31 魔道士の芽生え②
「……エグバート様」
「す、すまない、体に力がうまく入らなかった。……おかしいな、どこも体に不調はないはずなのに」
「それもそうです。……あなたの体は慣れないことをして、疲れていたのです。魔力を出すなんてこと、二十年以上やっていないのですから」
今のエグバートは、いわゆる魔力切れ状態だ。
魔力が切れても即死したり気絶したりはしないが、力が入らなくなってだるくなる、空腹状態に近い症状が見られる。
当然こうなると魔法は使えないし、歩くのも億劫になるのでそのまま仮眠を取るか、魔力回復薬を飲むのがよいとされている。
……つまり。
「……私は今、魔力の素を――出せていたのか?」
そう問うエグバートの声は、少し震えている。
シェリルは頷くと、「よくできました」と、エグバートの髪をそっと撫でた。
「まずは魔道士としての第一歩、踏み出せましたね。……今の段階ではまだきちんと素を出せていないので例の光はきちんと見ることはできませんが、正しい形で放出できたらはっきり光が見えるようになりますよ」
「……本当か?」
「はい」
シェリルがはっきり言うと、エグバートはすうっと呼吸をした後、面を伏せた。
少し声はくぐもっているが、「そうか。……そうか」と、噛みしめるような呟きが聞こえる。
「俺は……魔道士に、なれそうなんだな」
「はい。ここまで来ると後は、気持ち次第でしょう。自分ならできる、という前向きな気持ちと、魔力をどのように『加工』するかのイメージを膨らませれば……近いうちに、きっと」
「……そうか。ありがとう、シェリル」
「どういたしまして。でも、これも全てはエグバート様の努力のたまものですからね」
ふふ、と二人で顔を見合わせて笑い、よくできましたの証しにシェリルがちょこっとエグバートの額にキスをする。
これくらいなら、シェリルでもそこまで恥ずかしがらずにできるようになった。
いつもはシェリルの方が背が低いので、こうしてエグバートが座っているときでないと額へのキスができないからか、エグバートはこれをするととても喜ぶ。
今も彼は嬉しそうにふわりと笑い、自分の肩を支えるシェリルの手をそっと撫でてきた。
先生と生徒の時間は、一旦終わりだ。
「それじゃあ、お茶を淹れますね」
「ああ、頼む――っわ」
「えっ? ……ぎゃっ!?」
もう大丈夫だろうと思ってシェリルは体を離したのだが、途端にエグバートの上半身がぐらついた。
彼は慌ててテーブルに手を衝こうとしたようだがすかっと空を掻き、茶を取りに行こうとしたシェリルがすぐさま彼の体を受け止めたのだが――
なんとか両腕でエグバートの肩を支えて胸元で彼の頭部を受け止められたのだが、ずっしりとした体重が掛かり、シェリルごと倒れそうになった。
(倒れるわけにはいかない!)
両脚で踏ん張り、ぎゅっとエグバートの頭を抱き寄せることで、転倒はなんとか避けられた。
このまま倒れていれば間違いなく、シェリルはエグバートの下敷きになっていた。
(よ、よかった……)
「大丈夫でしたか、エグバート様!?」
「……」
「……エグバート様?」
返事がない。
シェリルの視線からは、自分の胸元に埋まるエグバートのつむじしか見えない。彼の髪はふわふわの癖があり、つむじの付近の短い髪がくるんと巻いているのはなかなか可愛らしかった。
……そんなのんきなことを考えている暇ではないと悟ったのは、数秒後のこと。
そう、自分は今、自分の胸で、エグバートの頭部を支えている。
つまり身も蓋もないことを言えば、エグバートがシェリルの胸元に顔を突っ込んで――むしろ突っ込ませている状態だった。
「……い、いいっ!? す、すみ、すみませんっ!」
慌てて彼の肩を押してべりっと引きはがすと、エグバートがぷはっと息をしたのが分かり、シェリルはぎょっとした。
(ま、まさか私の胸で呼吸が……なわけないか)
我ながら慎ましい胸元では、そんな芸当はできそうにない。
むしろ、柔らかいクッション代わりにならずに彼の高い美麗な鼻がシェリルの胸骨で潰されてはいないだろうか。
「あ、あの、大丈夫ですか、鼻!?」
「……鼻は、なんともない」
エグバートはしばし硬直していたが、シェリルが問うとゆっくり答えてくれた。
その頬はほんのりと赤く、彼はさっと左手で自分の顔を覆い、面を伏せてしまった。
「……今のは、事故だ。自分の体重を自分で支えられなかった私が、悪い。申し訳なかった。だが、あなたに不快な思いはさせまいと呼吸を我慢していた」
(あっ、それでさっき、息苦しそうにされていたのね!)
シェリルの胸で息ができなかったのではなく、呼吸をすることで胸元に吐息が掛かりシェリルに嫌な思いをさせまいとした紳士心ゆえだったとは知らなかった。
「い、いえ。あの、ごめんなさい。私がもっと、こう、柔らかい体をしていれば、まだよかったんですが……貧相ですみません!」
「そんなことはない」
自分でも何を言っているか分からない状態のシェリルに、エグバートははっきり言った。
そしておろおろするシェリルの手を取り、冷や汗を掻く手の甲をそっと撫でた。
「それにいくら妻相手とはいえ、婦人の胸元に顔を突っ込むなどという不埒な行為をしたのは、私だ。叱責ならいくらでも受けるし、張り手をしたいのならば甘んじて受けよう」
「しません! そんなのしません!」
やたら彼は「お叱り」とかを受けたがるが、先ほどのは彼の受け止め方が間違っていたシェリルにも非があるはずだから、彼が自分ばかり責めるのはおかしい。
だがエグバートも頑固で、少しだけ赤みの引いた顔をしかめている。
「……だが、これでは私が自分を許せない」
「そ、それなら痛み分けをしましょう!」
「痛み分け?」
「私がエグバート様の胸に顔を突っ込みます! それでおあいこでしょう!」
早くこの問題を終わらせてお茶休憩をしたいシェリルは、よくも考えずに発言した。
それに対して元来生真面目なエグバートはというと。
「なるほど、それは道理に適っていそうだ。では、そうしてくれ」
くそ真面目な反応をした。
そうしてシェリルはその場に膝をついてエグバートのたくましい胸筋の間に顔を突っ込みながら、「私は今、何をやっているのだろう」と遠い眼差しになったのだった。
ラッキー○○○




