20 夕方の報告会
その日の夕方。
「ただいま戻った、シェリル!」
「え? あ……おかえりなさい?」
「なぜ疑問系なのだ?」
まさかこんな早い時間に夫が帰宅するとは思っていなくて、思わず語尾を上げ調子にしてしまった。
エグバートが少しだけ寂しそうな顔をしていたので、慌ててシェリルは駆け寄って彼から大きなコートを預かった。
「い、いえ。もっとお帰りが遅いと思っていたので。今日はお仕事、早めに終わったのですか?」
「……ああ。あなたのことが、心配で」
エグバートは眉を寄せると、そっとシェリルの髪を撫でた。
彼の大きな手は温かくて手つきも優しく、撫でられていると不思議なほど心が落ち着いた。
「女王陛下にシェリルのことを尋ねられたので、ミルワード夫人の茶会に出席すると言うと、なるべく早く帰って労ってやれと言われた」
「そ、そんなになのですか……」
どうやら女王も、ミルワード夫人の扱いには困っているようだ。
(近くにいるだけで元妾妃派が騒ぐから、王都から追放した方がいいんだろう……でも、それはそれで非難の声が上がるかもしれないし……ああ、そうだ)
「元々はエグバート様が、ミルワード夫人の助命を嘆願なさったのでしたっけ?」
「ん? ……まさかそれは、ミルワード夫人から?」
「ええ、そんな感じのことを」
シェリルが頷くと、エグバートは大きなため息をついて肩を落とした。
まずいことを言ってしまっただろうか、とシェリルが緊張して待っていると、エグバートは顔を上げて「リビングに行こう」とシェリルを誘い、並んで歩きながら言った。
「あの人は、本当に……。……確かに私はかつて、ミルワード夫人の助命を女王陛下に申し出たし、陛下はそれを受け入れられた」
「それじゃあ、あのお話は本当だったのですね」
「本当ではある。だが……それは革命戦争が終わってすぐ、今から一年前のことだ。当時の私は革命軍に捕らえられ、いつ命の灯火が消えるか分からない状態。むしろ私はやるべきことをやって用済みになるのなら、醜く生き延びるよりは極刑の方がよいと思っている段階だった」
リビングのドアを開けたエグバートの指摘に、あ、とシェリルは声を漏らす。
当時のエグバートは、自分が生き延びることを考えていなかった。
だから無害だろう元妾妃を生かしたとしても、自分には何の影響もないと思っていたのだ。
(でも、エグバート様は生き延びた。そして私の夫として、女王陛下の側近として、生きることになった――)
女王も、悩んだのかもしれない。一度ミルワード夫人に王都の隅での「静養」を命じた以上、「やっぱり出ていけ」とは言えない。
だがエグバートを殺すのは惜しいため――平民格になったエグバートの監視係として、ディーンが選ばれたのではないか。
ソファにエグバートと並んで座ったシェリルは、夫の名を呼ぶ。
「……まさかの話ですけど。ミルワード夫人がエグバート様の王家復帰を目論んでらっしゃるということは、ないですよね?」
「ないだろうし、物理的に無理だ。あなたは知らないかもしれないが、一度王家から除籍された者はよほどのことがない限り、王位継承権を復活させることはできない」
よほどのこと――つまり、現在のアディンセル家が全滅するくらいのことがなければ、だ。
「だから、私もミルワード夫人も健在の現在、旧王国軍からの攻撃を警戒せねばならないとしたらそれは、女王陛下ご一家の方だ。マリーアンナ陛下の嫡子である王子王女殿下方さえ無事に育っていただければ、私が生きようと死のうと意味はない」
「……では、私やエグバート様が狙われる可能性は低いし、ミルワード夫人が何かを企んでいるということも……?」
「不可能だ。それに……もし、万が一のことを起こされたとしても、私に王位継承の意志がなければ、その例外をもってしても私が王族に戻ることはない。そうなれば血縁関係をさかのぼり――アディンセル家ともストックデイル家とも関係のない者が王に選ばれるだけだ。そうなると、ミルワード夫人に何のうまみもない」
「……確かに」
つまるところ、女王やその嫡子たちが厳重に守られている以上、アディンセル家の転覆を狙う者がいても手の出しようがないのだ。
元王子という身分を持つエグバートを使うこともできないし――その妻であるシェリルに手を出しても、意味がない。意味がないのなら、無駄な労力を使うはずがない。
「……だが、女王陛下はミルワード夫人が旧王国軍と繋がっている可能性も考えてらっしゃる」
「旧王国軍というのは、あちこちで小さな問題を起こしている連中ですよね?」
「連中……ふっ、まあ、そんなところだ。だが、やつらがまだ王国内に散らばっている以上、どのような手を出してくるかは分からない。少なくとも、王都に侵入されることはないが――」
真剣な表情で言うエグバートを、シェリルは静かに見つめていた。
(……だとすると、今日私がミルワード夫人のお茶会に単身で出向いたことは、どう関係してくるんだろう)
思いきって尋ねると、エグバートは「そうだな」と呟き、分厚い胸の前で太い腕を組んだ。
「……実のところ、私が帰宅する直前には既に噂になっていたそうだ。ミルワード夫人の茶会に、ウォルフェンデン男爵令嬢が出向いたそうだ、とな」
「えっ、早い!」
「暇人にとってはいい話題の種になったのだろう。……私はそれだけ聞いてすぐに退出したのだが、噂の調査をジャレッドに任せている。あいつは今晩うちに寄ってくるはずだから、そのときに聞く予定だが……おそらく、元妾妃派にとってはよいように解釈されるだろう」
エグバートの推測に、シェリルはほっと胸をなで下ろした。
(あそこで「やっぱり父も連れていきたいです」みたいに言っていたら、エグバート様が王城で悪く言われていたかもしれなかった……)
「それなら、よかったです。元妾妃派という人たちとは、仲よくする気はないけれど対立もしたくないので」
「ああ、それくらいの気持ちで十分だ。……さて、ミルワード夫人の話は一旦この辺までにしておこう」
「あ、そうですね。それじゃあ私、お茶の準備を――」
「シェリル」
してきます、という言葉はエグバートの声にかき消されてしまった。
何だろうか、と思って振り返ると、思いがけず真剣なエグバートの眼差しと視線がぶつかった。
何か申しつけたいことでもあるのかと思いきや、彼はぐっと顔をしかめて黙ってしまった。何か、考え込んでいるかのような表情だ。
(……な、何だろう?)
「……あのー、エグバート様?」
「……ああ、いや、すまない。何でもない」
「ないのですか?」
「ああ、ない。……変に呼び止めて、すまなかった。茶の準備を頼んでもいいかな?」
「は、はい。淹れてきます」
ひとまず他に用事があるわけではなさそうなので、シェリルはエグバートに背を向けてリビングを出ながらも、今のは何だったのだろうかと考え込んでしまった。




