汚さと臭さは生死にかかわる?
そして、お金や梓が待つ砦からの死角に入ると、犬飼が術を解いた。
「みんな、ありがとう」
姫がそう言って、頭を下げた。
「梓ちゃんも、ありがとうね」
それほど期待していた訳ではないが、姫は俺を見つめるでもなく、駆け寄るでもなく、名前さえ出て来ない。今の姫にとって、俺はみんなと同列の扱いらしい。
そんな虚しさに狩られている俺にかまわず、姫は梓の下に向かい、話し続けている。
「私が手紙に託した私の居場所、解いてくれたの梓ちゃんだったって聞いたよ。
梓ちゃんがいてくれて、助かったよ。
本当にありがとうね」
そして、姫の興味は大輔に移ったらしい。
「そう言えば、大輔さん、その格好は?」
三猿の将としての兵装を纏った大輔の姿に、姫がたずねた。
「あ、すみません。
実は私は豪商の息子ではなく、この三猿家の嫡男なんです」
「なるほど。私を監視するために私たちに近づいてきてたんだぁ。
とすると、私達が申世界に来ることは分かってたって事かぁ」
姫の言葉に大輔は黙り込んでいる。
「なのに、どうして私を助けてくれたの?」
「大猿が姫様を監禁するとは思ってもいませんでした。
申し訳ありません」
大輔が姫に頭を下げている。
「そっか。ありがとう。
助けてくれたんだから、もういいよ」
そう言い終えたかた思うと、姫は自分の手足の汚れ具合を確認し、その臭いをかぎ始めた。
「げっ!
臭っ!」
思いっきり、顔をしかめている。
「まあ、姫様、後で体を拭いて、服も洗えばよろしいではないですか」
自分から姫にそう語りかけた。
そうなのだ。見た目や服は元に戻す事ができる。
行動と発言を見ている限り、一番心配していた精神的な変化は無さそうで、俺はその点だけは少し安堵している。
「あ、緋村」
ようやく、俺の名が出て来た。もしかして、今の俺の言葉で、ようやく俺の存在に気づいたんじゃないよね?
そんな不安が胸の奥で沸き起こる。
そして、それを払しょくするかのように、姫は俺のところに速足でやって来た。
感動の再会の場面を演じてくれるのか?
なんて、俺の心の奥に期待が芽生える。
が、それを打ち消す言葉が俺の耳に届いた。
「緋村、その腰に差している犬王の剣貸して」
「あ、はい」
確かに犬王の剣は姫にとって重要なものであって、それを一番に取り返そうとするのは論理的には理解できる。が、感情的には傷ついてしまう。
今の俺の位置づけって、どうなっているの?
そんな事を考えると手が動かない。
「勝手にとるよ」
痺れをきらしたのか、姫は俺が腰に差していた犬王の剣を自分で取った。
そして、いきなり、それを抜き去ると天空に切っ先を向けて、叫んだ。
「いでよ、犬王!」
いつもの事だが、一瞬で辺りは闇に包まれ、遥か天空に白い点が浮かび上がった。
「姫様、申世界の病を治してから、まだそれほど日が経っていないのでは?」
犬王の力を使うにはそれなりの日数を空けなくてはならない。俺は忠告してみた。
「緋村、知ってるわよ。
でもね、崖から飛び降りた時、結局八房と伏姫は現れたじゃない」
「確か、あの時は姫様の命がかかっているから、現れたって言ってませんでしたっけ?」
「そうよ。
私、こんな汚いままじゃあ、死んじゃうよ。
だから、一緒でしょ?」
「いや、確かにいつもの姫様より汚れてはいますが、町にたむろする家を持たない者たちもかなり汚れていて、臭いを放っていますが、死んじゃうなんて言いませんよ。
まあ、日も差し込まず、空気も流れない場所に監禁されていた姫様のその姿は彼ら以上ではありますけど」
なんて、会話をしている内に白い点はそれなりに大きくなっていた。
「ほらね。
大きくなってきてるじゃない」
大きくなった白い点を差して、姫は自慢げだ。
「すみませぬ。
これはどう言う状況でしょうか?」
「そう言えば、あなた見知らぬ人だけど、誰?」
「姫様、こちらは佐助の里の忍びで、蜃気楼お金殿です」
「蜃気楼お金さん?
今までのこの世界のお約束から行くと、かげろうお金とか、蜃気楼お銀って感じなんだけど、二つとも変わっているのね」
「何の事でしょうか?」
「あ、気にしないで。
今、八房と伏姫がくるのを待っているの。
なんでも、かなり力を消費するらしくて、一度願いを叶えてもらうと、しばらくは呼び出せないんだけど、私の生死がかかっていると無理して出て来てくれるの。ただ、それには時間がかかるらしいの」
「今、生死がかかっているのでしょうか?」
「当たり前じゃない。
この汚さ、この臭さ。
死んじゃうよぅ。
あなたもかげ○うお銀じゃなかった、蜃気楼お金さんなんだから、お風呂好きなんじゃないの?」
「おふろって何でしょうか?」
「あ、それも気にしないで」
意味の無い会話を姫がお金とかわしている内に、八房と伏姫が姿を現わした。
物の怪の姿に恐怖したのか、梓は俺の背後に回り、俺の着物の腰の辺りを掴んで、身を隠した。その小さな体が小さく震えているのを俺は感じていた。