影の狩人
第3回 影の狩人
秋浜第2小学校の東校舎は1~4年生の教室や職員室がある第1校舎と、図書室や音楽室がある第2校舎、そしてふたつの校舎をつなぐわたり廊下からなりたつため『コの字校舎』とよぶ生徒もいる。
これは東校舎を上から見たときに、カタカナの『コ』の字に見えることからつけられたものだ。
「あれ?」
職員室へ向かう途中、給食室の前でナナミが不意に立ちどまった。
「ねぇ、ハル。給食室のシャッターってさ、たしか野菜の絵が描かれてなかったっけ?」
ナナミが銀色のシャッターを見て、いった。
「野菜の絵? そんなものあるわけないだろ」
「おかしいな。あるような気がしたんだけど」
ナナミは納得いかないようだったが、ここで足をとめるわけにもいかないので、あきらめて職員室へ向かうことにした。
職員室にカギはかかっていなかった。もちろん、教師はいない。
「あかりは……やっぱりつかないか」
ハルキがすべてのスイッチを「ON」にするが、あかりはつかない。
「ぼくたちがケトルを運ぶから、ハルキくんたちはラーメンを運んでよ」
「いいのか?」
「うん。数はラーメンのほうが多いんだから、運ぶ人が多いほうがいいでしょ」
セイヤたちが給湯室に入ると、ナナミがハルキのわきばらをこづいた。
「ユウカとカナが、セイヤくんをてつだうと思う?」
「思わない」
「わたしも」
6年1組にはタイゾウのほかにも、クラスメイトを奴隷のようにあつかう人物がいる。
それがキリヤマ・ユウカだ。
2年生まで、ユウカはそれほどめだつ子ではなかったし、どちらかというといじめられる側の人間だった。
だが、3年生になって、ユウカの兄がアイドルとして芸能界デビューし、ブレイクすると彼女の態度は一変。
いつも何かにおびえていた少女は人気アイドルの妹という立場を利用して、女子だけでなく男子すらも支配するクラスの女王へと変わってしまった。
県知事の息子であるタイゾウですら、ユウカにはかかわろうとしない。
「心配すんな。ラーメンの箱は軽いから、おれがケトルも一緒に持ってやるよ」
シュウはうでをまげると、じまんの力こぶをパンパンとたたいてみせた。
* * * *
「給湯室って、あんがい広いのね」
ユウカが部屋の中をぐるりと見まわす。
給湯室は職員室のとなりにあるが、入り口は職員室の中にあるので、生徒が入ることはほとんどない。
給湯室なんていうから流し台しかないせまい部屋だと思っていたが、中は意外と広く、電子ケトルや、やかんをならべた食器だなもある。
「なんか、休憩室ってかんじね」
「実際、先生たちがここで休憩してるのかも。ラーメンだって、ここで食べてるんじゃない?」
カナがうわばきをはいたまま、たたみの上にあがった。
ユウカはセイヤのほうへ向きなおると、いつもの調子で声をかけた。
「電子ケトル、ぜんぶ、あんたが持ってよね」
「でも――」
「あんた男でしょ? まさか女子に荷物を持たせるわけ?」
職員室に聞こえない程度に声をあらげて、セイヤをおどす。
「セイヤくん、まさかユウカにさからうつもり?」
カナの一言で勝負はついた。この言葉にさからえる者はいない。
セイヤは口をつぐんで、食器だなから電子ケトルを取り出しはじめた。
「どれくらい、いるかな?」
「知らないわよ。自分で考えなさい」
セイヤは電子ケトルの取っ手にうでを通し、あいた両手でのこりのケトルを持った。
だが、それでも6個が限界だった。
「もうひとり奴隷がいればよかったのにね」
カナが笑いながら、ユウカの耳元でささやいた。
「ホント。もうひとりぐらい奴隷が――」
そのとき、ユウカの頭の中で、ある記憶に光がやどった。
その光は閃光のように一瞬だったが、いなづまのように強いかがやきで、ユウカの記憶を思い出させた。
いた。
たしかに、6年1組にはもうひとり奴隷がいた。
顔も名前も思い出せない。
だけど、たしかに自分はそいつを奴隷としてあつかってきた。クラスメイトではなく奴隷として。
「ねぇ、カナ。たしか奴隷って――」
背後につめたい気配を感じた瞬間、足元に大きな穴がひらき、ユウカはその中へ落ちていった。
自分の身に何がおきたのか。
それを理解することなく、ユウカの意識と命は暗闇の中に沈んでいった。
* * * *
カナとセイヤの悲鳴が、夜の静けさを引き裂いた。
「セイヤ!」
ハルキたちは給湯室に走った。
給湯室に入ったとき、4人は我が目をうたがった。
言葉を絶する目の前の光景を信じることができず、体を動かすことさえできなかった。
たたみにはぽっかりと大きな穴がひらき、その中から2メートル以上もある巨大な黒いカマキリが上半身を出している。
「助けて!」
カマ状の前脚はカナの肩に食いくみ、彼女を穴の中に引きずりこもうとしていた。
「おねがい! 助けて!」
それは5人が聞いたカナの「最期」の声だった。
カナは穴の中に引きずりこまれてしまった。
「あ、あ……」
セイヤは壁に手をあてて、ふるえていた。
カマキリのザクロのように赤い複眼がセイヤをとらえる。
カマキリがセイヤに向かって、カマをふりおろした。
「あぶない!」
ハルキはセイヤにとびついた。
巨大なカマが空を切り、ふたりの足元につきささる。
「ちくしょう! てめぇ!」
シュウは電子ケトルをひろうと、カマキリの頭に投げつけた。
しかし、効果はない。
カマキリの複眼が今度はシュウをとらえた。
「おにいちゃん、あぶない!」
涼華はネックレスを引きちぎると、勾玉をカマキリに向かって投げつけた。
勾玉はカマキリの頭にあたり、金色の光をはなった。
暗闇の中ではまぶしすぎるほどのかがやきなのに、不思議とだれも目を閉じようとはしなかった。
カマキリの頭は勾玉があたったところから変色し、灰になってくずれはじめた。
頭をうしなったカマキリがくるしまぎれにカマをふるう。
カマは食器だなにあたった。われたガラスが剣の雨のようにハルキとセイヤにふりかかる。
カマキリの全身がくずれると、たたみの穴は閉じて、消えてしまった。
* * * *
シュウが、その場に力なくすわりこむ。
ナナミは息をのんで、カマキリ〝だった〟灰の山を見つめていた。
しばらくの間、だれも話すことができなかった。
いま、自分が置かれている状況のすべてが理解できなかった。
やっと口をきけたのは、ハルキだった。
「なんで、あのカマキリは灰になったんだ?」
「涼華ちゃんのおかげよ。涼華ちゃんの投げた勾玉がカマキリにダメージをあたえたんだわ」
ナナミにいわれて、涼華は思い出したようにこぶしをひらいた。
ちぎれたネックレスには、あとふたつ勾玉がのこっている。
「亡くなったおばあちゃんの形見なの。おばあちゃん、いつもいってたの。この石には力があって、わざわいから身を守ってくれるって」
「じゃあ、その石がカマキリのバケモノをたおしたっていうのか?」
シュウがおそるおそる勾玉を指でつついた。
「影童子」
セイヤの声だった。セイヤはうずくまるようにして頭を押さえていた。
「セイヤ、だいじょうぶか?」
セイヤのうでからは血が出ていた。おそらくガラスで切ったのだろう。
「だいじょうぶ。ちょっと切っただけだよ」
「それ『ちょっと』ってレベルじゃないぞ。保健室で手当てしよう」
「手当てなら、わたしにまかせて。5年のとき、保険がかりだったから、くすりの場所も知ってるし」
ナナミが自信ありげにこたえたので、5人は保健室に向かった。
手当ての最中、ハルキは給湯室で何がおきたのかセイヤに聞くことにした。
「いきなりだったんだ。いきなり影童子があらわれて――」
「カゲドウジ?」
「あのカマキリの名前だよ。あいつを見た瞬間、なぜか『影童子』っていう言葉が頭の中にうかんだんだ」
「ねぇ、ユウカは? ユウカはどうなったの?」
ナナミが包帯をまきながら、たずねる。
「キリヤマさんは……」
セイヤは言葉をためらった。
それが何を意味するのかは小学生のハルキたちでもわかった。
「……やられたんだな?」
「うん。穴の中に引きずりこまれた」
セイヤが小さな声でこたえた。
「ここから出よう」
ハルキが、いすから立ちあがった。
「学校から出るんだ。みんなで」
「でも、見えない壁がはられているんでしょ?」
涼華がたずねる。
「どうやって出るの?」
「みんなで壁をこわすんだ。石でも竹ぼうきでもいい。とにかく、みんなで壁をこわして、ここから出よう」
「ハルキのいうとおりだ。こんなところにいたら、また怪物におそわれるかもしれないしな。そうなる前に、みんなで脱出しようぜ」
シュウもハルキとおなじように、いすから立ちあがった。
「セイヤくんは、どうするの?」
ナナミがセイヤにたずねる。
「ぼくもふたりとおなじだよ。ここから出て、怪物のことを大人に教えよう」
「心配すんな、お姫さまはおれたち男子が守ってやるからよ。あ、ナナミは守ってもらう必要ないか。おまえ、お姫さまじゃなくて怪獣だし」
「だれが怪獣ですって!?」
ナナミが顔を真っ赤にして、ほえた。
「みんな、気をつけろ! ナナミルガが火を吐くぞ」
「シュウ、そのへんにしとけよ。まずは一度、体育館に戻ろう」
「まてまて。それより先に体育倉庫へ行こうぜ」
「どうして?」
「竹ぼうきより、金属バットのほうが壁こわしには役立つだろ? まずは武器を手に入れなくちゃな」
(つづく)
次回の投稿予定は、5月10日の午後8時です。