18. ウィンターホリデー2日目 吊り橋効果でしょうか
ぐぎゅるぎゅるぎゅー。
女子のものとは思えぬお腹の音に思わず耳を疑い、時計に目をやる。
時刻は夜の9時半。
部屋を見回すもお菓子もつまめるような食べ物は何もない。一時停止していたアニメを再生するも、お腹の音は止む気配がない。
「購買って確か10時までだったよね……」
間に合うかな、と思いながら私は急ぎ足で部屋を出る。
夜の飲食はご法度だけれど……ホリデーだからいいよね。
自分を甘やかしながら、寮から少し離れたところにある購買へ向かう。食べ物から勉強道具、服や家具まで取り揃えるなんともありがたいお店だ。
お店の前まで来て、ドアノブに手をかけると先にドアが開かれた。
「……あ」
「お……やっほー、シオンちゃん」
一瞬誰だか分からなかった。購買から出てきたのはリッカだけれど……前髪を下ろしていかにもオフという感じだ。
「こんな時間にどうしたの、珍しいじゃん」
リッカは少しきまり悪そうにそう尋ねる。やはりチャラ男のオフは見たらまずいものなのだろうか……
とにかく答えようと口を開いた瞬間。
ぐぎゅるぎゅるぎゅーと盛大に腹の虫が鳴って、私はかああっと赤くなる。
「俺夜食いっぱい買ったし……いる?」
リッカは手に提げた袋からお菓子やお酒のおつまみのようなものまで取り出して、私に見せる。
私は大きく頷いて、ありがたく頂くことにした。
購買前の階段で私とリッカは隣に座ってお菓子をつまんでいる。
「これすっごくおいしい!」
「あ、それ俺のお気に入りなんだよー」
などとリッカもすっかりいつもの調子で話しているけれど、ふと頭によぎるのはホリデー前の会話。
今なら聞いてもいいのでは、と私は思い切って尋ねることにした。
「その、家よりも寮の方が気楽って言っていたけど……どうして?」
リッカは一瞬顔を歪めて、私を見る。
まずい質問だったのかもしれない。
「いや、その、あの時元気なさそうな感じして……!」
慌てて取り繕うと、リッカは吹き出すように笑う。
「なんでそんな慌ててんの。まあ、俺シオンのこと信頼してるし、聞いてもらおうかな」
私は信頼されていたのか! と驚きながら聞く態勢を取る。するとリッカは「別にたいした話じゃないけど」と前置きしてから言った。
「俺の両親、町じゃけっこう有名な医者でさ。だから厳しくて。家に帰ると色々面倒だからさ」
たしかリッカは私とエースの住んでいたエメラルド町の隣、ルビー町の出身だったはず。両親がお医者さんだからこその劣等感というやつだろうか。
「じゃあ、リッカもお医者さんになるの?」
そう尋ねると、リッカは考え込んで「そうかもね」と呟く。表情からは本心が分からない。体に触れようにも何だか触れづらい。
「リッカは私なんかより全然頭いいからお医者さんだって、もちろん他の仕事にもつけると思うよ。異能だって、私のなんかより全然すごい……」
そこまで言って、あっと口を塞ぐ。
やばい、ついぽろっと口走ってしまった。
「シオンの異能ってどんなの?」
ここぞとばかりに尋ねられ私は視線を泳がせる。しかしリッカの覗き込むような視線にたじろぐ。
「う、あ、すっごいすっごいしょぼいやつ!! もうお見せするのもおこがましいくらいしょぼいやつ!!」
耐えきれずそう叫ぶとリッカはぷはっと吹き出して声を上げて笑う。
「すっごいしょぼいやつなんだね…… すっごく気になるけど。今度見せてよ」
「……承諾しかねます」
そう目をそらして、乾いた笑みを浮かべる。何度かリッカの心も読んでいるけれど……
そういえば、前「彼女候補にしよう」とか思われてたような……
「リッカはすごくモテてるけど、モテる秘訣は?」
そう尋ねながら、彼女たちを取っ替え引っ替えしているのだろうか、と思ってしまう。まあ、私は一時の気の迷いみたいなものだったとして、モテる秘訣は純粋に気になっていた。
「んー、そんなモテてるかな?」
「モテてるでしょ、今だって彼女いるんじゃ……」
「いないよ」
リッカはばっさりと言い切る。それからどこか気怠そうに、続ける。
「正直、彼女とかあんまり興味ないっていうか。言い寄られるからってだけで、本気になったことはなくて」
私は呆然としたまま、その話を聞いていた。女の子たちに謝れ! って感じだけど、モテる男も大変なのかもしれない。
「リッカは見た目によらず、優しいし、しっかりしてるから女の子たちもむげにできないのかもね」
こうやってお菓子を分けてくれるところとか。「打倒エース」を掲げて部活を引き締めたのも、周りの人たちをよく気にかけている証拠なのではないか、と思う。
乙女ゲームに1人はいる「チャラいのにしっかりしてるやつ」という感じかな。ファンのハートを掻っ攫っていく罪な男なのである。
そう勝手に妄想を膨らませていると、「そんなこと初めて言われたよ」とリッカがはにかんだ。
「そうだ。いいとこ連れて行ってあげる」
リッカは急に立ち上がると、私の腕を引いて走り出す。
『なんだこれ、なんだよこれ……!』
少し荒い声色のそれに私は思わずギョッとする。何か気に触ることでも言ってしまったのか。
私の腕を掴むリッカの手は、なんだか少し熱くて、私は相当怒らせてしまったに違いない、と怯えるしかなかった。
連れて行かれたのは、学園内の中庭にある広場だった。
かすかに噴水の音はするがこの時間だと、すっかり暗くなっていてあまり良く見えない。
「えっと、どうしてここへ……」
「まあ見ててよ」
恐る恐る尋ねた私にリッカは自信たっぷりに笑うと、目を瞑る。
すると、リッカは徐々に帯電し始めて、バチバチッと音を立てだす。
様子を見守っていると、視界の端が明るくなっていることに気がついた。顔をそちらへ向けると思わず声を上げた。
「すっごく綺麗……!」
先程まで真っ暗だった広場が明るくなっていた。噴水にあしらわれた飾りが青く光っていてとても綺麗だ。
「普段は生徒がいっぱいいるから見にきたことなかったけど……こんなに綺麗なんだね」
「だろ? 俺らだけの貸切ってのがまたいいでしょ」
「うん、見れてよかった!」
そう笑ってリッカを見ると、なぜだか上気した顔を私に向けていた。
「……!?」
するりと指が絡まってきた感覚に思わず飛び退く。
なになに!? 吊り橋効果ってやつ!?
「あ、そ、そろそろ遅いし寮に帰らなくっちゃー!」
カタコトでそう叫んで、くるりと寮の方へ向く。
ひいい、チャラ男怖いよーー!
指に感じた熱はしばらく離れそうもなく、私はひたすら寮へとダッシュした。
***
購買から出てきて、俺、リッカ・ブリッツは苦笑いした。オフを、がっつり見られてしまった。
こんなことなら夜食ぐらい我慢すればよかったと思っていると。
ぐぎゅるぎゅるぎゅー、と耳を疑うレベルのお腹の音が聞こえてきて思わず自分用に買ったお菓子を差し出していた。
隣に座ってむしゃむしゃとお菓子を頬張るのは同じ1年生のシオン・アリシア。
一見アホそうだけど(実際勉強はまるでダメ)、いまいち掴めないやつなのだ。騒がしくしていたかと思えば、急に真面目なことを言ったり、何も言っていないのにまるで心を読んでいるかのように行動する。
そして、エースが気になっている女の子。
エースのことだから気づいてはいないだろうけど、側から見れば好意剥き出しだ。
おそらく、異能も教えてくれないから、相当珍しい異能かあるいは――
「家よりも寮の方が気楽って言っていたけど、どうして?」
不意に尋ねられて、何て言われたんだと探るように見ると「元気がなさそうな感じして」と彼女は慌て出した。
その慌てっぷりに思わず吹き出してしまった。
「俺シオンのこと信頼してるし、聞いてもらおうかな」
信頼、というよりかは彼女はきっと言いふらすような人間ではないと判断した。この前、部活でエースを庇ったのを見た限り、彼女は決して悪い人間ではない。
俺を見下すような、比較するようなやつと違って。
ルビー町で1番の医者の家に生まれた俺は、いつも両親に口煩く言われながら過ごしてきた。町の人たちも俺を両親と比較する。
別に医者になるかはどうでもいい。だけどそれは俺自身で決めることだ。正直俺の異能は医者向きではないし、別の道だって考えていた。
当たり前に敷かれたレールから逃げるように俺はチャラい男に……いや、それにもなりきれなくて演じていた。
「リッカは私なんかより全然頭いいからお医者さんだって、もちろん他の仕事にもつけると思うよ。異能だって、私のなんかより全然すごい……」
シオンが自分の異能のことを口にしたことが珍しくて俺はすぐさま飛びついた。「すっごいしょぼいやつ!」と必死になるシオンを見て、気になるのをグッと堪えた。
彼女にだって言いたくないことぐらいあるだろう。
「リッカはすごくモテてるけど、モテる秘訣は?」
すごい話題転換に顔には出さず戸惑う。
モテる、聞き慣れた言葉だ。別に好きでモテているわけではない。俺自身は恋だってしたことないんだから。
俺が遊び人に見えるから、家が金持ちだから……そんな不純な動機で近寄って来る女をどう好きになればいいというのだろう。
「リッカは見た目によらず、優しいし、しっかりしてるから女の子たちもむげにできないのかもね」
突然耳に飛び込んできたその言葉は、聞き慣れない言葉だった。
そんなこと言ってくれる人は初めてだった。にこにこと笑う顔が嘘には思えなかった。
同時に上手く言葉で言い表せないような感覚がこみ上げてきて、俺は思わず彼女の手を引いて走り出していた。
着いたのは、噴水がある広場。冬の夜だけライトアップされる、学園じゃ有名な「デートスポット」だ。
どうしてここを選んだのかわからないが、とにかくシオンと一緒に見たいと思った。
「すっごく綺麗……!」
シオンはそう青く光って幻想的な噴水を見つめる。
その横顔が、どうしようもなく綺麗に見える。
俺のものにしたい。
そう頭によぎった瞬間、俺はシオンの手に触れていた。
彼女は目を丸くして、素早く俺から距離を取ると、逃げてしまった。
指に残った彼女の肌の感覚が抜けない。
エースもシオンのことを好きなのは間違いない。
でも、俺だってこの感覚を知った以上簡単に手放したくはない。
「絶対振り向かせるから」
そう呟いて、全速力で寮に戻る彼女の背を見つめた。




