36 二人の朝②
その後、それぞれ仕度をするためにシェリルは自分の部屋へ、エグバートは隣室の衣装部屋に向かった。
既にそこにはリンジーが待ちかまえており、シェリルの顔を見るとさっと寄ってきた。
「おはようございます、お嬢様。して、首尾は?」
「おはよう、リンジー。……あろうことか、いつの間にかエグバート様の方を向いていただけでなくて、腕を抱き込んでいたのよ……」
「なんと」
椅子にすとんと腰を下ろしてシェリルが告白すると、箱からブラシを出していたリンジーがきらんと目を輝かせて振り返った。
「腕を……それは、それは。若旦那様はさぞ、お喜びになったことでしょう」
「そんなわけないじゃない。私が抱き込んでいるから寝返りも打てなかっただろうし、申し訳ないわ……」
「まさか。愛するお嬢様に腕を抱きしめられ、若旦那様が喜ばないわけがありません。このリンジーが責任をもって断言いたします」
「こんなところで責任を使わないでいいよ」
シェリルは突っ込むが、リンジーは上機嫌でシェリルの髪を整え始めたので、もう彼女の言いたいようにさせることにした。
朝食の席でおそるおそる様子を窺ったが、エグバートは始終嬉しそうで、食事中もシェリルと視線が合うたびに、幸せそうに頬を緩めていた。シェリルのせいで寝苦しくて不快だった、ということはなさそうだ。
(……だとすると、リンジーの言っていたことは本当なのかな?)
意を決し、シェリルは尋ねてみることにした。
「……あの、エグバート様。忌憚のない意見をお願いしたいのですが」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「昨夜私と一緒に寝て、寝心地はいかがでしたか?」
「二十四年間生きていて最高の夜だった」
きりっとした表情で凄まじい熱量の返事を即答され、シェリルの方が言葉に詰まってしまう。
「え……そ、その。私が邪魔だったとか、腕が疲れたとか、そういうこともなかったですか?」
「邪魔どころか、あなたがいてくれたからこそ私は最高に素晴らしい朝を迎えられたと断言していい。それに、可愛い妻に腕を抱きしめられて喜ばぬ男がいるはずもない。もしあなたさえよければ、これから毎晩私の腕を抱き枕代わりにしてくれ」
「……これから毎晩」
それは、つまり。
(これからも……一緒に寝ても、いいってこと?)
シェリルの視線で気持ちを察したのか、エグバートは持っていたバターナイフを置き、大きな手を組んでシェリルを見てきた。
「……あなたこそ、嫌ではなかったか? こんな大男が側にいれば窮屈だろうし、いつ潰されるかと怯えられても仕方ない」
「えっ、そんなこと全く思いませんよ。……その、私も……これからもあなたと一緒に寝られたら……嬉しいので」
――視界の端で、何かを察したらしいリンジーたちがさあっとリビングから出ていくのが分かった。
「……あ、あの。昨夜のことも、私が誘ったのですし……きっと父様も、何も言いません。だから私も、これからもあなたと一緒に寝て……慣れていきたいのです」
「慣れ」
「その……いつかエグバート様にもっと触れていただいても、大丈夫なように、事前準備をしておきたいといいますか、なんだかんだ言ってあなたの隣は心地よいといいますか……」
なんだかだんだん、自分でも何を言っているか分からなくなってきたし、顔が熱い。
中途半端なところで言葉を切ったシェリルがせっせとパンを千切っている間、エグバートは何も言わなかった。シェリルはあえて顔を上げずに手を動かしているので彼の表情は分からないが、怒ってはいないはずだ。
――必要以上にパンを細切れに割いていたシェリルは知るよしもないが、エグバートは右手で顔を覆って俯き、肩を震わせていた。
赤金色の髪から覗く耳は赤く、テーブルの上で固めた左手の拳はきつく握りすぎて、手の甲に青筋が浮いている。
要するに、ものすごく照れている。
そんな二人の様子を、リンジーがドアの隙間から見ていた。
だがふっと微笑むと、彼女はゆっくりとドアを閉めた。そしておかわりの紅茶をゆっくり準備するべく、他の使用人たちと共にリビングを離れたのだった。




