23 王配殿下への相談
ある日、シェリルはしっかりと準備をし、王城へ向かった。
(師匠――王配殿下にお会いするのも、久しぶりだな)
馬車を降りて城内の廊下を歩く足取りは軽やかで、少々重い荷物を背負っているのも気にならない。
今日シェリルは、革命軍時代の魔法の師匠であるテレンスに呼ばれ、城の魔法研究所にお邪魔することになっていた。
魔法研究所には高位の魔道士たちが勤めており、戦闘部隊である魔道軍と共に王国内の魔道関連の諸々を司っている。戦闘が魔道軍で、調査や一般教育などが研究所の管轄と言っていい。
シェリルも魔道軍へ誘われたことがあるが、そもそも戦うのはあまり好きではなかったので丁重に断り、魔法研究所に籍を置いて自宅で研究するようにしていた。それでも定期的に、報告のために登城する必要がある。
(普段の報告もあるし……もうひとつ、調べたいことがあるんだよね)
「お邪魔します。シェリル・ウォルフェンデンです」
「……ああ、シェリルか。久しぶりだな、元気にしていたか?」
研究所の受付にいた若い男性魔道士に聞かれ、シェリルは笑顔で頷いた。彼も革命軍時代からの仲の、顔見知りだった。
「はい、おかげさまで。……王配殿下にはお会いできそうですか?」
「シェリルが来る頃には時間を空けるとおっしゃってたから、きっと大丈夫だ。それまでの間、報告を受けよう」
「分かりました」
よいしょ、と背負っていた荷物を下ろし、中から報告書や魔力を込めた魔法石などを出す。
間もなく担当の魔道士が呼ばれ、シェリルは研究成果を説明する。
「……ということで、こちらの用途では大粒の魔法石一つに魔力を詰め込むより、小粒の魔法石に分散させたほうが効果が高いことが分かりました」
「なるほど。これはいずれ、馬車を軽量化させて馬への負担を減らすことに活用できそうだが……持続性などでは問題はないだろうか?」
「いくつかのパターンに分けて調査したところ、その小粒の魔法石を一箇所に集めて魔力を放出させるより、馬車の床に均等に並べた方が長持ちしやすいようでした。繰り返し魔力を蓄積する際にも、魔法石の負担になりにくそうだと思われます」
説明しながらシェリルは、魔力を持たない者たちが魔法石のおかげで生活が楽になる様を想像する。
自分は偶然、平均より高めの魔力を持って生まれた。そして教育を受ける機会にも恵まれ、テレンスという高名な魔道士に師事することもできた。
この機会を、自分なりの形で世に還元したい。
自分にできる方法で祖国エンフィールドを豊かにし、女王の治世を陰ながらでも支えられるようになりたい。
一通り説明を終えた頃、テレンスが魔法研究所にやってきた。
「久しぶり、シェリル。元気そうで何よりだ」
「お久しぶりです、王配殿下」
テレンスの姿を見て思わず弾んだ声を上げそうになったが自制し、立ち上がって淑やかにお辞儀をする。
テレンス・アディンセルは元々はアディンセル公爵家の使用人で、父親が当時公爵令嬢だった幼いマリーアンナに勉強を教えていた。
そして、先代国王の奸計により公爵家が没落の憂き目にあった後もマリーアンナに付き添い、孤独な彼女を支え続けたという。
そんな、現在のエンフィールド王国では男性の頂点に君臨すると言ってもいいテレンスは、王配としてマリーアンナに付き添う際はきりりとした表情で身だしなみも整っている。
だが今の彼はくったりとしたローブを纏い、ふにゃり、という擬態語がふさわしそうな柔和な笑みを浮かべていた。
元々彼は堅苦しいことがあまり好きではなく、愛する妻マリーアンナのためならきちんとするものの、普段は服を着崩しており、王配として公務をするより魔法研究所に入り浸ったり庭で土いじりをしたりする方が好きだった。
(私も革命軍時代に何度も、師匠と一緒に畑作りの手伝いをさせられたっけ……)
そんなことを思いながらシェリルはテレンスを伴って小さめの会議室へ向かって彼にソファを勧め、その正面に腰を下ろして居住まいを正した。
「お忙しい中、お時間を割いてくださりありがとうございます」
「気にしなくていいよ。私も、君の様子が知りたかったし……今回はどうやら、エグバート殿について相談したいことがあるらしいしね」
「……はい」
そう、シェリルが今日、テレンスに相談したいのは他でもない、夫についてだった。
エグバートは、魔法が使えないということで先代国王から冷遇され、貴族たちからも「不良品」のような言葉で貶されていたという。
先代国王も亡き王妃も魔道士だったが、息子であるエグバートは魔道士ではない。こういうことは確率こそ低いが、起きないわけではない。
シェリルも、エグバートが魔法を使えないのは彼の個性のひとつであると考えている――のだが。
「エグバート様は、魔法を使えないということです。しかし……先日、少し気になることがありまして」
「ふむ?」
テレンスは、興味を持ったように少し身を乗り出してきた。
そんな彼に、シェリルは……先日の夜、エグバートが「研究部屋の方から、光が漏れている気がした」と口にしたときのことを説明した。
(あの後確認したけれど、やっぱり部屋に明かりは点いていなかった)
だとすると、エグバートが「部屋に明かりが点いている」と思ったのはなぜか。
シェリルたち魔道士は、魔力の流れを目にすることができる。
魔力を炎などの形で「加工」したり、魔法薬などを作ったりすれば、魔力を持たない者の目にも映るのだが、加工前の純粋な魔力は魔道士の素質がないと目視することができない。
だからシェリルも普段から、魔力の欠片を感知できている。特にこの研究所では常に誰かが魔法を使っているので、きらきらと輝く魔力をしょっちゅう目にしていた。
……ということは。
「……つまり、エグバート殿が目にしたのは室内灯の明かりではなく、君の研究部屋から漏れていた魔力の欠片だった――ということか?」
「私は、そう考えています。そこでぜひ、王配殿下にもご意見を伺いたくて」
シェリルがしっかりと言うと、テレンスは腕を組み、しばし考え込んだ。
「……もし君の仮説が正しいのならば、エグバート殿には魔道士の才能があったということになるな」
「……はい。もしそうならばともすれば、厄介な問題を引き起こすかもしれないと思いまして」
なんといってもエグバートが王妃の子でありながら冷遇されたのは、彼に魔道士の素質がなかったからだ。
だというのに「実はありました」となると、下手すれば現在のアディンセル家の立場をぐらつかせるような事態を起こしかねないのだ。
(でも、魔道士の素質があったのに二十四年間、それが誰にも分からなかったなんてこと、あるのかな?)
魔道士の素質の有無や能力値は先天的に決まるが、それを伸ばせるかどうかは後天的な教育などで左右される。
いくら優秀な魔道士の素質があっても、適切な教育の機会が与えられなかったらろくに実力を伸ばせないし、逆に魔力は低くてもこつこつと訓練を重ねれば、弱くとも確実に魔法を撃てるようになる。
とはいえ――魔法の芽生えには個人差があるにしても、二十歳を超えても素質が現れなかったというのは、聞いたことがない。
テレンスは難しい顔になり、顎を撫でた。
「……そうだろうな。普通は、二十四歳になってやっと魔力の素を見られるようになることはない。遅くとも十代の前半までに何らかの形で魔道士の素質が出てくるものだからな」
「そうですよね……」
「このことは、エグバート殿には?」
「まだ、話していません。事実も分かっていないのにお話しすれば、困らせるだろうと思って」
「そうだろうな。……だがもし本当に彼が魔力の素を見られるようになったのならば、相応の教育を受けさせるべきだ」
テレンスの言葉に、シェリルは頷いた。
エグバートが見た「明かり」が本当に魔力の素だったのならば、彼は魔道士としての教育を受ける必要がある。そうしないと、体の中で生まれた素質と自分の意識がかみ合わず、体調を崩したり精神に異常を来したりしかねないからだ。
「なんなら、私がエグバート殿に説明をしよう。そして――もし彼が同意をするなら、君を教師として教えを請わせるといいのではないかな」
「私が、ですか?」
てっきり、魔法教師として経験のある熟練の者をあてがうかと思ったのでシェリルが声を上げると、テレンスは頷いた。
「こういうのは、相性が大事だ。エグバート殿と君がうまくいっているというのは、城でも有名な話だ」
「有名なんですか……」
「エグバート殿があんなに穏やかな表情でマリーアンナの側近の仕事をしているのを見れば、皆そう思うよ。……もしエグバート殿が魔法の教えを請うのなら、心を許している妻である君がちょうどいい。それに、外部の者に依頼すればいつ、情報が漏れるか分からないからね」
それは確かにそのとおりだった。
エグバートが魔道士になれるかもしれない、というのは極力身内だけで隠しておくべきだ。マリーアンナやテレンスに反感を抱く者に聞かれれば、今の王政を覆す駒としてエグバートが狙われるかもしれない。
(それに……ミルワード夫人や元妾妃派だって、信頼できないし)
ミルワード夫人はエグバートと穏やかな関係を築きたがっているようだが、エグバートの才能を知ればくるりと手の平を返すかもしれない。
今のうちに真実を知っているのは、シェリルと女王夫妻と義父であるディーンくらいに留めておくべきだろう。
「……分かりました。私の口から適切にお話しできる自信はないので……エグバート様への説明は、王配殿下にお願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんだよ。マリーアンナに言えばきっと、『これも王族としての仕事だ』って言うだろうから、君は気にしなくていいよ」
「ありがとうございます。……よろしくお願いします」
シェリルは、深く頭を下げた。




