者からは「野蛮な平民上がりの女」と陰口をたたかれる。
陰口をたたかれて無視するほど、マリーアンナは手ぬるくない。今、王城にいる貴族たちは、マリーアンナに忠誠を誓ったために在留できた者か、戦後新たに爵位を与えられた者かの、どちらかだ。
革命軍時代からの部下であることが多い後者はともかく、前者はいつ暴動を起こされるかたまったものではない。
だから、刃向かう者は容赦なく罰し、使えそうな者はとことん使ってきた。
――元王子であるエグバートも、同じだ。
王宮でも爪弾き者で、革命戦争でも父王に命じられて渋々ながら出陣した、立派な体躯を持つ青年。
ディーンが倒し、縛り上げた彼を見たマリーアンナは、使えるなら使うし、刃向かうなら殺すと、決めた。
結果、彼はマリーアンナの予想以上に大人しくて従順で、ディーンの養女との結婚も素直に受け入れた。その素直さが逆に怪しいと思ったこともあったが……杞憂に終わったようだ。
文官として登用したエグバートだが、なかなか役に立つ。
書類仕事が苦手なマリーアンナのために丁寧に説明してくれるし、力仕事はもちろん、部屋の掃除や模様替え、マリーアンナの我が儘で菓子を持ってこさせるなどさせても、文句一つ言わずに忠実に仕事をこなす。
彼は自分のことをあまり頭がよくないと思っているそうだが、十分すぎるくらいだ。頭がいいのを鼻に掛ける者や手を抜こうとする者より、ずっと印象もいい。
彼に付き従う騎士・ジャレッドは少々危険なところもあるが、エグバートが無事でいる限り、彼も優秀な手先になる。
そういうことで、今の時点でマリーアンナの頭の中に、「エグバートの始末」という言葉はなくなった。
彼関連での不安要素をしいて言うなら、処分するタイミングを失ってしまったミルワード夫人関連だ。
「……あれもいつか、消さねばならないだろうな」
「ミルワード夫人のことだね」
さすがテレンスは、藪から棒に呟いた妻の言葉の意味を正しく理解している。マリーアンナは魔力を持たないのでよく分からないが、夫は人の心を読む魔法でも使えるのではないかと、たまに思う。
「エグバート殿が魔道士として目覚められたのは、非常に喜ばしいことだけれど……夫人がそれを知ったら、目の色を変えるかもしれないものね」
「ええ。……どうせあの女は、生かしておいても何にもならない。だが、いきなり処刑すれば騒ぎ立てる貴族も出てくるし、夫人の本心をあぶり出すのは危険だわ。どうしても、こちらに被害者が出てしまう」
「……君は、優しいね。一度懐に入れた者には、とても情け深くなってしまう」
テレンスが椅子に座って前後に揺れながら言うので、マリーアンナは苦笑して振り返った。
「本当に私が優しければ、叔父や従弟の首を嬉々として刎ねたりしないだろう。……まあ、それはいいとして。今夜は、エグバート殿とシェリルも参加してくれるのよね?」
「ああ、そのようだ。急なことだったし、断られたらそれは仕方ないと思っていたけれど、快諾してくれたようでよかったよ。急いでドレスを仕立てたと、シェリルからの手紙に書いてあった」
「……そうね。ディーンもいるし、あの口やかましい連中のおしゃべりを封じる一手を掴めたらいいのだけれど」
マリーアンナは言うと、窓辺に向かった。
よっこらせ、と少々爺むさい掛け声と共に立ち上がったテレンスも彼女の隣に並び、まだ夏の夕暮れ色に明るく染まる庭園を見下ろした。
マリーアンナは、堅苦しいことが好きではない。
だが革命戦争を終えた記念式典なので、女王がさぼるわけにもいかず、だいたいのことは大臣たちに任せ、宝剣を手にした悠然たる態度で式に臨むことにした。
戦後初となる式典なので、国内のほとんどの貴族に招待状を出している。領地でよほどの問題が起きたとかでない限り皆出席するので、城で一番広いホールを使っているが既に人まみれだ。
式典自体は厳かに、手早く終わらせた。
問題は、この後の歓談だ。
一応立食晩餐会も兼ねているので、厳粛な式が終わった後は、飲み食いしながらおしゃべりをし、交流することになっている。そしてこの間に、来賓たちは女王のもとへ挨拶しに来るのだ。
マリーアンナは尊大な態度で客を迎え、一言二言言葉を交わすのみにしていた。だがそのときの貴族たちのわずかな所作や言葉に込められた棘などは、隣でにこにこ笑っているテレンスが全て記憶している。
穏和で少し頼りなさそうな雰囲気のテレンスだが、魔道士としての腕前は随一だし、頭の回転も速い。彼を見かけだけで判断して油断した者は、あっという間に転落するのだ。
そもそも社交より剣を振り回している方が好きなマリーアンナは、ひたすら事務的に貴族たちの相手をしつつ――今回の「狙い」の者たちが来るのを待っていた。
それはもちろん、ウォルフェンデン男爵と娘夫妻だ。
先代国王派から手の平を返した伯爵の、長ったらしくてつまらないおべんちゃらを聞き流していたマリーアンナだが、やっと彼が退けてくれて――ぬっと現れた巨大な黒い影を見、ふっと笑ってしまった。
周りの貴族たちが思わずきょどきょどとするような体躯を持つのは、「暴走馬車」の名を持つディーン・ウォルフェンデン。酒宴用の酒瓶よりも太い腕には盛り上がった筋肉が付いており、胴回りはマリーアンナの三倍くらいあるかもしれない。
騎士団長の証しであるバッジや勲章を胸に着けた彼は一礼し、野太い声で挨拶をした。
「ディーン・ウォルフェンデンでございます。今宵はお招きいただき、ありがとうございました」
「よくぞ参った、ウォルフェンデン男爵。ご息女は息災か」
マリーアンナとしては分かりきったことではあるが定型どおりに聞くと、ディーンは頷いて一歩脇に退けた。
そこには、父の巨体ですっぽり隠されてしまっていたシェリルと、ディーンほどではないが十分に鍛えられた体を持つエグバートの姿が。
シェリルは深紅のドレスを着ており、柔らかい焦げ茶色の髪を複雑な形に結っている。ほんのり化粧しているからか、かつて革命軍で一緒に活動していた頃よりも健康的に見える。
男爵令嬢になったばかりの頃はどうにも慣れない様子だったシェリルだが、一年以上経った今はすっかり落ち着きを備えており、隣に立つ夫の腕に掴まって淑やかに微笑んでいた。
対するエグバートは黒の礼服姿で、癖のある赤金髪をまとめ、前髪も上げている。マリーアンナの母方の従弟にあたる彼だがなるほど、その顔つきは先代国王や異母兄によく似ている。
……かつて牢獄で見えた彼は、ぼろのような衣服を纏い、ぼさぼさになった髪と髭という姿だった。
だが――その頃から彼の青の双眸は澄んでおり、たとえ敗北し捕らえられようとも王族としての威厳を失わない姿に、マリーアンナはどきっとしたものだ。
そうして久しぶりに再会した彼は、生真面目な貴公子らしく表情を引き締め、朗々とした声でマリーアンナに挨拶をした。
「お招きいただけたことに、感謝します、女王陛下」
「ああ。そなたも健勝そうで何よりだ。……ウォルフェンデン男爵令嬢との結婚生活は、それほどまでそなたの心に潤いを与えているのだろうか?」
……さあ、ここからが「本番」だ。
マリーアンナがからかうように言うと、周りの貴族たちも関心を抱いたようにこちらを見てきた。
これまでほとんどの貴族に対しては言葉少なに応じるだけだった女王が、自ら話題を提供している。しかも、相手はあの「廃品」王子だ。
様々な思わくの入り交じった視線を受け、シェリルが少し身じろぎした。他人からの蔑視に慣れてしまったエグバートはともかく、決意はしているとはいえシェリルは少し居心地が悪いのだろう。
エグバートはそんな妻をちらっと見ると体を少し捻り、空いている方の手でシェリルの肩を抱き寄せた。
「はい。……女王陛下のお導きで結ばれた妻と過ごす日々は、私の人生で一番輝いております」
「そうか、そうか。それはよかった。シェリルも、エグバートと幸福な生活を送っているか?」
「はい。戸惑うこともありましたが、こうして最愛の夫と巡り会えたこと――女王陛下ならびに王配殿下のお心遣いに、男爵家一同感謝しております」
シェリルが言うと、エグバートとディーンも頭を垂れた。
それを見た周りの者たちがざわつき、穏やかな間差しで見守っていたテレンスがさっと貴族たちに視線を向けたのが分かる。
「それを聞けて何よりだ。……エグバート・ウォルフェンデン」
「はっ」
「そなたの命と忠誠は、どこにある?」
マリーアンナが静かに問うと、途端にその場が静まりかえった。
『汝の忠誠は、いずこにあるか』――時と場合によって多少の文言は変わるが、君主からこの問いをされたならば、臣下は自分が捧げるものとそれを捧げる先を告げなければならない。
騎士ならば、命と剣と忠誠。一般貴族ならば、命と忠誠など、どのような返事をするかはその者次第だが――さて、この元王子は、命と忠誠を誰に捧げるのか。
皆が固唾を呑んで見守る中、エグバートは妻から離れ、その場に跪いた。
「我が命は、エンフィールド王国に。我が忠誠は、アディンセル王家に、それぞれ捧げます」
朗々とした声が、広いホールに響く。
それはまさに、エグバートの決意表明だった。
彼がマリーアンナを始めとしたアディンセル家に従属し、その臣下としての役目を全うすると誓うこと。
それらは――王宮の中でくすぶっているマリーアンナに叛意を抱く者にとって、衝撃だったことだろう。
マリーアンナは微笑み、頷いてみせた。
「そなたの決意、受け取ろう。……ちなみにエグバート。そなたの愛は、どこに捧げる?」
「私の唯一の愛する妻、シェリルに捧げます」
顔を上げたエグバートが即答した途端、ホールにいた令嬢たちがきゃっと黄色い声を上げたのが分かった。
黙って成り行きを見守っていたシェリルが驚いたように夫を見下ろすと、エグバートは妻の顔を見上げ、柔らかく微笑んだ。
今の彼はもう、「不良品」やら「廃品」やらと呼ばれていた不遇の王子ではない。
自分の生きる道を自分で見つけ、愛する人と共に過ごす日々に幸福を見出す、眩しいばかりに美しい男だった。




