48 新しい衣装
半月後ということでせわしなかったが、エグバートが仕立屋などを手早く手配してくれたので、式典数日前には屋敷に、見事な赤のドレスが届いた。
エグバートから聞いたのだが、こういう式典に参加する際に着るドレスなどには、色や装飾の指定があるそうだ。
たとえば、紫を着ていいのは王族だけ。王子王女は両親よりも薄い色合いで、国王から三親等以内の者であれば臣下でも、ごく淡い紫色を纏うことを許される。
参加者が衣装のメイン色として選んでいいのは、赤、青、黒のいずれかのみ。女性の場合、レースよりも刺繍で豪奢に仕上げる方が周りに与える印象がよく、夏場だろうと「重み」のある装いがよいとされている。
ただしシェリルは暑がりで、それなりに汗も掻く方だ。よって仕立屋に頼んでなるべく薄手の素材にしてもらい、皆の前で見苦しい様にならないように工夫した。
(すごく、きれい……)
リンジーが箱から出してくれたドレスを胸の前にあてがい、鏡の前に立ってじっくり見つめてみる。
ドレスの生地は、ワインで染めたかのような深い赤色。一見すると暑苦しくも感じられるが、このドレスは薄手の生地を何枚も重ねたものなので、見目のわりに着ている方は暑くないという。
確かに、ドレスのスカートを持ち上げるとさらりと布地がめくれ、少しずつ色の濃さを変えた赤の生地が見事なグラデーションを描いていた。
同時に、エグバート用の衣装も届いていた。こちらは黒い礼服で、リンジーが箱から出すのを見ていたのだが、やはりとても大きい。豪華な銀の刺繍が施されたジャケットをシェリルが着れば、裾が膝裏くらいになりそうだ。
「あと……お嬢様、こちらも」
そう言ってリンジーが差し出してきたものを見、シェリルは思わずごくっと唾を呑み込んだ。
リンジーが手にしているのは、ドレスとは全く違うぺらっとした薄い布地。
ごく薄い布製のそれは、夏用の寝間着だった。ただし、今までシェリルが着ているものよりも、露出が多めだ。
(仕立屋さんに、「若旦那様に喜んでもらえますよ」って言われて、つい買っちゃったんだよね……)
実はこの仕立屋、かつて前王妃フィオレッラのお抱え針子だったらしく、幼少期のエグバートのことも知っていた。
王妃が亡くなってからは王宮を辞して自分の店を持っていた彼女だが、エグバートのことはずっと気に懸けていたし、エグバートも母が世話になった針子である彼女の店は、個人的に利用していたそうだ。
ちなみに、結婚前に彼から贈られたドレスも全て、この店で買ったものらしく、初めてシェリルと会ったときの仕立屋は、「ずっとお会いしたいと思っておりました」と嬉しそうに話してくれた。
……そんな彼女は、エグバートが妻とうまくやっていけているかどうか、とても気にしていた。そしてシェリルが、「恋人同士のような関係から始めている」と教えると、この寝間着を勧めてきたのだ。
ぺらっと目の前で広げてみる。
デザインとしてはやや可愛らしい感じがするし裾も膝丈で短いが、胸や腹回りなどはあて布を使っており、夏場でも体を冷やさないように工夫されていた。
大胆な四分袖デザインだが、重ねられたシフォンが柔らかく二の腕を隠してくれている。喉回りや足元は少しすうすうしそうだが、淡いピンク色のワンピースはとても可愛らしく、シェリルも気に入った。
(可愛い! ……でもこれを着て、エグバート様と一緒に寝るんだよね……?)
仕立屋はこれを勧める際、「エグバート様がお喜びになること間違いなしですよ」と言っていた。真面目な彼は案外ベタなものが好きだとシェリルも最近知ったので、こういう可愛らしいものを着れば、彼も褒めてくれる――かもしれない。
「早速、今晩はこれを着てみるね!」
「ええ。……きっと、ぐっすりお眠りになれますよ。ええ、とてもぐっすりと」
そう言うリンジーは遠い眼差しをしていたが、可愛い寝間着を手に入れられてうきうきのシェリルは気付かなかった。
夜にエグバートが帰ってきたので、早速衣装のことを報告する。
「私のドレスも思っていたとおりでしたし、エグバート様の礼服もとても素敵でしたよ。仕立屋さんは、一度袖を通してもし不都合がありそうなら、すぐに寸法を直すと言っていました」
「そうか。……彼女は王宮を退いた後も、私用の服を仕立ててくれたからな。そんな私の妻になったシェリルに会いたいとずっと言っていたし、あなたのための一着を仕立てられて、きっと喜んでいるだろう」
エグバートは穏やかな表情で言う。
前王妃亡き後、冷遇されていた王子の身の回りの品を率先して用意してくれる者は、あまり多くなかっただろう。そんな中でも目を掛けてくれた仕立屋のことをエグバートはとても信頼しているようで、聞いているシェリルも嬉しくなってくる。
(これなら仕立屋さんの言うとおり、寝間着も気に入ってくださるかな……?)
シェリルがわくわくしていることが伝わったのか、茶を飲んでいたエグバートが顔を上げて苦笑した。
「……楽しそうだな。そんなにドレスが気に入ったのか?」
「それもありますが、実はもう一着、買っていたものがあるのです。とても可愛いのでこの後で着て、お見せしますね」
「そうなのか? 分かった、楽しみにしている」
エグバートはそう言って、笑った。
風呂に入り、使用人たちと一緒に明日の予定を確認してから、寝室に上がる。
既にシェリルはガウンの下に例の寝間着を着ており、早くエグバートに見せたいと胸を膨らませつつ風呂に入った――のだが。
「……なんか、エグバート様の様子、おかしい?」
リンジーに髪をとかれつつシェリルが呟くと、背後でぴくりと震える気配がした。
「おかしい、とは?」
「うーん、うまく言えないけれど……お風呂に入る前に、困ったような顔でこっちを見られたの。何かおっしゃりたそうにしていたけれど、結局そのままで」
今、エグバートも湯浴みを終え、寝仕度をしている頃だ。これからシェリルが主寝室に行ったところで合流となるが、いまいち彼はシェリルの寝間着お披露目を楽しみにしているように思われなかったのだ。
そういうことを、シェリルが言葉を選びつつ言ったのだが、なぜかリンジーはため息をついてしまった。
「……これは私の勝手な予想ですが、若旦那様は勘違いをなさっているのかと」
「……なにか、勘違いするようなことでもあったっけ?」
「おそらくですが、お嬢様の『もう一着』は寝間着ではなく、普段着用のドレスか何かかと思われていたのでしょう」
「それは……ああ、そういうこと!」
リンジーの説明を受けて、シェリルはぽん、と手を打つ。
つまり彼は、ティータイムの後にすぐシェリルが新しい服のお披露目をしてくれると思っていたのだ。
だがシェリルは何もしないまま風呂に行ってしまった。彼のことだから、シェリルに尋ねようと思っても尋ねられなくて、あの眼差しになっていたのだろう。
「それは、悪いことをしてしまったね……エグバート様、怒ってらっしゃらないかな」
「若旦那様が怒る確率は、明日空から槍と剣が降ってくる確率に等しいですね。お可愛らしいお嬢様のドレス姿を見られなくてがっかりはなさっているかもしれませんが、お怒りになることはないでしょう。それに、お嬢様がきちんとその寝間着をお見せすれば、たとえ勘違いだとしても誤解はすぐに解けますよ」
「そうね……そうだよね!」
ほっと胸をなで下ろし、シェリルは髪がきれいになったのを確認し、よし、と立ち上がった。
「ありがとう、リンジー! ……エグバート様がどうおっしゃってくださったか、明日に報告するからね」
「ええ、ええ。使用人一同、とても楽しみにしております」
相変わらずリンジーは遠い眼差しだが、エグバートを怒らせたのではないと分かってほっとしていたシェリルは、気付かなかった。




