28 シェリルの守りたいもの
夜、エグバートが戻ってきた。
「……おかえりなさい、エグバート様」
「……ただいま」
いつもの習慣どおり玄関で迎えたが、シェリルを見るエグバートの目には元気がない。
(怒って……らっしゃるよね)
いつもどおりコートを受け取ってハンガーに掛けつつ、シェリルはため息を吐き出す。
わざわざ三色ドレスたちの喧嘩を買い、勝負を仕掛け、ねじ伏せたのはシェリルだ。
あのとき、無理矢理でもその場を突破して家に帰ったり、ひたすら大人しく言葉を聞くだけ聞いてその場をしのいだりという方法もあったのだ。
それなのに、シェリルはわざわざ戦う道を選んだ。
無茶なことをしたのだから、エグバートに叱られても仕方がない。
エグバートは夕食は既に城で取って帰ったそうなので、茶を飲むことになった。
リンジーが素早く茶を淹れてその場に留まろうとしたが、エグバートが彼女の退室を命じた。
「しかし、若旦那様――」
「シェリルは、今回の件は自分の判断で起きたものだと言っている。それならば、君は主君の命令に従っただけだ。……私の方から言うことはないから、下がりなさい」
「……かしこまりました」
リンジーは自分も一緒に叱られるつもりだったようだがエグバートに言われたため、申し訳なさそうな視線をシェリルに送ってから部屋を出ていった。
リビングには、シェリルとエグバートだけが残される。
ちらっと顔を上げると、厳しい表情でこちらを見るエグバートと視線がぶつかり、思わず目を逸らしてしまった。
「……シェリル」
「……はい」
「色々言いたいことはあるが……まずは、ありがとう」
「えっ?」
弾かれたようにシェリルが顔を上げると、なおもエグバートは厳しい顔つきのままだが、目尻は垂れていた。
「報告は既に聞いている。……あなたは令嬢たちが私のことを馬鹿にしたから、喧嘩を買ったのだろう。それにあなたは令嬢たちに対して無礼な態度は取らず、あくまでも下手に出ながら相手の方から口を滑らせるのを待っていたし、私のことも褒めてくれたそうだな」
「……そう、です、が――」
「あなたが体を張って、私のために戦ってくれたということは、嬉しい。……それについては、私の方から礼を言いたいんだ」
穏やかな口調で言われ、シェリルは何度もまばたきした。
確かに令嬢たちに対し、エグバートはいい人だと説明した。もし後で文句を言われても問題ないように、言葉遣いにも気を付けた。
だが――それは、褒められるようなことではないはずだ。
「……でも、私、無茶なことをしました。あのまま、その場しのぎをするという手もあったのに――」
「なんだ、分かっているのではないか。……結果論にはなってしまうが、女王陛下に反感を抱く者を釣り上げることもできたし、いい見せしめにもなった。これで、城内にくすぶっている連中を黙らせることもできるので、あまりシェリルを叱責するなと陛下からも言われている」
(女王陛下が……)
悠然と笑う女王の姿を思い浮かべ、シェリルはぐっと拳を固めた。
「……私、許せなくて」
「……」
「何も知らないくせに、エグバート様のことを馬鹿にして……私は幸せだって言っているのに、私をかわいそうな者扱いして」
「……シェリル」
低い声で名を呼ばれ、シェリルはそれまでそわそわと彷徨わせていた視線をエグバートの方に向けた。
彼は青の目を少し細め、シェリルを真っ直ぐ見つめていた。
「私は、あなたのそういうところが悪いとは、全く思わない。あなたは確かに勝算があるわけではない喧嘩を買ったが、敗北確定の戦いに挑んだわけではないし、あなたの語りは巧妙だったと聞いている。ウォルフェンデン男爵に至っては――さすが俺の娘だとかなんとかとおっしゃっていたそうだ」
それはそれでどうなんですか父様……と、シェリルは心の中で養父に突っ込みを入れた。
「だが……今回は何事もなく終えられた上、ミルワード夫人も味方に付いたためあの令嬢たちを黙らせることができたものの、いつもこのようにうまくいくとは限らない。だから、無茶だけはしないでほしい。私が言いたいのは、これだけだ」
「……え、あの。お叱りとかは……?」
「な、何だ。あなたはそれほどまで、私に叱られたいのか?」
「そういうわけじゃありません! ただ……エグバート様を心配させたことや無茶な戦いをしたこと、リンジーに迷惑を掛けたことなども、事実なので――」
「……そこまで言うのなら、分かった」
エグバートは生真面目に頷くと、立ち上がった。
身長が高くて筋肉質な男に目の前に立たれると、威圧感がある。
思わずぎゅっと身を縮こまらせると、シェリルの隣に移動したエグバートがぐっと距離を詰め、吐息が触れそうな距離でシェリルを見つめてきた。
「……今後は、もっと自分を大切にしなさい。それから、周りの者を頼りなさい。あと……あなたに怖い思いをしてほしくないと思っている者の存在を、もっと意識しなさい」
「うっ……」
「はい、は?」
「……は、はい。以後、気を付けます……」
「うん、それでよろしい」
真顔の美形に淡々と諭されてシェリルがこくこく頷くと、彼はすぐにふわっと表情を緩め、片腕でシェリルの肩を抱き寄せた。
「……本当に、心配したんだ。それに、全ての原因は私にあるのだと思うと、やるせない気持ちになった」
「そ、それは違います!」
そんなの、「いじめは、いじめられる方に原因がある」と言っているようなものではないか。
「あの方たちは、あの、エグバート様の、呼び名を――」
「『不良品』とか『廃品』のことだね」
「それです、それで呼んだり、魔力がないことを馬鹿にしたりしていました。……そんなの、あなたが望んだものではないのに罵倒する理由にするなんて、おかしいです!」
「そうだな、おかしいな。……おかしい、とはっきりと言ってくれるあなたがいてくれて、本当によかった」
エグバートは噛みしめるように言うと、「シェリル」と低く艶のある声で名を呼んだ。
「……抱きしめても、いいだろうか」
「いっ!?」
「変なところには触らないように気を付けるし、あなたが苦しくないように最大限配慮する。だが……今、あなたのことが、とても愛おしい」
こんなときまで生真面目に言うエグバートが――シェリルも、たまらなく愛おしかった。
肩に込めていた力を抜くと、シェリルはそっと彼の胸に身を委ねた。
その意図を正しく理解したエグバートは、シェリルの肩を抱いていた手を腰にやってくるんと体を自分の方に寄せ、もう片方の腕で包み込むようにシェリルを抱きしめた。
(エグバート様の体……すごく、大きい)
シェリルは半分エグバートの膝に身を乗り上げてしまっているが、彼のがっしりとした膝はシェリルごときが乗ってもびくともせず、分厚い筋肉を備えた胸板は頼もしくシェリルを支えてくれる。
それでいて彼の二本の腕は、砂糖菓子でも抱えているかのように遠慮がちだ。
シェリルはくすっと笑い、エグバートの肩に頬を寄せた。
「もっと……きつくしても、大丈夫ですよ」
「ほ、本当か? 複雑骨折したり内臓破裂したりしないか?」
「……しませんから、もっとぎゅっとしてください」
そう言って甘えるように頬ずりすると、ぐう、とエグバートの喉が鳴り、少しずつ腕の力を強めてくれた。
温かくて、力強くて、頼もしい夫。
だが――そんな彼にも弱い部分はあるし、その弱い部分をわざわざ狙って槍を刺してくる者もいる。
「……エグバート様。私、あなたを守りたいのです」
「……」
「私は運動はできないし、剣も持てないし、重い鎧もまとえません。魔法だって……この平和な世だと軽々しく攻撃魔法は放てませんし、そもそもそこまで戦いは得意じゃありません」
「……そうか」
「でも、そんな私でも、少しでもあなたの力になりたいのです。……あなたの奥さんとして、あなたに嫌な思いをさせる者からあなたを守りたい」
シェリルごときが体を張っても、一瞬で殴り飛ばされてしまうだろう。
だが、シェリルにも意地や最低限の知識、魔法の知恵などはある。
それらをうまく使えば、何らかの形でエグバートを守れるはずだ。
「もちろん、無茶はしません。約束しましたからね。……でも、やられっぱなしは嫌です。あなたのことを嘲笑う者を放置するのも、嫌です」
「負けず嫌いだな」
「はい、人並みには」
「……。分かった。可憐な妻に守られるというのは情けないことかもしれないが……悔しいことに、私ではあなたに及ばない点も多い。そこでは、あなたのことを頼り、あなたの知恵に甘えさせてもらおう」
「……は、はい! お任せください」
「でも、それ以外では私を頼りなさい。私は今のところまだ魔力なしだし、飛び抜けて博識でもないし、減点要素も多い。だがこの身であなたを守ることはできるし、武術なら誰にも――いや、すまない、見栄を張った。ウォルフェンデン男爵以外になら、負けない自信がある」
「ふふ、そうですね」
むっつりと黙って佇むディーンのことを想像してシェリルがくすくすと笑うと、エグバートは「こら」と優しくシェリルの背中を叩いた。
「そういうことだから、改めて約束するのはどうか。私たちは互いを守りあうが、無茶はしないし、困ったときには相手を素直に頼るようにする」
「かしこまりました」
守られるだけ、甘えるだけでは、嫌だ。
自分にできることなら立ち向かい、無理だと思ったら助けを求め、どちらも傷つかないような解決策を一緒に考える。
そうすれば、辛いことは二人で分けあい、楽しいことは二人で満喫し、困難が生じても二人で二倍以上の力を出して立ち向かえるはずだ。
「……好きです、エグバート様」
ちょうどいい感じの場所にあったエグバートの左耳に唇を寄せて囁くと、夫の大きな体がぴくりと震え、喉が鳴った。
「……私も、好きだ。あなたのことが……とても、好きだ」
熱い囁きの後、少し彼の腕の力が抜ける。
そうしてシェリルの体がエグバートから離れると、彼は首を捻ってシェリルを見つめ、ちゅ、と額に軽く口づけを落とした。
「ん……」
「シェリル、顔が真っ赤だ」
「……誰のせいでしょうか」
「私のせいだな」
エグバートは真面目に返した後、もうひとつ、とどめとばかりにシェリルの熱い頬にキスしたのだった。




