44 男爵令嬢夫妻のあれこれ・夜②
掃除道具を片づけ、エグバートの名を呼ぶ。
「お待たせしました。それじゃあ、始めましょうか」
「ああ、よろしく頼む。……今日は、魔法石を使わせてくれるということだったか」
「ええ。……もしかして、楽しみにしていました?」
「ああ。新しいものに触れるのは、いくつになっても胸が高鳴る」
そう言うエグバートの青の目は少年のようにきらきらしており――シェリルの胸がきゅんっとする。
不覚にも、「可愛い」と思ってしまった。
「それはよかったです。……まず、魔法石についてですが。エグバート様はこれまで、魔法石に触れたことはありますか?」
「そうだな……子どもの頃、母の侍女をしていた者から譲ってもらったブレスレットがあった。あれには魔法石が付いていたようだったが、私にはよく分からなかったな」
エグバート曰く、そのブレスレットには宝石代わりに魔力を込めた小さな魔法石が埋まっていたらしく、侍女は「きっとこの石が殿下を守ってくださいます」と言っていたそうだ。
シンプルだが品のあるブレスレットを気に入って日頃から身につけていたエグバートだがある日、魔法の練習をしていた異母兄が「うっかり」魔法を向ける先を間違え、エグバートに魔法をぶつけてきたそうだ。
「どう考えてもわざとじゃないですか!」
「今考えればそうなのだが、当時の私は混乱していたし、兄を責めて皆から叱られるのが嫌で、黙っていた。……まあそれはいいとして、ウォルターが私に向けてきたのは軽い衝撃波だったようだが――私には胸を押されたような感覚があるだけで、同時にブレスレットの魔法石が粉々に砕けたんだ」
ということは、その魔法石には魔法防御を高める効果があったのだろう。
持ち主に魔法が迫っていることに気付いた魔法石が反応し、ウォルター王子の魔法を弾く。そうしてエグバートはほぼ無傷で済んだが魔法石は衝撃に耐えられず、砕けてしまったのだろう。
そういうことか、とシェリルは顔を見たこともないウォルター王子に呪いを吐き、木箱を持ってきてエグバートの前に置いた。
ここに入っているのは、様々な形にカットされた小さな魔法石。数ヶ月前、エグバートと結婚することになったシェリルが褒美としてテレンスからもらったものだ。
「エグバート様のブレスレットに嵌まっていた魔石にはきっと、その侍女の方の魔力が込められていたのでしょう。……ちなみにその魔法石がどんな形だったか、覚えてらっしゃいますか?」
「……確か、こんな形だったかと」
そう言ってエグバートが箱の中から摘み上げたのは、ぎざぎざにカットされた小さな石。
魔法石は丸くて大きいほど効果が高まるので、ブレスレットに使われていた魔法石はごく安価で、効果も低いものだったようだ。とはいえ不遇の王子に密かに渡す贈り物に仕込むとなれば、これくらいが妥当だっただろう。
その後シェリルは一通り魔法石の説明をしてから、魔法石に魔力を込める練習をさせることにした。
「魔力をうまく込めると、術者から遠く離れた場所に魔法石を持っていっても遺憾なくその効果を発揮できるようになります」
「それはすごいな。……魔法石に込められた魔力が途中でなくなることは、ないのか?」
「術者よりも強力な魔道士の前では、簡単に壊されます。ただ、魔法は精神力が必要なので――たとえ相手が強力な魔道士でも、不意打ち攻撃を仕掛ければ十分勝機があります。強い魔道士と戦うときは隙を狙い、魔力抑制器具を嵌めさせたりしますね」
「なるほど。勝利のためには手段を選んでいられないのだな」
「そういうことです。……それじゃあ早速、やってみましょうか。まずはご自分の魔力をこの魔法石に移すことから始めましょう」
立ち上がったエグバートが魔法石を手に乗せてうんうん唸るのを横目に見ながら、シェリルは自分用にメモしていたエグバートの授業記録を眺める。
彼は元来真面目でこつこつ取り組むタイプだからか、ここしばらくの間でかなり魔力が安定してきた。
少なくとも授業の間に、炎を起こしたり衝撃波でテーブルの上のものを倒したり、真っ暗な部屋を淡く照らす光を出したりはできるようになった。
(でも、どれも魔力量としては平均以下――下手に強い魔法を使わせない方がいいな)
おそらくこれからどれほど鍛えたとしても、エグバートの魔力が格段に増えることはない。量としては、ここで頭打ちなくらいだろう。
だが、魔力量が少ないから魔道士として劣っているわけではない。先ほどシェリルも言ったように、隙を狙えばエグバートでも十分他の魔道士に勝つ見込みはある。
シェリルは、彼が持っている魔力量でいかにうまく能力を伸ばせるか、を考えるべきだ。
――結果、二十分ほど集中したエグバートは、透明だった魔法石の下部にわずかに溜まる程度の魔力を流し込むことができた。
「す、すごく疲れるな……」
「そうですね……普段魔力を放出するのと違って魔法石に流し込もうとしてもきちんと蓄えられるのは、三割ほどです」
「なるほど。……ちなみに、あなたならすぐにできるのか? 見てみたい」
「分かりました」
椅子に座り込んだエグバートから魔法石を受け取り、うんっ、と声を上げる。
途端、中途半端な量しか溜まっていなかった魔法石内に魔力が満ちあふれ、エグバートが目を丸くした。
「……一瞬で」
「えっと、まあ、慣れですね」
「……シェリルはすごいな。こんなに小さな体なのに、私よりもずっと巧みに魔法を操って……」
「私は魔法を習うようになって十年以上ですから、エグバート様と差が付いて当然ですよ」
シェリルは微笑むと、魔法石を片づけた。エグバートの魔力とシェリルの魔力が混ざった状態のこの魔法石は、後日個人的な実験用に使うつもりだ。
エグバートはしばらくの間、ちびちびと冷たい茶を飲んでいた。だが彼が何か言いたそうな眼差しで見てくるので、シェリルはふふっと笑って彼に近づく。
「……今日の私は、どうだった?」
「初めて魔法石に魔力を流したとしては、十分すぎるくらいですよ」
「そうか、よかった。……では、その……」
だんだんエグバートの声が尻すぼみになり、やがて彼は頬を赤らめ、俯いた。
このときに彼が何を言いたいのか、シェリルはもう分かっている。
つまり、頑張ったご褒美がほしいのだ。
彼と想いを通じさせるようになって分かったのだが、エグバートはシェリルにされるのなら、「ご褒美」も「お説教」も、これ以上ない喜びとなるそうだ。
「ご褒美」はともかく「お説教」で喜ぶのはどうなのかと思うがリンジー曰く、「きっと若旦那様はそういうのに興奮なさる質なのでしょう」とのことだった。
それはいいとして。
シェリルも頑張った生徒にはしっかり褒めるのが上達のコツだと思っているので、頑張った後のエグバートはうんと甘やかすようにしていた。




