妙椿の飼い猫
三猿家の若君 三猿大輔が、姫様を監禁した大猿家と一戦交えるために、兵たちを調練していると聞かされた場所にやって来た。
そこは何もない灰色の平地だ。
そもそも申世界の中には山のようなものはなく、起伏の無い円状の広大な平地が裂土羅隠の内側に広がっている。
この申世界での戦はもっぱら平地での戦いのみと言えるだろう。
しかも、馬を養う草はなく、騎馬隊と言うものも存在しないらしい。
三猿の若君の調練もひたすら、個人の剣技を鍛えようとしている。
「私、大輔さんを呼んできますね」
梓はそう言うと、調練を指導している一団に向かって走りだした。
かなり明るく、そして積極的になってきた。元々かわいい顔立ちだったが、その明るさが彼女をさらに輝かせてきている。
これは完全に惚れたのかも?
そんな思いをぐっと抑え込む。
梓はすぐに一人の若者を連れて来た。この国の武将も俺たちの国と同じような鎧兜だ。
「緋村様、こちらが三猿家の若君 大輔様です。
そして、大輔様、こちらが浜路姫の警護役の緋村将軍です」
梓がはきはきとした口調で大輔と俺を互いに紹介した。
「緋村将軍、お会いできて光栄です」
「こちらこそ、三猿家の若君様にお会いできて光栄です」
さっきの集落でもそうだったが、彼は申世界 四公の一つ 三猿家の若君だと言うのに、甲斐族の俺に敵意や憎しみの表情を向けていない。全くもって、姫に手なずけられているとしか言いようがない。
「私たちは姫様の安否を確かめに来たのですが、大輔殿はどこまでご存じなのでしょうか?」
そう切り出し、大輔から聞き出した話によると、大輔は当日、大猿の館の広間で食事をしている最中に強い眠気に襲われ、目覚めると広間に一人横たわっていたらしい。
大輔は大猿勇多に事の次第を問いただしたが、知らぬ存ぜぬで押し切られたらしかった。
ところが、犬王の剣を携えて館を出る梓と遭遇した大輔は、勇多が梓に命じた内容を梓から聞き出した。その内容から言って、勇多は姫を人質にして、八犬士たちを操ろうとしている。あるいは八犬士たちを人質にして、姫に犬王の力を使わそうとしている。大輔はそう考え、姫奪還のため、挙兵の準備をしているらしかった。
「大輔殿、だが、二つ問題があるのではないのか?」
「一つは姫の居所ですね」
「そのとおり。
大猿の館を襲っても、そこに姫がいるとは限らんでしょう」
「それは分かっています。
それゆえ、手の者に探らせています。
それが分かるまで、とにかく調練です」
「なるほど。
なら、もう一つ。これが一番厄介やも知れぬのだが、妙椿の力はどうします?」
「それは心配いりませぬ。
おそらく、大猿の下にはいない。
と言うか、甲斐族の地に異変はないのですか?」
「どう言う意味です?」
「利馬主真雲天に化け猫が出るでしょう。
あれは妙椿の力を浴び続け、妖となってしまった妙椿の飼い猫です。
あれは今、甲斐族の地に住んで居る。つまり、妙椿は甲斐族の地にいるはず」
大輔のその言葉は、俺にとんでもない衝撃を与えた。