つかの間の逢瀬?
「緋村、ちょっといいかな?」
その日の宿泊先にしていた寺院の俺と犬飼の部屋に姫がやって来て、そう声をかけてきた。
「いいですが」
そのまま俺たちの部屋に入って来て、何かの話をするのかと思っていたら、姫は入って来ず、手招きをした。
「なんでしょうか?」
立ち上がって、廊下で立っている姫の所まで行くと、廊下の先を指さして、歩き始めた。
月明りが差し込む廊下を進む姫の後をついて行く。
俺たちの部屋から二間ほど離れた部屋の前で立ち止まると、姫はその部屋の障子に手をかけ、俺を見た。
もしや、その部屋には一つの布団と二つの枕。
そんな事を思い浮かべながらも、きりりとした表情のまま姫の下に歩み寄る。
「ここは?」
落ち着いた声音でたずねる。
「ひ・め・ご・と!」
姫が立てた右手の人差し指を俺の唇にあて、意味深な口調で言った。
当たりか!
姫はつかの間の逢瀬を望んでおられる。
そのまま押し倒すと言うのもありだが、それでは飢えているみたいだ。
意味が分からない。そんな表情を浮かべてみせる。
そんな俺に、にんまりとした笑みを浮かべ、姫が障子を開けた。
月明りが差し込むその部屋には、何も無かった。
まあ、布団が必須と言う訳ではない。
姫が入って行くのを追って、俺も足を踏み入れると、後ろ手で障子を閉めた。
障子紙から差し込む弱々しい月明りだけの暗い空間。
姫はその部屋の真ん中あたりに正座すると、少し離れた場所を指さした。
そこだと、対座した状態から押し倒すにも距離があり過ぎる。
姫が指示した距離ではなく、少し腰を浮かせ、手を伸ばせば姫の肩に手を掛けられるほどの距離の所に座った。
「近い!
濃厚接触禁止なんだからね!」
姫は意味不明な事を言って、座ったままずりずりと後退し、俺との距離を取った。
大人の時間を過ごすには、少し離れすぎている。
「実は秘密の話があるの」
「話?」
俺の期待はこのまま消え行くのか?
そんな不安と不満を抑え込み、何食わぬ顔で言葉を続ける。
「どんな話でしょうか?」
「八房との話とかから、気づいているかも知れないけど、私あなたの知っている浜路姫じゃないの」
「えっ?」
ここのところの姫には違和感はあったが、今姫が言った事は全くもって理解できない。
「浜路姫じゃないって事ですか?」
「ううん。この体は浜路姫のものなんだけどね。私は浜路姫じゃないの」
「妖で憑き物って事ですか?」
「いやいや。だったら、八犬士たちが私に付いてこないでしょ。
それに八房も。て言うか、私をここに呼んだのは八房なんだし」
「すみません。
意味分からないんですが」
「まあ、とりあえず聞いて」
そう言うと姫は一気に意味不明な事を語り続けた。