47 式典への誘い
夏も深まってきたある日、珍しく帰宅したディーンは、凄まじい形相をしていた。
「おかえりなさい、父様。戦場帰りのような顔をしてるわよ」
「おかえりなさいませ、男爵。……その、いかがなさいましたか?」
「……ただいま戻った」
揃って出迎えたシェリルとエグバートにちゃんと挨拶を返しながらも、ディーンの表情は晴れない。
生まれたときからディーンと一緒にいるシェリルは、この表情は「怒り」ではなく「困惑」もしくは「疲労」を意味するのだと分かっているが、隣のエグバートはかなりピリピリしている。
「……父様、エグバート様が困ってらっしゃるわよ。何かあったのなら話を聞くから、もっと穏やかな顔をして」
「シェリル!」
「……む、そうか。すまない、二人とも。少し、考えごとをしていた」
エグバートは慌てるが、ディーンははっとしたようにまばたきし、素直に謝ってきた。強面で勘違いされやすいのだが、ディーンもエグバート並みに真面目な正直者なのだ。
エグバートも義父が怒っているわけではないと分かって安心したようで、「こちらへ」とリビングの方に呼んだ。もう既に三人とも夕食を済ませているので、これから茶の時間だった。
シェリルがリンジーたちに茶の仕度を指示している傍らで、エグバートがディーンと話をしている。
「本日もお疲れ様でした、男爵。何かお困り事があるのでしたら、私も微力ながらお手伝いします」
「……すまないな。まさに、シェリルと貴殿に関することだったもので」
「私が?」
「私の?」
シェリルとエグバートの声が被った。
ふたりははっと顔を見合わせると、同時にくしゃっと笑った。面はゆい気持ちになったシェリルはエグバートの隣に座り、「声、被っちゃいましたね」と冗談めかして言う。
エグバートも微笑んで「被ってしまったな」と言う様を、しばしディーンは目を細めて見ていた。
言いたいことはあるようだが、娘夫婦の仲睦まじい様子を邪魔することもできず、彼は大人しく見守り――リンジーが茶を持ってきてくれたのを好機に、咳払いした。
「……半月後に、終戦記念日があるのは知っているな」
「ええ。先代国王の首が落とされ、革命が終了した日ですよね」
エグバートがものすごくあっさりと言うのが、少しシェリルは意外だった。
終戦記念日は――ひいては、エグバートの父と異母兄の命日にもあたる。
さんざん悪政を敷いていた先代国王と、その寵愛を受けてやりたい放題をしていた第一王子が討たれた日を祝うというのは、エグバートとしては複雑な気持ちもあるかもしれない。
だが、シェリルが見る限りエグバートが終戦記念日について気にしている様子はない。むしろ、「もうそんな時季か」と言いたげな横顔だった。
「そうだ。……昨年はまだ戦後処理が終わっておらず、記念日も内々だけの祝賀会で終わった。だが今年は情勢も安定しつつあるし、まだ城下町の外でたむろしている旧王国軍の連中を牽制するという意味も兼ね、式典を行うことになっている。それも、聞いているな?」
「うん、そういうことをする、ってのは聞いてるよ」
「……そこに、おまえたち夫妻も参加してほしいと女王陛下がおっしゃっているのだ」
少し嫌そうに言うディーンに、シェリルとエグバートは顔を見合わせ――そうなったのか、と二人同時に頷いた。
式典を行うことは、かなり前から聞いている。それには「革命女王」の右腕であるディーンも呼ばれているらしく、彼が嫌々ながら仕度をしているのも聞いていた。
だが、シェリルたちには特にお呼びが掛かっていなかった。シェリルはディーンの娘とはいえ養女だし、父親が一代男爵であるだけの所詮は成り上がり貴族。
エグバートに至っては身分も名誉も返上した、ただの婿だ。二人も自分たちが参加するいわれはないと思っていたので、特に気にしていなかったのだが。
「でも、本当に私たちが行ってもいいの?」
「先ほども言ったが、牽制のためだ。……旧王国軍の者が城下町に入ることは、不可能だ。おまえたちとて、ノコノコと城壁の外に行くほど馬鹿ではないと分かっている。だが、何が起こるか分からない以上、女王陛下はできる限りのことはなさりたいとお考えだ」
「……私たちが揃って参加し、仲睦まじい夫婦として振る舞い――かつ、アディンセル家に敵意を持たないということを証明するのにもよい場なのですね」
エグバートに言われて、なるほどそういうことかと完全に納得できた。
式典へのシェリルたちの参加は、言ってしまえばアピールだ。
ストックデイルの家名は失ったとはいえ、エグバートは女王の従弟にあたる王族で、血脈で言うなら女王と何ら違いはない。旧王国軍派がアディンセル家の転覆を目論んでいるのならば、エグバートを狙う可能性が高い。
だがそのエグバートが皆の前で女王に忠誠を誓い、男爵令嬢の夫としての日々に満足していることを知らしめれば、もし城内に旧王国軍思考の者がいても、彼らを抑えることになるのだ。
エグバートは王位継承権を失っているが、彼の継承権が復活する「もしも」の可能性はいくつか考えられる。考えられてしまうのが、女王としても歯がゆいところだろう。
だが王位継承権の復活には、本人の意志が絶対に必要だ。だから、エグバート本人が「王族に戻りたい」という意志を持っていないのなら、周りの者がいくら騒いでも無駄なのだ。
エグバートは女王に叛意を持っておらず、平民に毛が生えた程度の男爵令嬢の婿として人生を全うすることに、納得している――この姿勢を見せつけるのが、目的なのだ。
「……女王陛下も色々考えられた末の、決断なのだ。だから急ではあるが、おまえたちも仕度を進め、式典に参加できるようにしてもらいたい。もちろん、都合が悪いのなら断ることもできるが……」
「式典への参加自体は、私は構わないわ。……エグバート様は、いかがですか?」
「私も、異論はない。今後のことを考えると、女王陛下のご判断のとおりにするべきだと思う。私とて長生きはしたいから、ここでしっかりと女王陛下への忠誠心を見せつけ、邪なことを考える連中に悔しい思いをさせたいところだ」
エグバートもしっかり言ったので、シェリルはほっとした。
「よかった……あ、でも、それなら本当に、急いで仕度をしないと! ドレスとかいるよね!? というか、どんな格好をすればいいの!?」
なにせ、シェリルは今まで男爵令嬢としてほとんど何もしたことがない。
貴族の家に生まれた生粋の令嬢であれば十六歳頃までにデビューを済ませるのだが、成り上がりのシェリルは社交界に出てもいないし、そもそも出る必要もなかった。だから、こういった場で何をすればいいのか、ちっとも分かっていないのだ。
だが今になって焦るシェリルの肩に、ぽんと大きな手が乗った。
「大丈夫だよ、シェリル。こういうときこそ、私を頼ってくれ」
「エグバート様……」
「男爵。シェリルと私の式典への参加に向けた準備について、私に一任してくださいませんか。これでも、社交界で必要な知識や基本的な式典の流れなどは、存じております」
エグバートが前を向いて問うと、ディーンは難しい顔をしたまま頷いた。
「……そうだな。貴殿ならばきっと、よくシェリルのことを支えてくれるだろう。俺とて社交のことはよく分からん。貴殿に任せた、エグバート殿」
「はい、お任せください。……そういうことだから、私に任せて。半月後ということだけれど、あなたを立派にエスコートできるようにするから」
こちらを見たエグバートがそう言って微笑むので、シェリルもこわごわ微笑んで彼の空いている方の手をきゅっと両手で握った。
「はい……すみません、お願いします」
そのまましばし夫婦は互いを見つめあっていたが、やがてどちらも恥ずかしくなったようで、同時にさっと視線を散らした。
「暴走馬車」はそんな娘夫婦の様子を、親の仇を前にしたかのような眼差しで見ていたため、茶のお代わりを持ってきた使用人がヒッと息を呑んでいる。
彼としては「愛娘の幸せそうな様子を見て微笑ましく思っている」つもりなのだが、彼の表情筋でそんな複雑なことを表現するのは、少し難しかったようである。




