王毘笥
犬塚が捕らえられている裸婦照の場所を知らない姫は梓の横に並び、先頭を歩いている。
まず目指すは大猿の領国。梓の話では、裸婦照は大猿の領国のさらに奥、申世界を取り囲む裂土羅隠の麓にあるらしかった。
「ねぇ、梓ちゃん」
「なんですか、姫様」
「あー、梓ちゃんは姫様ってのは止めてもらえたら、うれしいかな」
「どうしてですか?
八犬士たちや緋村には私は立場的に姫だから、それでいいんだけど、梓ちゃんとはそんな関係じゃないと思うんだよね。
年も変わらないんだし、名前で呼んでくれたら、うれしいかな」
「浜路様ですか?」
「そうだよね。浜路姫だもんね。
でも、なんだか浜路って、私ピンとこないんだよね。
佳奈って呼んでくれたら、うれしいかな」
「かなさんですか?」
「さん、要らないよ。私も梓って呼ぶから」
「本当にいいんですか?」
「いいよ。梓。
私たち、友達でしょ」
「私、友達なんですか?」
「嫌?」
「そんなことありません。
うれしいです。
私、姫様と出会ってから、いい事ばかりです」
「姫様じゃないでしょ。梓」
「そうでした。かな」
「ところで、梓。
裸婦照の場所を知っているって事なんだけど、そこには王毘笥って、ものがあるって聞いてたんだけど、それがどうなったか知ってる?」
その姫の梓への問いは、俺にとっては普通の質問に思えた。
が、さっきまでとても輝いていた姫を見つめる梓の横顔が、その言葉で急に曇り、視線を姫から背けた。
「あ、それはまあいいよ。梓。
それより、手をつながない?」
どうやら、梓の変化を姫も感じ取ったらしい。が、姫の「かな」って名前はなんなんだ?
「いいんですか?」
「遠慮なんていらないよ。嫌なら別だけど」
「ううん。うれしい」
梓に笑顔が戻った。
「ワンピースってさあ、ひとつなぎの大秘宝ってくらいだから、世界に散らばっているものをつなぐものだと思うんだよね」
「何の事ですか、かな」
「私の妄想の話かな。
梓は妄想したりする?」
「妄想ですか。
こんな風だったら、よかったなぁとか、私、こんな風にならないかなあなんて、思ってたりします」
「じゃあさ、そのこんな風ってのを実現しよ!」
「実現ですか」
「そう。諦めたらできないから、諦めないでさ」
「はい。私、できそこないって言われてたんですけど、緋村様と出会ってから、少し自信が出てきました。なんだか、私、緋村様がいれば、できそうな気がしてきました」
「緋村がいれば?」
「はい。利馬主真雲天に出る化け猫を緋村様は追い払ったんです」
「それと関係があるの?」
「あっ!」
梓はそう言って、黙り込んだ。
化け猫を追い払った時の梓の涙と言葉が俺の脳裏によみがえって来た。
梓の心の奥底に、まだ何か彼女を暗くさせる悲しい秘密がある。俺はそう感じ取った。
「梓ちゃん。
俺は君のためだったら、何でもするよ」
励ます意味もあって、そう声をかけた。
「だって、よかったね。梓。
この緋村がいたら、なんだってできる。私はそう思うよ」
「はい!」
梓の言葉に力がこもっていた。
それはうれしい事ではある。が、姫の反応は少し寂しい気がしないでもない。これが過去になった男には興味が無いと言う女心なのかも知れないが。