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37 決意の炎①

 ある日、男爵家のメイド頭と一緒に帳簿整理をしていたシェリルは、見慣れない領収書を発見した。


「……お花を買ったの?」


 帳簿を書いていたシェリルは、知らない店名のサインが書かれた領収書を手にメイド頭に問うたが、彼女は受け取ったそれをしげしげと見た後、首を横に振った。


「もしわたくしどもが花を注文するとしても、こちらの店では購入しませんね。おそらく、若旦那様が購入なさったのかと。個人的に買われた後、他の領収書と混ざってしまっていたのかもしれません」

「エグバート様が……」


 シェリルは返してもらった領収書を手に、考え込んだ。


 シェリルは女主人として屋敷の財政も管理しているが、婿入りのエグバートにも男爵家の金を使う権利はある。もちろんシェリルの承認は必要だが、ほぼ文無し状態で婿になったエグバートにだって最低限の物欲はあるだろうから、基本的にシェリルも彼のやりたいようにさせていた。


 彼がシェリルに渡す領収書の内訳のほとんどは、食べ物関連だ。やはり彼ほどの体格になると、それなりに食費がかさむらしい。


 あとは、武具や衣服程度。だから、彼が花を買う――しかも普段男爵家が懇意にしている店以外というのは、少し意外だった。


 購入日は、昨日。

 内訳には花束を作る際に使用した花の種類が書かれていて、それらを見たシェリルはピンときた。


(これって全部、献花として買われるものだ……)


 献花、つまり死者へ捧げる花だ。

 そして領収書に書かれた花の配達日を見れば、エグバートの意図はすぐに分かった。


(この日は確か、前王妃様が亡くなった――)


 前王妃フィオレッラは、エグバートの実母だ。エグバートが子どもの頃に病没した彼女は儚い雰囲気の佳人だったそうで、王族用の墓所に埋葬されているはずだ。










 予想どおり、夕方に戻ってきたエグバートはシェリルが何か言う前に、献花用の花について言ってきた。

 やはり彼はタイミングを間違えて領収書を入れてしまっていたようで、低姿勢で謝ってくる。


「報告を忘れて、すまなかった。母上に贈る花を購入したんだ。あの花屋は、早めに予約をしないと間に合わないことが多くて、あなたへの報告が後回しになってしまい、申し訳ない」

「ええ、そうだろうと思っていたので大丈夫ですよ。……あの配達予定日がご命日なのですね」


 リビングのソファに座ったシェリルが言うと、エグバートは頷いた。


「母が亡くなったのは私が五つのときのことなので、正直顔や声はあまり覚えていないのだが……優しく頭を撫でてくれたあの手の平は、覚えている」


 リンジーから茶を受け取ったエグバートが静かに言ったので、シェリルも――美しい女性が幼い我が子を抱きしめ、愛おしげに髪を撫でる様を想像した。


「これは母付きの侍女から聞いたのだが、魔力を持たずに生まれて父にも蔑まれた私のことを、母は決して見捨てなかったという。『本当に王の子なのか』とさえ言う者もいたそうだが私に惜しみなく愛情を注ぎ、病に倒れてからもずっと、私のことを案じてくれていたそうだ」

「……素敵なお母様だったのですね」


 そして、体が弱く立場も強くない王妃や王子を罵った連中は、呪いで苦しめばいいと思う。


 エグバートは頷き、目を閉ざした。


「……父の意向か、母の墓はあまり立派なものにできなかった。私も、ミルワード夫人の天下になっていた当時の王宮で堂々と母の墓前に参ることもできず……ずっと、寂しい思いをさせてしまっていた」

「……」

「幸か不幸か、父やウォーレスは別の場所に埋葬されたそうなので、母は何にも煩わされることもなく、静かに眠ってらっしゃるだろう。私も身軽な身の上になったことだし、事前に女王陛下からの許可もいただいている。だから、母上に挨拶に伺いたくて……シェリル」

「はい」

「できればあなたにも、同行してほしい。色々あったが、私は愛しい人と結婚できたと、母に報告したいのだ」


 真っ直ぐ見つめられて言われ、シェリルが否と言うはずもなかった。


「もちろんです。私も、エグバート様のお母様には一度、ご挨拶に伺わねばと思っておりましたので」

「ありがたい。……ちなみに、あなたのご両親の墓は?」

「あー……私のところは小さな村なので、立派なお墓はありません。私も何度か父様に連れられてお墓参りに行きましたが、盛った土の上に棒を刺した程度です」


 王侯貴族ならば高級な石を削って立派な墓標を立てるだろうが、田舎の村でそんな洒落たことをする者はいない。むしろ、「死者が喜ぶなら何でもアリ」という方針だった。


 両親の墓に供えたのは花だけだったが、酒飲みだった男性の墓にドボドボ酒をぶっかけたり、ダンスが好きだった女性の墓の前で皆が踊ったりと、わりとやりたい放題だった。

 元王子のエグバートが見れば、苦笑するだろう。











 数日後、屋敷に届いた美しい花束を馬車に積み、シェリルたちは墓所へ向かった。


 今日のシェリルは夫の亡き実母への挨拶ということで、清楚な薄青色のワンピースを着ている。

 そろそろ暑くなり始めた季節なので生地は薄く、上から一枚ボレロを羽織っている。しばらく歩くことになるので靴は底がしっかりとしたブーツだが、堅苦しすぎない可愛らしいデザインとなっている。


 エグバートも正装、とまではいかないがぱりっとした私服姿で、長めの髪を結っている。

 前髪も上げているので形のいい額が見えるし、横から見ると目元のくぼみや高い鼻、顎先から喉にかけての美麗なラインがくっきり見える。

 きっと前王妃も、美しくたくましく成長した息子の姿を見て、喜ぶことだろう。


 王族の葬られる墓所は、王都の隅にある。

 さすが王族の眠る場所というだけあり、門の内側に入るのにも身分証明が必要で、エグバートの顔を見た門番は驚きつつも、「フィオレッラ様がお待ちですよ」と笑顔で通してくれた。


「……さっきの方はお知り合いなのですか?」

「知り合い……と言うべきなのかは分からないが、私たち母子の境遇に心を痛め、何かと気を遣ってくれた者の一人だ。墓所の管理は一年前までは別の者が担当していたそうだが、革命後は彼が門番に名乗りを上げたそうだ」


 エグバートの説明を受けたシェリルはいざ前王妃の墓前に行き、そこがきれいに掃除されているのを見て納得した。


 白い石を加工して作られた墓碑には、前王妃フィオレッラの名が流麗な字体で刻まれている。その石はとてもきれいに磨かれており、彼女の命日が近いからといって昨日慌てて磨いたわけではないことはすぐに分かった。


 墓前には既に、いくつかの花束が供えられていた。

 膝をついたエグバートが持参した花束をそっとその横に添え、頭を垂れた。


「母上……長らく参上できず、申し訳ありませんでした。私は辛くも生き延び、こうして愛らしい妻を迎えることができました。妻の、シェリルです」

「シェリル・ウォルフェンデンでございます」


 シェリルもワンピースの裾を押さえてその場にしゃがみ、夫の実母へ祈りを捧げる。


 生まれも育ちも田舎であるシェリルは生前の王妃に会ったことはないし、その姿を描いた肖像画なども残っていないとのことだ。

 だが噂で、「赤金色の髪と緑の目を持つ、小柄で儚い可憐な女性」ということは聞いていた。


 辛い境遇の中でエグバートを生み、母子共に冷遇されながらも息子への愛情を欠かすことなく、病によって儚く命を散らした前王妃。


 もし、もしも彼女が生きていたら。

 シェリルを見て、どう言うだろうか。

 シェリルのことを義理の娘として、歓迎してくれただろうか。


 そっと横を伺うが、エグバートはまだ熱心に祈っているようだ。

 彼の邪魔をしないようにとシェリルはゆっくり立ち上がり、広々とした墓所を眺めた。


 このあたりは代々の王族――の中でも国王から縁が遠めの者が葬られる区画らしく、近くに見られる墓には、若くして亡くなった王子や独身のまま没した王女、また王弟や妾妃などが眠っているという。


 ここに王妃が葬られるというのは、珍しいことなのだろう。だが、先代国王たちの当時の思わくはともかく、冷酷な夫などとは離れた場所で一人静かに眠れるというのは、前王妃にとってはよかったのかもしれない。

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― 新着の感想 ―
[一言] お墓の手入れもしてくれてるんだねー。 いい門番さんだー。
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