33 嫁と婿と姑の会話②
間もなくリンジーが茶を淹れに来た。ミルワード夫人の背後に例の男が立っていたが、「あなたも下がりなさい」と言われたため、仕度を終えたリンジーに伴われて出ていった。
「先日のことだけれど……わたくしの知人の娘たちが、シェリル様に無礼なことを申したそうね」
茶を飲み茶菓子を摘んでいたところ、いきなり話題を提供されてシェリルはぴくっと指を震わせる。
先日のこと、というのは十日ほど前に三色ドレスたちに売られた喧嘩を買った件のことで間違いないだろう。
(……もしかして、とは思っていたけれど……夫人はこの話をするために、会いに来たのかも?)
彼女らはいわゆる元妾妃派らしいが、どうやら実際に元妾妃であるミルワード夫人に陶酔していたのは彼女らの母であるようだ。
「……はい。使用人用廊下での出来事とはいえ、夫を侮辱されて我慢できなくて……」
「わたくしがあなたを責めるつもりは、一切ないわ。むしろ、彼女らがあなたたちに無礼なことをしないよう忠告するべきだったわたくしの怠慢です」
ミルワード夫人はそう言い、ちらっとエグバートを見た。
「……あなたたちも知っているかもしれないけれど、彼女らは元々、わたくしの息子であるウォーレスの婚約者候補だったの。彼には若い頃には婚約者がいたけれど、結婚の話を進める前にお相手の令嬢は病死してしまい……それからはずっと恋人も作らなかったから、わたくしの方で知人の娘たちを候補としていたの」
婚約者候補というのは知っていたが、王城の事情に疎いシェリルはウォーレスに亡き婚約者がいたことは知らなかった。
(確かに、戦死したときのウォーレス王子は二十代半ばだったと思うし……先代国王からも愛されていた王子がその年で婚約者がいないというのは、あまりないよね)
エグバートのように冷遇されていて王座からも遠ざけられていた王子ならともかく、だ。
もしかするとウォーレスはずっと亡き婚約者を思っていて、新しい婚約を結ぶのを渋っていたのかもしれない。
(まあ、それはいいとしても。……ウォーレス王子の妃の座を狙っていた令嬢からすると、エグバート様の存在はおもしろくないかもしれないね)
もしただ単にウォーレスが戦死しただけなら、いくら魔道士ではないにしろエグバートが王太子になることが確定なので、彼女らは次の標的としてエグバートに群がったかもしれない。
だがそうならずにエグバートは王家から追放され、ストックデイル家の消滅は確定している。
となれば、彼女らにとってエグバートに擦り寄る価値はないので、「不良品」とか「廃品」と見なしてしまうのだろう。
当人の妻の前で夫のことを「廃品」呼ばわりした三色ドレスのことを思い出して思わず顔をしかめそうになったので、深呼吸して気持ちを落ち着ける。
「……そういうことだったのですね。しかし、夫人が気になさることではありませんよ。彼女らが勝手にしたことみたいですし」
自白効果のある魔法薬により、三色ドレスは「マーガレット様のためになると思った」と吐いた。
だが続く質問により、ミルワード夫人に何か指示されたのではなく、エグバートやシェリルを攻撃すれば夫人に褒められると思っての行動だったと判明したそうだ。
当の本人からすれば、そんなわけないだろう、と突っ込みたくなるような動機だ。
しかしミルワード夫人は首を横に振り、茶を一口啜ってから顔を上げた。
「……わたくしは一昨日、かつて親しくしていた方々に手紙を送ったわ。内容を簡単に言うと……エグバートとシェリル様に手を出せば許さない、といったところよ」
「えっ」
「えっ」
まさかの内容についつい二人の声が被ってしまい、シェリルははっとしてエグバートと顔を見合わせる。
ミルワード夫人が、まさかこんなことを元妾妃派に言うとは思っていなくて、驚いた。
驚いたが……それを表情に出してはならなかったと、二人同時に後悔したのだ。
だがミルワード夫人はころころと笑い、「驚くのも当然よね」と頷いた。
「今までわたくしは、エグバートに母親らしいことができなかった……いえ、しなかったもの」
「義母上……」
「これくらいのことで、これまであなたが辛い思いをしてきたことに報いることができるとは思っていないわ。……でも、わたくしはもうほとんど無力なただの女だけれど……それでも、たった一人の息子とそのお嫁さんのために、できることはしたかったの」
夫人はそう言うと、驚愕の表情のシェリルとエグバートを順に見、ふふっと笑った。
「わたくしはわたくしがやりたいように、やっているだけ。ただの自己満足よ。だからあなたたちは、わたくしのことは気にせずに仲よくやってね。でも、できれば……そうね。できれば早いうちに、可愛い孫を見せてほしいくらいかしら」
「まご」
ぎこちなく反芻したエグバートが、シェリルを見てきた。
シェリルも、彼を見る。
ミルワード夫人の孫――それはどう考えても、シェリルが産んだエグバートの子、という意味だ。
アリソンから最低限の男女交際の知識を学んでいるシェリルなので、「赤ちゃんは野菜畑で見つかる」わけないことくらい、知っている。もちろん、「愛しあう夫婦が寝室でキスをすれば子どもができる」わけでもないと、分かっている。
(……えーっと)
とはいえ残念ながらシェリルはその手の知識が豊富というわけではないので、こういう話題になったときにどのような返事をすればいいのか分からない。
シェリルは視線で、「頼ってもいいですか?」とエグバートに問うた。卑怯だとは分かっているが、自分ではうまく説明できる自信がなかった。
バトンを差し出されたエグバートはぎょっと目を見開くが、うっすらと頬を赤らめた後小さく頷き、ミルワード夫人に向き直った。
「その……義母上」
「はい?」
「私たちは……その、まずは恋人同士のようなやり取りから始めよう、ということにしています。そして、私自身不勉強で……。そういうことなのでまだ、私たちの子を見せられるような段階には至っておりません」
さすがエグバート、非常に正直である。
だがミルワード夫人は微笑むと、「そうだと思っていたわ」とあっけらかんと言った。
「だってあなたたち、初々しすぎるもの。さては、まだベッドも共にしていないのではなくて?」
「は、はい。その、まだ慣れない上、私の体重でシェリルを潰してはならないと思い……」
「前半はともかく、後半はあなたが寝方に気を付ければいいだけの話でしょう? むしろ今から少しずつ同衾に慣れていないと、いざというときに困るわよ?」
ミルワード夫人の言葉はいちいち正論で、見えない槍でエグバートがぐさぐさ刺されているのが分かる。
茶会が始まる前とは別の意味で夫が窮地に立たされていると、シェリルは悟った。
(さっきは無責任に丸投げしたんだから、今度は私がエグバート様をお守りしないと!)
使命感を胸に、シェリルは張り切った。
張り切るのはいいが、少々気持ちが大きくなっていた。
「大丈夫ですよ、エグバート様! なんならお互い慣れるために今夜、一緒に寝ましょう!」
よって、とんでもない発言をしてしまった。
ミルワード夫人の問いかけには戸惑いつつもきちんと受け答えしていたエグバートが、完全に固まった。
まばたきさえせず、硬直している。
シェリルも我ながらとんでもないことを言ってしまったと遅れて気付いたが、それにしてもエグバートがなかなか解凍しないのが心配だ。
(も、もしかして、びっくりしているだけじゃなくて……私と寝るのが、単純に嫌だったとか?)
紳士な彼に限ってまさか、「シェリルの体は貧相だから、一緒に寝る気が失せる」なんてことは言わないだろうが、それにしても何らかの反応はしてほしい。
シェリルがひやひや、ミルワード夫人がにこにこ待つこと、しばらく。
はっという呼吸音と共に解凍されたエグバートはまばたきした後、さっとシェリルの方を見て大きな手でシェリルの手を包み込んだ。
「シェリル」
「う、は、はい?」
「あなたの申し出、嬉しく思う。……今夜、一緒に寝よう」
まさかの、直球回答であった。
緊張で真っ白になっていたシェリルの顔が瞬時に真っ赤になり、「……はい」と力なく言う傍らでは、「……これは、一年以内に孫の顔が見られるかもしれないわね」とほくほく笑顔で、ミルワード夫人が呟いていたのだった。




