43 男爵令嬢夫妻のあれこれ・夜①
食後、シェリルはあらかじめ冷やしていたプリンを皿に出し――ふるん、と揺れる様を見て、ほっと息を吐き出した。
(よかった。底面を見たときよりは、すが目立たないな)
間近でじっとよく見ればぶつぶつが分かるが、クリームやフルーツで十分誤魔化せるだろう。
既にホイップしてもらっていたクリームを絞り、小さめに切ったフルーツを添える。
このフルーツは少し前に、シェリルの魔法で凍らせていた。それがほどよく溶けているので、シャリシャリとした食感のある、この季節にぴったりの味わいになるはずだ。
同じく魔法で冷やしたアイスティーを添えてシェリルがリビングにデザートを運ぶと、エグバートは目を丸くしてプリンを見つめた。
「これは、おいしそうだ。……添えられているのは、凍っている果物か?」
「はい。ソース、掛けますね」
「ああ、頼む」
柑橘類のジャムをさらにとろとろにしたソースをピッチャーに入れ、そっと垂らす。そうすると、プリンの黄色にジャムの夕焼け雲色、添えたベリーの赤色にホイップクリームの白が、鮮やかに皿を彩った。
「できました。では、どうぞ」
「ああ、いただこう」
早速エグバートはスプーンを手に取り――しばらくそのまま動きを止めた。きっと、どこからスプーンを入れようか迷っているのだろう。
大きな体に小さなスプーンを持ち真剣な顔で考え込むエグバートだが、やがてプリンを掬った。
ふるふると震えるプリンがエグバートの引き締まった唇の間に消えていくのを、シェリルは固唾を呑んで見守る。
「……うん、これはおいしい。ス、というのはどこにあるんだ?」
「あ、ありがとうございます。すは……蒸すときにできる小さな穴のようなもののことです」
「む、そうだったのか。……てっきりそういう具材なのだと思ったが、不勉強だったな」
こんなときでもエグバートは真面目である。
彼がすいすいとスプーンを動かすようになったので、シェリルも自分のプリンに手を付けた。
魔法で冷やしたプリンは冷たく、ころころにカットして凍らせたベリーはさっくりとした歯ごたえの後、舌の上でとろける。砂糖控えめのホイップクリームは、柑橘ソースと和えるとちょうどいい甘酸っぱさになった。
「おいし……」
「ああ、本当に。シェリルは菓子職人の才能もあるのかもしれないな」
「そ、そんなのプロに失礼です! 私は本当に基本的なことしかできないので」
「そうか? 私は料理は一切できないから、よく分かっていなかった」
確かに、降嫁して貴族の家の女主人になる可能性のある王女ならともかく、王子が厨房に立つとは思えない。
(でも、エプロンを着て厨房に立つエグバート様……結構似合うかも)
プリンを舌の上で味わいながら、シェリルは考える。
彼は手も大きいから、シェリルではうんうん言いながら両手でやっと持ち上げられる鉄鍋も、軽々と片手で扱うだろう。だが、包丁は扱いづらいかもしれない。
だからシェリルが彼の隣に立って野菜の皮を剥き、その隣でエグバートが鍋やフライパンを器用に扱うのがいいだろう。
切った野菜を渡すと、お玉を手にこちらを向いたエグバートが優しく微笑んでくれて――
(あ、ありえないありえない! 元とはいえ王子様に、料理をさせるなんて!)
ぶんぶんと頭を振っておままごと妄想を振り払い、冷たい紅茶でカリカリしていた喉を潤す。
エグバートなら頼めばやってくれるかもしれないが、さすがにそこまでおねだりするつもりはない。まず、彼の体格にあったエプロンが存在しない。
エグバートは丁寧にプリンを褒めながら、つるっと平らげた。シェリルのものよりも二倍は大きいはずなのだが、食べ終わるのはシェリルより早かった。
「とてもおいしかった。ありがとう、シェリル」
「どういたしまして。……今日は体も動かしてお疲れでしょうし、魔法の勉強は明日にしましょうか」
「ん? そんな必要はない。私はまだまだ元気だ」
シェリルはエグバートの体調を気遣って申し出たのだが、彼は首を横に振った。
「男爵との試合では敗北したが、動けなくなるほど叩きのめされたわけでもない。それに、あなたの菓子を食べて体力は完全に回復した」
「私のプリンは魔法薬じゃないんですが……」
「まあ、それはそうだが。……とにかく私は元気だから、あなたさえよければ今日のうちにやるべきことを済ませたい。私も、一昨日あなたから習った内容の復習をしていたので、それを披露したいんだ」
真面目な生徒に言われると、シェリルも「だめです」とは言えなくなる。
そういうことで、「無理は絶対にしないこと」を条件に今日も魔法の勉強をすることにし、二人は後かたづけをリンジーたちに頼んで研究室に向かった。
今日は城の魔法研究所に提出する用の資料を書いていたので、部屋は少し散らかっていた。
「片づけますので、エグバート様は座って待っていてください」
「分かった。ではその間に、学習内容の確認をさせてもらう」
エグバート用の教本やノートはこの部屋に置いているので、彼はシェリルが紙をまとめたりテーブルを拭いたりする間、真剣な顔で教本を読んでいた。
(エグバート様は、勉強が得意ではないとおっしゃっていたけれど……そういう感じはしないなぁ)
床を箒で掃きながら、シェリルはちらっとエグバートの横顔を盗み見た。
彼には異母兄がいたが、武術や戦術はともかく、勉学においては兄の足元にも及ばなかった、と自分で言っていたことがある。それに、第一王子と第二王子の出来の差は城の者たちもよく知っていたようで、シェリルも噂に聞いていた。
勉学では勝てないと分かっていたこともあり、エグバートは体を鍛えることにしたのだ。
それは彼なりの処世術で、生き延びるための戦略でかつ、自分の才能を存分に引き出すための方法だったのだろう。
そんな彼の思いを慮ることなく「不良品」「廃品」扱いした連中には、腹が立つ。
(それに、実際の学力がどうなのかは分からないけれど……エグバート様は、とても勉強熱心で真面目なのに)
彼曰く、「自分でも物覚えが悪いのは分かっているから」ということらしく、彼はシェリルの講義内容を丁寧にノートに取っているし、先ほども言っていたように自主的に復習もしているようだ。
授業態度も真面目だし、シェリルの指示にもきちんと従うのだから、十分優秀な生徒だと思う。
(……エグバート様の熱意に応えられるように、私が頑張らないと!)




