21 元王子と秘伝の書
「こんばんはーっす、エグバート様、お嬢様!」
「こんばんは、ジャレッド様」
「あっ、今日もとても可憐ですね、お嬢様! いやー、俺も早くお嬢様みたいに可愛いお嫁さんをもらって、毎日イチャイチャしたいですよ!」
「……健闘を祈る」
この友人は、昼に出会っても夜に出会っても騒がしい。
その騒がしさは嫌いではないのだが、本当に早く身を固めたいと思うのならば、もう少し落ち着いた方がいいとエグバートは思う。
ジャレッドは今日、昼から出勤しており、夜の城内警備係になっている。
よって夕食のために一旦城を出た際にウォルフェンデン男爵邸に寄り、「例のもの」のやり取りをして諸々の打ち合わせをしてから城に戻ることになっていた。
「ジャレッドの対応は私がするから、シェリルはゆっくり過ごしてくれればいいよ」
「そうですか? では私は魔法研究の続きをやっているので、もし何かあればそちらの方に人を寄越してくださいね」
シェリルはそう言うと、ジャレッドに「ゆっくりしていってくださいね」と笑顔で声を掛けて、メイドを伴ってリビングを出ていった。
その小さな背中を思わずじっと見つめていたからか、向かいに座るジャレッドが「ぐふっ」と変な声を上げた。
じろりとそちらを睨むと、とうとう堪えきれなかったようにげらげら笑いだした。
「あはははは! 本当に、すっごい入れ込んでいますね、エグバート様!」
「……からかうんじゃない」
「すみません。でも俺、最近分かったんですよ。俺の今の生き甲斐は、こうしてエグバート様とお嬢様がイチャイチャするのを見守ることなんだな、って」
「イチャイチャ……とまではしていない。私たちがそのようなことをするまでには、まだ時間が必要だ」
「本当にお堅いですね……」
ジャレッドには呆れたように言われたがエグバートは気にせず、近くの戸棚に歩み寄ると鍵付きの引き出しを開け、平べったい木箱を出した。
「それでは……今晩の分だ」
「かしこまりました。……それにしてもこれ、中身は何なのですか?」
「知りたければ、ウォルフェンデン男爵に頼み込んでくれ」
「やめときます。間違いなく俺の肋骨を数本もってかれるだけなので」
そう言いながらも、ジャレッドはエグバートが差し出した木箱を袋の中に入れ、丁寧に自分の鞄にしまった。
あの箱の中身は、誰にも言っていない。ジャレッドには「機密書類だ」と言っており、王城内でエグバートとディーンが箱のやり取りをする際も、周りの者たちには「重大な報告書が入っている」としか言っていない。
だが、それは決して嘘や方便ではない。
箱の中身は――交換日記なのだから。
シェリルと結婚してもうすぐ一ヶ月だが、エグバートは毎日まめに日記を書き、ディーンに提出している。
初日に書いたものを見せたとき、ディーンは執務室のデスクで目を見開き、「……筆まめだな」と感心したように言っていた。エグバートとしては、分量が少ないだろうかと不安になっていたくらいだったので、その言葉に一つ安心できた。
日記といってもシェリルとの日々に関する報告書、といったところだ。とはいえいくらディーンの命令に忠実なエグバートでも、そこまであけすけなことを書くつもりはない。
今日はシェリルと、こんな会話をした。そのときのシェリルの反応はこんなもので、それを見た自分はこんな気持ちになった、というのをなるべく簡潔で分かりやすい文章でしたためている。
今日のようにエグバートとディーンが王城で出会う機会がなければ、ジャレッドに頼んで日記を渡してもらっている。ちなみにジャレッドは「例の機密をお渡ししたら、団長はすごく真剣に読み込んでらっしゃいますよ」と言っていた。
日記をしまったジャレッドは、「あ、そうだ」と呟き、鞄に手を突っ込んだままごそごそと中を漁り始める。
「俺、エグバート様にいいものをお渡ししたくて」
「いいもの? シェリル用の菓子か?」
「そこで一番にお嬢様の顔を思い浮かべるあたり、本当に重症ですねー。食えませんよ。これです」
そう言ってジャレッドがテーブルに置いたのは、一冊の本だった。買ったばかりだからか、簡素な包装紙がぐるりと巻かれたままだ。
「本だな」
「ええ、本です。エグバート様用にと、俺が取り寄せました」
「そうか、すまない。……それで、何の本だ?」
「包装紙を取って、見てみてください」
ジャレッドに促され、エグバートは本を手に取った。
手に取って分かったが、本はエグバートがこれまでに見たことのある小説本よりも大判で、代わりにページ数は少なめのようだ。
丁寧な手つきで包装紙を外したエグバートは表紙に書かれたタイトルを見、きりりとした眉を寄せた。
「これは……『可愛い恋人を口説くための、三十の方法』……?」
「はい。それ、結構有名なんですよ。恋愛の教本……って言えばいいでしょうか。一応一般市民向けなんですが、貴族の間でも人気なんです。これを実践すれば、ツンツンした恋人でさえあっという間に、可愛い子猫ちゃんになるってことで」
「可愛い子猫ちゃん」
低い声で復唱した後、エグバートは表紙を捲った。
三十の方法、と銘打っているだけあり、様々なシーンや相手に応じた口説き文句を三十例で紹介しているようだ。
適当なページを開いてみたところ、そこは「第十八章……素直になれない恋人編」とあり、本当は好きだけれどつい真逆のことを口走ってしまう恋人に対してどのように接すればいいのか、ということが会話例文を添えて説明されている。
最初は戸惑いの表情で見ていたエグバートだが、次第に真剣な眼差しになり、丁寧に内容を読み込み始めた。
その向かいのジャレッドは、暇なので肩をぐるぐる回したりあくびをしたりしつつ、エグバートを観察している。
しばらくの後、エグバートはぱたんと本を閉じた。
「……ジャレッド」
「はいよ」
「これは……素晴らしい書物だ」
元王子は目を輝かせ、頬をほんのり赤くし、万感の思いを込めてそう言った。
それを見たジャレッドはにやりと笑い、粋に片目を瞑ってみせる。
「そう言うだろうと思いましたよ。エグバート様はクソが付くほど真面目ですからきっと、もしお嬢様のことが本気で好きになったとしても、どう行動すればいいか分からないだろうな、と思ったんです」
「別にクソが付くほどではないと思うが、それ以外は君の言うとおりだ。……最近、シェリルがますます慕わしく思われてきたのに、この想いをどう表現すればいいか分からず、胸の内でくすぶらせていたのだ」
今日の夕方も、そうだ。
ミルワード夫人の話をした後、茶の仕度をしようと立ち上がったシェリルを見て……なぜか分からないが不安な気持ちになり、思わず呼び止めてしまった。
シェリルは律儀にエグバートの言葉を待ってくれたのだが、彼女に何を言えばいいのか分からなかった。「行かないで」が一番しっくりきたのかもしれないが、ここで彼女を呼び止めるいわれはないし、かえって彼女を困らせるだけだ。
そういうことであの場ではお茶を濁したのだが、この本をしっかり読み込めば、シェリルが喜ぶような声掛けができるようになるはずだ。特に、「遠慮がちな恋人編」や「無邪気な恋人編」あたりが参考になりそうだ。
「これをしっかり読み込み、夫婦生活に役立てようと思う。……だがこれ、本当にもらってもいいのか? 代金ならば支払うが」
「あー、本当にいいんですよ。俺のお節介だと思って受け取ってください。なんなら代金の代わりに、お二人の仲が進行すれば俺は十分なので」
「そうか、ではそうさせてもらう。この本を細部まで読み込み、必ずやシェリルを幸せにできる男になってみせる!」
ぐっ、とごつい拳を固め、エグバートは宣言した。
こういうところがあるからくそ真面目と呼ばれるのだが、そんなことは露ほども考えていないエグバートであった。
可愛い子猫ちゃん(イケボ)




