42 男爵令嬢夫妻のあれこれ・夕方から夜
今日、王城の練兵場でエグバートとディーンが模擬試合を行い、城中の暇人が集結して観戦するほどの賑わいになったそうだ――ということをシェリルが聞いたのは、ジャレッドを見送って魔法研究論文を書いた後の、お茶の時間のことだった。
どうやら城下町にお使いに行っていた使用人が情報を得たらしく、リンジー伝手で聞いたシェリルは愕然としてしまう。
「なにそれすっごく見たかったんだけど!?」
「ですよね! 革命戦争での決戦の再来だと、ものすごい人だかりになった中、旦那様と若旦那様は剣を打ち合われたそうです」
「で、どっちが!? どっちが勝ったの!?」
前のめりになりながら、シェリルは尋ねる。
シェリルとしては、養父と夫、どちらが勝っても嬉しいのだが――やはり妻として、今度は夫に一本取ってもらいたいと思ってしまった。
(ごめんなさい、父様。でもやっぱり、エグバート様にとっては再挑戦みたいなものだし……!)
だがシェリルの問いに、リンジーは微笑むばかりだった。
「それはぜひとも、帰宅なさった若旦那様にお尋ねになってください。若旦那様も、私どもから説明するよりは、ご自分の口でお話しになりたいでしょう」
「そ、それもそうだよね。……そっか、父様とエグバート様が」
最初の打ち合わせの日はかなりぎすぎすしていたが、結婚生活を初めて三ヶ月経った今は、婿舅の関係も良好になったようにシェリルは思っている。
ディーンはシェリルたちに気を遣っているのか、以前以上に帰宅する日が減ったがそれでも、帰った日にはエグバートと挨拶するし、夜に二人で晩酌もしている。
女人禁制とのことなのでシェリルは晩酌の場から摘まみ出されるのだが、給仕をする男性使用人に聞いたところ、「言葉少なではありますが、穏やかな雰囲気でした」とのことだったので、安心している。
そんな二人のことだから、喧嘩として模擬試合を始めたわけではないだろう。きっとどちらが勝っても互いの健闘を称えただろうし、それを見る周りの者たちにも、ディーンとエグバートの関係が険悪ではないことを示せたはずだ。
「……あ、そうだ。それなら食後のデザート、私が作ってもいい?」
「それはいいですね。若旦那様が勝たれていたら戦勝記念、負けられていても労いの意味になりますからね」
「うん!」
そういうことでシェリルは茶を飲むと、厨房に向かった。
使用人たちは話を聞くと笑顔になり、皆と相談した結果、プリンを作ることになった。
(エグバート様が帰宅なさるまであと一時間くらいだけど……魔法を使えば、すぐに冷やせるもんね)
男爵家で雇っている使用人の中で魔法を使える者はいないので、彼らが調理などをする際は、普通に竈や氷室を使う。だがそれらの維持費がかかるので、定期的にシェリルが魔法石に魔力を込めたものを使わせていた。
今回はシェリルが作るので、さくっと魔法で冷やすことができる。エグバートの帰宅に、十分間に合うだろう。
プリンの材料は、卵と砂糖とミルクと、香り付けの香料エキス。
とにかくシンプルなので、村で暮らしていた頃も大きな竈のある村長の家にお邪魔し、アリソンと一緒に作ったことがあった。
材料を混ぜ、卵の白身がダマにならないように一度こし器に通す。
容器は大小でサイズの違うものを用意した。当然、大きい方がエグバート用だ。
ここまではすぐにできるが、蒸す際にすが入らないよう、温度を調節する必要がある。
天板に薄手のタオルを敷き、水を張る。蓋をした容器を並べて竈に入れた後は、蒸し上がるまで待てばいい。
(でも、これだけだとちょっと寂しいから、アレンジしちゃおう)
ちょうど今日のメニューにキッシュがあったので、生クリームを使うことになっていた。その余りを使わせてもらいフルーツも飾れば、豪華なデザートに生まれ変わる。
そうこうしているとエグバートが帰宅してきたので、シェリルはエプロンを身につけたまま玄関に向かった。
「おかえりなさい、エグバート様」
「ああ、ただいま」
そろそろ暑い季節になったからか、エグバートは既に文官用のローブを脱いで腕に抱えていた。
それを受け取ったシェリルは、ずいっとエグバートの顔を覗き込んだ。
「エグバート様、聞きましたよ。今日、父様と試合をなさったんですって?」
「えっ? 誰から聞いたんだ?」
「リンジーたちです。城下町でも噂になっていたそうですが……まだ、結果は聞いていなくて」
「そういうことか。今日、休憩時間に男爵に誘われて……」
エグバートは微笑むと、「負けたよ」と笑顔のまま肩を落とした。
「もうちょっとでいけると思ったんだが、やはり男爵は手強い。なんといっても、あの剣技は私たちが教わったものと違い、予測不可能で容赦なく切り込んでくるし……ああ、すまない。立ち話してしまった」
「ええ。ぜひ、夕食の席でお話を聞かせてください」
負けたというのに、エグバートはとても楽しそうで生き生きしている。
彼はよほど天候の悪い日やシェリルが「一緒に二度寝したい」とぐずった日以外は毎朝鍛錬をしているようだが、騎士の称号を剥奪された彼は鍛えた体をもてあましていただろう。
どんな意図でディーンがエグバートと試合をしたのかは分からないが、たとえ結果はエグバートの敗北だったとしても、彼にとって非常にいい時間になったはずだ。
シェリルの予想どおり、夕食の席で試合のあれこれを話すエグバートは目が輝いており、言葉にも力がこもっていた。
「……いや、男爵の戦い方は非常に参考になる。私も一年前に、これまで模擬試合をしてきた騎士たちとは全く違う、貪欲で力強い攻撃を受けて初めて、敗北、という言葉が頭を過ぎったものだ」
「……確かに、父様の攻撃は……なんというか、すごくガンガンいきますよね」
実はシェリルも子どもの頃、叔父だったディーンを真似て剣を持ってみたのだが、「おまえには才能がないから、やめなさい」と言われてしまったのだ。
そんなシェリルでも、ディーンが革命軍でも随一の戦士として名を馳せた理由がよく分かる。
彼は味方からは「暴走馬車」と呼ばれており、彼が剣を振るって進んだ後に立っていられる者はなく、彼が戦い抉れた地にはぺんぺん草すら生えないと言われていた。
エグバートたち騎士も、騎士団で鍛錬を積んできたことだろう。だが、騎士の剣技は戦時中はともかく、平和な世であれば社交の場で披露されたりする。
だから、基本的にその動きは優美で、見せ物としての価値があるものだった。
「私はエグバート様が戦うところは見たことがないのですが……きっと、父様とは全然違うのでしょうね」
「まあ、そうだろうな。ただ先の革命戦争では私も、甲冑を着て出陣した。そうなると防御力は上がるが、滑らかな動きができなくなる。そんな私とは対照的に、男爵は比較的軽装で突っ込んできたものだよ」
確かに、ディーンは守りよりも攻撃を優先する質だ。
戦争中も纏っているのは甲冑ではなく、せいぜい胸当てや脛当て程度。素早く強烈な攻撃を繰り出すからこその、「暴走馬車」なのだ。
そんな話をしながらも、エグバートは食欲旺盛だ。
シェリルの皿に載っているものの三倍はありそうなステーキをあっという間に平らげ、野菜のソテーやスープなどもしっかりおかわりする。シェリルの一日分の栄養素を、彼は一食で摂っているのではないだろうか。
(……あ、でも、食べ過ぎたら食後のデザートが)
「あの、エグバート様。まだ召し上がりたいですか?」
「ん? まあ、そうだな。まだいける」
「それならよかったです。実は、食後のデザートとしてプリンを、私が作ったので」
「何っ!? では、デザートに向けて自重しなければ」
とたんにエグバートは顔色を変え、「今の分だけで大丈夫だ」と給仕の使用人に言った。シェリルが言わなければ、まだおかわりをしていたかもしれない。
「シェリルの作ったデザートか……もしや、私が試合をしたと聞いて?」
「あはは、バレちゃいましたか。今日のお仕事、それから父様との試合お疲れ様でした、ということで私が作りました。……気を付けたのですが、ちょっとすは入っちゃいましたが」
「何を言う! あなたが作ってくれたものなら、スの二個や三個、一瞬で平らげよう!」
力強く言っているが、おそらく料理をしたことのない彼は、「す」が何なのか分かっていないのだろうと、シェリルは判断した。




