30 魔道士の芽生え①
シェリルもエグバートも余裕のある日の夕食後は、魔法の勉強の時間である。
「それじゃあ、前回の続きからしますね」
「ああ。……確か私は、腹のあたりに力を入れると魔力を出しやすそうなのだったか」
前回の授業内容をまとめたノートを見ながらエグバートが言うので、シェリルは頷いた。
そして、授業用に魔法研究所から借りてきた資料を広げ、人体の略図が描かれた箇所を指で示す。
「これをご覧ください。『加工』した魔法は基本的に手から放出するので、基本的には両手に近い部位である上半身のどこかに、魔力を放出するポイントがあるのです」
「なるほど。これを見る限り、腹というのは少数派みたいだな」
資料には部位ごとに、どれくらいの者がその箇所をポイントとするかの割合が書かれている。
シェリルのポイントであるみぞおち付近に該当する者は四割ほどで、多数派だ。その次が二割の心臓付近と頭部で、腹部というのは一割にも満たなかった。
「本当に腹に集中したら魔力の素を出せるのだろうか……」
「やってみないと分かりません。それじゃあ、今日もやってみましょうか」
前回と同じようにその場に立たせ、腹の奥から魔力を絞り出すイメージをしてもらう。
「呼吸をする際、息を吐くタイミングに合わせた方がいいみたいです。息を吐くときに、一緒に魔力を出す、というか」
「う、うむ……難しそうだが、やってみる」
エグバートは体力を使うことを想定し、髪をくくっている。そのため男らしいうなじと首のラインが露わになっており、正直目の毒だ。
(……いや、私は先生なんだから、邪なことは考えないっ!)
といっても、先日の事件を通して「好き」という思いを吐露しあった者同士、やはりどきどきしてしまう。
あれからエグバートは積極的に抱擁を求めるようになっていて、シェリルも彼の男らしい体に抱きしめられるのが癖になっていた。別に自分は筋肉に萌える趣味はなかったはずなのに、これではアリソンにからかわれてしまう。
「……ん、んん。なんだか、変な感じがするな」
「効果が出ているのかもしれませんね。……お腹、触れます」
そっと夫の腹部に触れ、そこに無駄な力が入っていないのを確認して少しだけ嬉しくなる。
筋肉を動かしているわけではないのなら、何か手応えがあるのかもしれない。
「では、ちょっと実験してみましょうか。両手、失礼しますね」
「ああ」
シェリルに言われ、エグバートはそれまでは体の両脇に垂らして拳を固めていた手を挙げ、シェリルはそれに触れた――のだが。
(……いつも思うけれど、本当に大きな手)
魔法を使う訓練の一環として彼の両手を自分の手で包み込もうとしたのだが、大きさが全然足らない。彼の拳は大きめの果実一個分くらいあるし、手をぱっと開けば小さめの扇か何かというほど大きい。
指もかなり長く、シェリルとは関節一つ分くらいは差がある。それに比例するように一つ一つの指は太く、シェリルの親指が彼の小指と同じくらいではないだろうか。
……エグバートには絶対に言わないのだが、先日使用人の手伝いで洗濯をしたときにエグバートの手袋を発見したので、好奇心に負けて嵌めてみたことがある。
だがシェリルの指は短すぎて手袋の先に届かず、夫はこんなに大きな手をしているのか、と、どきどききゅんきゅんして、使用人に微笑ましいものを見る目をされてしまった。
そんな大きな手を自分にできる限りの範囲で包み込み、ぽんぽんと優しく叩いた。
「今度は、お腹から手へと魔力を引っ張る練習です。魔法の初心者はたいてい、手の平に火を灯すことから始めます。ですので、引っ張った魔力を炎の形に加工するようにイメージし、具象化させるのです」
「難しいな。あなたたちはこれほどまで難解なことを毎度、瞬時にやってのけるのだな」
「まあ、慣れですね。私だって、まともに火を出せるようになるまではかなり練習しましたもの」
……ただし、シェリルの場合はまず魔道士としての素質の芽生えがあった。
たいていの魔道士は子どもの頃にまず、魔力を体から出すことを自然と覚える。そこから魔道士に師事し、「加工」のやり方を覚えるのだ。
大人になって「抽出」から始めるというのは正直あまり例がないし、エグバートの負担にもなりかねない。彼は体力はあるからか無理をしがちなので、シェリルの方が彼の体調や顔色を見ながら加減を調節する必要がある。
エグバートはシェリルの説明を聞きながら、真剣な顔で集中力を高めていた。
(……手が、熱い。これが魔力を使っている証しなら、いい感じなんだけど……)
だがその後十分ほど唸っても何の効果も現れなかったため、シェリルの方から授業終了を告げた。
これといった成果が得られなかったからか、今回もやはりエグバートは不満そうで、「まだ続けられる」と主張した。
「だめですよ。休憩が必要です」
「しかし……」
「だーめーです! はい、座ってください!」
シェリルは背伸びをしてエグバートの肩を掴み、ぐっと引き下ろした。
普通なら、頑丈な肉体を持ち体重もあるエグバートの体を、シェリルごときの力で無理に座らせられるはずもない。
だが意外なほどあっさりエグバートは膝を折るとすとんと椅子に腰を下ろし、逆に彼の方が驚いたように目を瞬かせてシェリルを見上げてきた。
「……ん? あなたはそんなに、力があったのか?」
「そんなわけないでしょう。……さては。エグバート様、立ち上がれますか?」
「ああ――って、うわっ!?」
シェリルに言われてすぐ立ち上がろうとしたエグバートだが、がくっと膝を折り、慌ててテーブルの端を掴んだ。
そうなるかもしれない、と思っていたシェリルもすぐに彼の体を抱き留め、ぽかんとするエグバートの顔を見下ろし、微笑んだ。




