教室とノート
第5回 教室とノート
アンドウ・アキフミは身長こそ6年生にしては高いほうだが、運動はセイヤとおなじくらい苦手で、成績もそこそこといったところなので、タイゾウの腰ぎんちゃくという以外に、クラスでのポジションは確立されていない。
だから、クラスメイトからの人望もうすいし、イベントでのかつやくも期待されたことがない。
それでもハルキはアキフミの顔をバットでたたくことができなかった。
たとえ、目の前にいる彼が、もう人間でなくても――。
アキフミの顔には目玉がついていなかった。
ぽっかりとあいた穴に眼球はなく、半びらきにした口から、あかんぼうのようによだれがダラダラたれている。
アキフミはうでに力をこめると、ナナミを自分のほうへひっぱった。
「ハル! 助けて!」
ハルキは、アキフミとナナミを引きはがそうとした。
ほかの仲間もナナミを助けようとして、アキフミにおどりかかる。
だが、アキフミの力はすさまじいものだった。
背中をたたかれたシュウが階段から転げ落ちる。
腹をけられたセイヤも、うしろにいた涼華をまきこんで、階段を転げ落ちた。
「やめろ、アキフミ!」
すこしでも人間としての心を持っていてくれ!
そんな願いをこめて、ハルキはアキフミの服をひっぱった。
そのとき、ハルキはハッキリと見た。
アキフミの背中に大きなムカデが、黒い背骨のようにとりついていたのだ。
やみくもにふるったアキフミのこぶしが、ハルキの胸を強くたたいた。
それは、まるで自動車に衝突されたような衝撃だった。
「助けて、ハル!」
消えそうな意識をささえたのは、ナナミの声だった。
ハルキは奥歯を強く噛みしめると、金属バットでアキフミの肩をたたいた。
それでも、アキフミはナナミをはなそうとしない。
アキフミがナナミの首すじに噛みつこうとした。
「いやぁ! やめてぇ!」
ナナミがさけびながら、アキフミの顔をひじで殴りつけた。
アキフミの首がうしろへたおれ、ヨロヨロとハルキのほうへ後退する。
「おにいちゃん、これを!」
昇降口から、涼華がハルキに向かって勾玉を投げた。
「それをアキフミさんに!」
ハルキはアキフミの服をめくると、ムカデめがけて思いきり勾玉をたたきつけた。
金色の光が踊り場をてらす。
力を使いはたした勾玉が手の中で溶けていくのがわかった。
ムカデはアキフミの体からはなれると、くるしそうにもがきながら灰の山に変わった。
アキフミも服だけをのこして、人の形をした灰の山に変わった。
* * * *
ふたつの灰の山を見て、みんながその場にすわりこんだ。
「ハル!」
ナナミがハルキにだきついた。
「こわかった……こわかったよぉ」
ナナミはふるえ、そして泣いていた。
ちょっとしたことでシュウとケンカする、いつもの男まさりの彼女からは想像できないほど、そのすがたはよわよわしかった。
「よくがんばったな。えらいぞ」
ハルキの手が自然とナナミの背中にのびて、彼女をだきしめる。
「ううん!」
昇降口で、シュウがわざとらしく、せきをした。
「キスするなら、うしろ向こうか?」
その言葉で、ふたりはパッとたがいの体からはなれた。
「おねえちゃん、さっきの攻撃、すごくカッコよかった」
涼華が肘打のマネをすると、シュウが、
「だからいっただろ。あいつは怪獣だって」
「なんですって!」
ナナミはいきおいよく立ちあがると、ハデに音を立てて、階段をおりていった。
ちょっとしたことですぐ怒り、シュウとケンカをはじめる。
それこそ、ハルキの知っているナナミだった。
――でも、女の子らしいナナミもいいかもな。
手のひらにのこるナナミの肌のやわらかさを思い出して、ハルキはすこしはずかしくなった。
「もう一度いってみなさい! だれが怪獣ですって!」
「悪い悪い、さっきの肘打を見て、考えが変わったよ。おまえは怪獣じゃなくて、超獣だな」
「全然、うれしくないんですけど!」
「なんでだよ。怪獣より超獣のほうが――おい、セイヤ、だいじょうぶか?」
見ると、セイヤは頭を押さえて、その場にすわりこんでいた。
「セイヤ、どうした? 頭を打ったのか?」
ハルキもあわてて昇降口におりる。
「憑骨……憑骨だ」
「ヒョウコツ? あのムカデの名前か?」
セイヤはハルキの質問にはこたえず、床に向かってブツブツと怪物の名前をつぶやきはじめた。
「影童子……憑骨……うう!」
セイヤが頭皮につめを立てて、頭をかかえこむ。
「ノート……そうだ! 6年1組の教室だ」
セイヤは急に立ちあがると、6年生の教室がある西校舎に向かって走り出した。
「おい、セイヤ! どうしたんだよ、戻ってこいよ」
シュウがよびかけるが、セイヤは戻らない。
普段の彼からは想像できないほどの速さで廊下を走り、セイヤは4人の前からすがたを消してしまった。
「どうしたんだ、あいつ?」
「とにかくおいかけよう。ひとりじゃあぶない」
4人は東校舎を出て、西校舎に向かった。
* * * *
4人が6年1組の教室に入ったとき、セイヤは職員机のひきだしをあけて、何かをさがしていた。
「あった! これだ!」
セイヤが手にしているのは1冊の学習ノートだった。
「そのノートがどうかしたのか?」
「思い出したんだ。影童子も憑骨も、このノートに書かれていた怪物なんだ」
セイヤはノートをパラパラめくった。
「やっぱりだ」
セイヤはノートのページをハルキたちに見せた。
そのページには怪物の名前と説明文が書かれていた。
影童子
大きな黒いカマキリの怪物。影に穴をあけることができ、その中へ人間を引きずりこんで殺してしまう。また、影から影へ移動することもできる。
憑骨
人間の背中に寄生するムカデの怪物。人間の顔にはりつき、目に毒を注入して殺したあと、その人間に寄生する。寄生された人間は憑骨の意のままに動き、ほかの人間におそいかかる。
千貫入道
巨大なイモムシの怪物。千貫(3・75トン)の巨体で人間を押しつぶして殺してしまう。イモムシの頭には5つの仮面がついている。
傀儡夜叉
人体模型とクモが合体した狂気の怪物。怪力が自慢で、殺した人間の顔や臓器を自分のものにしてしまう。
夢幻鳳
月の光をやどした翅を持つ、鳳蝶の精霊。翅のかがやきは邪悪を打ち消し、ただしき心を持った者を光へみちびく。
「ぼくは怪物の名前を知っていた。そのことをなんとか思い出そうとしたんだ。そしたら、このノートのことを思い出したんだ」
「なぁ、セイヤ。これ、ぜんぶ、おまえが考えたのか?」
シュウがセイヤにたずねる。
「ううん……ぼくじゃない」
「じゃあ、だれが考えたんだよ?」
「わからない。でも、ぼくはこのノートのことも怪物のことも知っていた。だけど――」
セイヤはもう一度、ノートに視線を落とした。
「この『夢幻鳳』って精霊のことだけは知らないんだ」
「そういえば『夢幻鳳』だけ、怪物じゃなくて精霊なのよね」
ナナミが説明文にある〝精霊〟という文字を指でさした。
「それに説明も、ほかの怪物と全然ちがうと思わない? ほら、ほかの怪物は人を殺すことばかり書かれてるのに、夢幻鳳だけは正義の味方みたいな書かれ方してるでしょ」
ナナミは声に出して、夢幻鳳の説明を読みあげた。
「月の光をやどした翅を持つ、鳳蝶の精霊。翅のかがやきは邪悪を打ち消し、ただしき心を持った者を光へみちびく」
「なんだかRPGの主人公みたいな説明だな。なあ、セイヤ。夢幻鳳に会える方法って書かれてないのか?」
「このページには書かれてないけど……ちょっと待ってね。ほかのページをさがしてみるから」
セイヤはノートをペラペラめくっていたが、不意にその手がとまった。
「なんだろう。何か書かれてある」
セイヤは4人にノートを見せた。
そのページには、つぎのような文章が書かれていた。
3つの槍が天を刺すとき、世界はこわれ、闇の泉に真実への道があらわれる
「何かの暗号みたいだな」
「暗号ねぇ。ハルキ、おまえ、意味わかるか?」
「全然」
「ナナミは?」
ナナミは暗号を解読するのに夢中で、シュウの言葉を聞いていなかった。
「涼華ちゃんは……わかるわけないか」
涼華はもうしわけなさそうに下を向いた。
「いいのいいの、気にすんなって。こんなへんな暗号、子どもにわかるわけないもんな」
そのとき、教室のスピーカーからチャイムの音が聞こえた。
見れば、時計の針が12時15分をさしていた。
「時計が逆にまわってるから……そっか、もう45分もたったのか」
シュウがだれともなしにつぶやいた。
たった45分で、5人は何人もの仲間をうしなった。
その中にはユウカのような仲間とよぶにはほど遠い人物もいたし、あまり話したことのない人物もいた。
それでも、彼らは仲間だった。
おなじ時間をすごし、おなじ教室でまなんだクラスメイトという仲間だった。
「おれたち、ぜったいに生きのころうな」
シュウが時計を見あげたまま、静かにつぶやいた。
* * * *
そのころ、タイゾウは東第2校舎の2階にあるトイレの個室でふるえていた。
体育館で、イモムシの怪物におそわれたあと、タイゾウとアキフミはいそいで第2校舎の図書室へにげこんだ。
にげこんだ直後は、ふたりともパニック状態で、会話する余裕もなかったが、しばらくすると、だんだんと冷静さを取り戻してきた。
「みんな、あのイモムシに殺されちゃったのかな?」
「そんなこと知るかよ。アキフミ、おまえ、外に出て様子、見てこい」
「ええ……やだよ。行きたくないよ」
「おまえ、おれの命令が聞けないってのか? つべこべいわずにさっさと行けよ」
タイゾウにいわれて、アキフミはいやいやながら廊下に出た。
「だいじょうぶか?」
図書室の扉からそっと顔を出して、廊下のアキフミにたずねる。
「何もいないと思うけど……」
そのとき、闇の中を長い影が動いた。
その影は廊下を泳ぐように移動して、アキフミの足元にせまった。
「アキフミ、なんかいるぞ!」
それは一瞬のできごとだった。
長い影がパッと宙を舞い、アキフミの顔にとびついた。
影の正体は大きなムカデだった。
口をふさがれたアキフミが声にならない悲鳴をあげる。
このまま、ここにいれば、自分もあのムカデに殺されてしまう。
タイゾウはアキフミを見捨てて、図書室からにげ出した。
そして、いま、こうしてトイレの個室でふるえている。
「なんで、おれがこんな目にあわないといけないんだよ」
タイゾウは、ボロボロと涙を流した。
「おれは県知事の息子なんだぞ。どうして、こんなこわい思いをしなきゃいけないんだよ」
こぼれた涙がタイルばりの床に落ちる。
「助けてよ。とうちゃん、にいちゃん」
頭の中に、父と兄の顔がうかんだ。
タイゾウはおさないころから、彼らの生き方にあこがれていた。
権力という名の鎧を身にまとい、すべてを思うがままにしてきた父。
不良も教師も気に入らないものは、すべて権力でねじふせてきた兄。
そうした人物の言葉と行動を間近で見てきたタイゾウがクラスメイトを奴隷のようにあつかうのは、当然のことだったのかもしれない。
だが、この場所に家族はいない。
だれも自分を助けてくれる者はいない。
権力さえ、この場所ではなんの役にもたたない。
「助けてよ……だれでもいいから助けてよ」
タイゾウは願った。
だれでもいい。大人でなくてもいい。
だれでもいいから、おれを守ってくれ。
「助けてよ……助けて……」
助けて。
自分ではない声が耳の奥で聞こえた。
助けて。助けて。助けて。
その声がどんどん大きくなり、タイゾウの耳を支配する。
タイゾウはその声に聞きおぼえがあった。
何度も何度も、その人物の「助けて」という言葉を聞いてきた。
不意に頭の中に、ある光景がうかんだ。
6年1組の教室で、タイゾウとアキフミがひとりの男の子をけっている。
その子はまわりの子どもに「助けて」とうったえるが、だれも彼を助けようとしない。
ある者――ユウカとカナはそれを見て笑い、また、ある者は見て見ぬふりをする。
グッとこぶしをにぎりしめているが、タイゾウの仕返しがこわくて、ただ見ることしかできない人物もいる。その中にはハルキやセイヤもいた。
「カズマサ……」
タイゾウは思い出した。
自分がだれをけっていたのか。
だれをいじめて楽しんでいたのか。
それはクラスメイトのアキヤマ・カズマサだった。
「カズマサ……そうだ、カズマサだ!」
タイゾウはカギをあけて、ドアノブをまわした。
だが、いくらまわしてもドアがひらかない。
まるで強い力が、向こう側からはたらいているみたいだ。
「カズマサ! これ、ぜんぶ、おまえのしわざなんだろ!?」
タイゾウはドアノブをまわしながら、必死にさけんだ。
「たのむ、助けてくれ! おれが悪かった。いままでのことはあやまるから、おれだけは助けてくれ! たのむ!」
急にドアがひらいた。
カズマサが許してくれた!
タイゾウはドアがひらいたことを、そういうふうにとらえた。
「カズ――」
ドアの向こうにいたのはカズマサではなかった。
いたのは、クモの下半身を持った人体模型だった。
悲鳴をあげるヒマはない。
人体模型のうでがタイゾウの首にのびて、ものすごい力でしめあげる。
首の骨の折れる音が、だれもいないトイレで静かに笑った。
(つづく)
次回の投稿予定は、5月12日の午後8時です。