蝶の住む町
最終回 蝶の住む町
ランチのあと、3人は秋浜東町に向かった。
東町は20世紀から続く農業地帯で、現在でも多くの田畑やビニールハウスがあちこちにのこっている。
3人の乗ったバスは、そんな時代の波からこぼれ落ちたような町に向かって走っていた。
バス停でおりたあと、3人は立体地図アプリをたよりに目的地へ向かった。
「ここだ」
目の前にあるのは、古い小さな家だった。
「ここだ。まちがいないよ」
〝石原〟と書かれた表札を見て、ハルキがいった。
七美がインターホンを押すと、家の中から40代後半ぐらいの女性が出てきた。涼華の母親の石原秋穂だ。
やさしい印象をあたえる目元や白い肌は涼華と、うりふたつだった。
「あの……電話でお話した三浦ですけど」
「3人とも、よくきてくれましたね。せまい家ですけど、どうぞ、あがってください」
3人が案内されたのは、小さな庭に面した仏間だった。
仏壇には、秋穂の母親の写真が立てかけられている。
そのとなりには涼華の写真も立てかけられていた。
「ちょっと待ってくださいね。いま、お茶を用意しますから」
そういって、秋穂は仏間から出ていった。
「なんで、わすれてたんだろうな」
秀一が本だなにかざられた写真立てを見て、つぶやいた。
写真立ての中には、2年生のときに撮ったクラス写真が入っている。
それは涼華が学校で最後に撮った写真だった。
「ゲームの中で、みんなが涼華ちゃんのことをわすれていたのは、和正が記憶を書き換えたからだよな?」
「ああ」
「それでも、おれは思い出さなくちゃいけなかったんだ。おなじクラスメイトのことを思い出さなくちゃいけなかったんだ」
「秀……」
「おれってホント、バカだよな。チンパンジーっていわれてもしかたないよ」
そのとき、秋穂がお茶を持ってやってきた。
「あ、すみません。勝手に写真見ちゃって」
「いいんですよ。あなたたちがきてくれて、きっと、涼華もよろこんでるはずですから」
秋穂は3人にお茶を出すと、たたみにすわった。
「ほんとうはいまでも信じられないんです。和正くんがあなたたちを殺そうとしたなんて。わたしの知ってる和正くんは心のやさしい子でしたから」
秋穂は涼華の写真を見ながら、話しはじめた。
「涼華は生まれたときから心臓に重い病気をかかえていました。現代の医学でも治すのはむずかしくて、10歳までは生きられないだろうって、いつも、お医者さんがいっていたんです」
春輝たちが石原涼華の存在をハッキリと思い出したのは、ゲームをクリアしたあとだった。
自分たちには2年生のときに病気で亡くなった石原涼華というクラスメイトがいた。
だが、3人がおぼえているのはそれだけだった。
涼華が学校にこなくなったのは2年生の6月からだった。
それまでも涼華はよく学校を休んでいたし、体育の授業も見学することが多かった。
だから、3人とも彼女と遊んだ記憶はまったくといっていいほどない。
告別式の記憶さえ、激動の青春の中に埋もれ、3人ともわすれかけていた。
「和正くんは毎日、おみまいにきてくれました。バスに乗るお金がないからって、ボロボロの自転車で毎日、病院までかよってくれたんです」
「和正が……」
「ええ。和正くんは、その日学校でおきたことを、毎日、涼華に話してくれました。でも、わたしも涼華もそれがウソだってことはわかっていました」
「どういうことですか?」
「和正くんは、いつもあなたたちと遊んでいる話をしてくれたんです。あなたたちと一緒にドッヂボールをしたり、聖矢くんと5人で学級新聞をつくったり……最初はわたしもその話を信じてました。でも、お遊戯会で学校に行ったとき、あの子がひとりでお弁当を食べているのを見て、いままでの話が、すべてウソだとわかりました。和正くんはあなたたちが楽しそうに遊んでいるすがたを見て、それを涼華につたえていたんです」
秋穂は目を閉じて、すこしの間、黙りこんだ。
「和正くんがいじめられていることは、わたしも知っていました。担任の先生にやめさせるよう話したこともあります。でも、先生は取り合ってくれませんでした。いじめているのが県知事の息子だから」
「ほんとうはおれたちが助けてあげなくちゃいけなかったんです。クラスメイトのおれたちが」
春輝は、なぜ、和正があの事件をおこしたのか秋穂に話した。
和正がいじめられているとき、自分は見ていることしかできなかったこと。
だからこそ、和正が自分たちをうらんでいること。
そして涼華が自分たちを助けてくれたこと。
「そう……。涼華があなたたちを……」
「おれたちがいま、こうして生きていられるのは涼華ちゃんのおかげなんです。涼華ちゃんの勾玉がなかったら、おれは憑骨から七美を守ることができなかった」
「勾玉? いま、あなた、勾玉っていいました?」
秋穂は目を見開いて、春輝の顔を見つめた。
「はい。青色の勾玉です。ゲームで涼華ちゃんのネックレスについていたんです」
「ちょっと待ってね」
秋穂は本だなから1冊のアルバムを取り出した。
「そのネックレスって、これじゃありませんでしたか?」
秋穂が見せたのは、病室で撮った涼華の写真だった。
写真の涼華がつけているネックレスは、ゲームの中の涼華がつけていたものとおなじだった。
「これです! まちがいありません!」
「そう……和正くんは、このネックレスのこともおぼえてくれてたのね」
秋穂は、仏壇に手を合わせた。
「お母さん、聞いてますか。お母さんのネックレスがあの子たちを守ってくれたのよ。お母さんと涼華が、あの子たちの未来を救ってくれたの。ありがとう。ほんとうにありがとう」
「お母さんって……もしかして、このネックレス、涼華ちゃんのおばあちゃんのなんですか?」
「ええ。この勾玉には持ち主をわざわいから守る力があるからって、生前のお母さんが、病気に負けないように涼華にあげたものなんです」
3人は顔を見合わせた。
亡くなったおばあちゃんの形見なの。おばあちゃん、いつもいってたの。この石には力があって、わざわいから身を守ってくれるって。
それはゲームの中で涼華がいった言葉だった。
和正はネックレスのことを知っていた。
だからこそ、わざわいから守る力として、勾玉に怪物をたおす力をプログラムしたのだ。
3人は仏壇の前にすわり、涼華とおばあちゃんの写真に手を合わせた。
「あなたたちに、わたすものがあります」
秋穂は机の引き出しをあけて、ポータブル・ビジョンプレイヤーとマイクロビジョンメモリを取り出した。
「事件の2日前にね、和正くんがここをおとずれたの。そのときに、これをわたしにあずかるよう、たのんだんです」
「和正が?」
「ええ。もし、同窓会のあと、聖矢くんかあなたたちが、ここをおとずれることがあったら、これをわたしてほしいって。そのときの和正くんの表情が何かを思い詰めているみたいだったことをすごくおぼえているわ。きっと、あの子はすべてわかっていたんでしょうね。こうなることが」
秋穂はプレイヤーをたたみの上に置いた。
「和正くんはあなたたちに思いを受け取ってもらいたいはずです。ですから、わたしは部屋から出ていきます」
秋穂が出ていくと、秀一が慣れた手つきでビジョンプレイヤーを起動させた。
* * * *
ビジョンプレイヤーは大きな立体映像を映し出すことのできる最新式のものだった。
プレイヤーにメモリを入れると、身長173センチの和正が春輝たちの前にあらわれた。
「春輝くん、秀一くん、三浦さん」
立体映像の和正が3人の名前をよんだ。
「そして、聖矢くん。きみたちにはこわい思いをさせてしまったね。すまない」
和正が頭を下げる。
「きみたちがこれを見ているとき、もうぼくはこの世にはいない。あれだけみんなにひどいことをしたんだ。ぼく自身が死をもって、つぐなうしかない。これも因果応報さ」
和正は目を閉じて、悲しそうに笑った。
「でも、ぼくは後悔なんかしていない。ずっと前から決めていたことなんだ。ぼくをいじめたやつに――そして助けてくれなかったやつに復讐することを。そして、その思いが、いまのぼくをつくりだした」
強くにぎりしめた和正のこぶしがふるえている。
春輝は思わず、あとずさりしてしまった。
「ぼくにとって小学校の思い出はどれもひどいものばかりだ。思い出すだけで吐きたくなるよ。だけどね、ほんのすこしだけ楽しい思い出もあるんだ。それをつくってくれたのはきみたちだよ」
和正と春輝の目が合った。
そこにはだれもいないはずなのに、春輝はほんとうに和正に見られているような気がした。
「春輝くん。3年生のときの遠足をおぼえてる? あの日、聖矢くんが風邪で遠足を休んで、ぼくはひとりでおにぎりを食べていたんだ。そしたら、きみや三浦さんがきて、自分の弁当をぼくにわけてくれたんだ。あのときはすごくうれしかったよ。ありがとう」
和正の口元がゆるやかにあがった。
「秀一くん。2年生のとき、給食の時間に泰造がぼくのプリンを取って食べたことをおぼえてる? あのとき、きみは自分のプリンをぼくにくれたね。でも、あのプリンはおみまいのときに、涼華ちゃんにあげたんだ。ごめんよ」
「バカヤロウ。それなら早くいえよ。そうすりゃ、春輝の分もあげたのによ」
秀一がおかしそうにいった。
ほんとうに目の前の和正に話しかけているみたいだった。
「三浦さん。きみの誕生日パーティーで食べたケーキの味をぼくはわすれないよ。ぼくがこの歳になっても、ショートケーキが好きなのは、あの味がわすれられないからなんだ」
七美は何もいわなかった。
くちびるを噛みしめて、立体映像の和正をじっと見つめていた。
「そして、聖矢くん。きみは保育園のときから、ずっとぼくの側にいてくれたね。そういう意味では、きみはぼくの一番の親友だ。きみ自身はおぼえてないかもしれないけど、復讐を提案したとき、きみはぼくにこういったんだ。『そんなの和正くんじゃない。ぼくの知ってる和正くんは心のやさしい人だ』って。うれしかったよ。でも、ぼくはきみのいうような心のやさしい人間にはなれなかった。ごめんね」
「おい、聖矢。和正がおまえにあやまってるぞ。だから、なんかいってやれよ。さっさと目をさまして、こいつに、なんかいってやれよ」
秀一が立体映像の和正を見ながら、そんなことをつぶやいた。
庭に舞いこんだ10月の風が、季節はずれの風鈴をさびしく鳴らしていった。
* * * *
さびついたベンチしかないバス停で、3人は帰りのバスを待っていた。
「和正くん、涼華ちゃんのことが好きだったんだね」
七美が前を向いたまま、春輝にいった。
バスはまだこない。
「好きだからこそ、あいつは涼華ちゃんのことをおぼえていた――いや、わすれることができなかった。だから、教室に机が20個あったんだ。涼華ちゃんもおれたちのクラスメイトだから」
「そうよね」
「おれ、ずっと不思議に思ってたんだ。どうして、おれたちが6年1組の教室で眠っていたのか。どうして、涼華ちゃんが6年の廊下にたおれていたのか。それから、聖矢がプールドームで眠っていたのか。もし、おれが和正の立場なら、こんなヒントだらけのところに殺したいやつを置いたりしない。じゃあ、なんで和正はおれたちをここに置いたのか。そして涼華ちゃんと出会わせたのか」
畑ではたらく女性の声が、遠くから聞こえてくる。
バスはまだこない。
「和正はおれたちをうらんでいた。でも、心のどこかに助かってもらいたい気持ちもあった。だから、聖矢からノートの記憶を完全にうばわなかったし、おれたちと涼華ちゃんを出会わせた」
ボロボロの軽トラックがバス停の前を通りすぎた。
バスはまだこない。
「都合がよすぎるかな?」
「そんなことねえよ。人間って、いろんな感情でできてる生き物だからな。ま、ホントのことは和正しかわからないけどな」
どこからかとんできたアゲハチョウが、バス停の標識にとまった。
アゲハチョウは標識からはなれると、3人の頭上をヒラヒラととびまわった。そして、秋穂の家のほうへとんでいった。
「気をつけてね」
七美がアゲハチョウに手をふった。なんだか、涼華に手をふっているみたいだった。
「おれさ、これから毎年、和正と涼華ちゃんの墓参りに行くよ」
二度と大事なクラスメイトをわすれないために、春輝はその言葉を強く心にきざみつけた。
ひびわれたアスファルトの道路を1台のバスがいそいでやってくる。
バス停に、やっとバスがやってきた。
(完)
今回で、この物語は完結となります。
最後までお付き合いしてくれた読者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。
※誤字、脱字は見つけ次第、修正していきたいと思います。