化け猫再び
急峻な岩山で出来た裂土羅隠。その岩山を貫いてできた甲斐族の地と申世界とをつなぐ利馬主真雲天。なだらかに続くその坂。
そこに足を踏み入れる。
ここを通る者は皆無と言っていい。
申世界からこちらに来る者は厳しく制限されていると聞いている。
逆にこちらから申世界へは向かう理由が無い上に、そこに化け猫が出ると言う噂があり、甲斐族の民にあえて危険を冒す者などいない。
それだけに、俺もここを通るのは初めてである。
「疲れていないか?」
黙って少し後ろを歩く梓にたずねてみた。
いつもの反応通り、梓は言葉ではなく、小さくこくりと頷く事で返事をした。
「梓ちゃんが申世界から、俺達の所に来る時に化け猫には会わなかったのか?」
これにも梓は小さく頷くことで返事をした。
まあ、化け猫に襲われていたら、この子が今、こうしている訳は無いのだが。
利馬主真雲天を歩いてみて分かったのだが、距離が長い。数十分もすれば申世界かと思っていたのだが、歩けど歩けど、申世界にはたどり着かない。
どれだけ歩いたのかは分からないが、なだらかな坂だった道の頂上にようやく達しようとした時だった。
少し離れていた梓が走り寄り、俺の着物の端を掴んだ。
「うん?」
そう思った時、俺は周囲の異変を感じ取った。
どこからともなく、白い闇が俺たちを包み始めた。
それが霧でない事は、突如沸き起こって来た事から言って明白だ。
「隠れて」
梓を背後に回し、来た道に向かって立つ。
俺たちを追いかけるようにして、何かが甲斐族の地よりやって来ているのを俺は感じ取っていた。
諸刃の剣の柄に手をかける。
やがて近づく気配は、ドタ、ドタ、ドタと言う音響と地響きを伴い始めた。
「やあ、君たち」
無数の足を持った巨大な猫の顔をした人の何十倍もありそうな物の怪が目の前に止まり、ぎょろりとした大きな目を俺たちに向けて、そう言った。
大きな猫の顔の額の上には”あの世”と書かれている。
「二つほど教えてくれないか?」
「なんだ?」
この化け猫は余裕なのか、馬鹿なのか、俺の問いに平然と答えてきた。
「ここを浜路姫が通ったか?」
「ああ。通してやった」
どうやら、姫が申世界にたどり着いている事には間違いが無いらしい。
「では、もう一つ。
その額にあの世と言う文字を浮かべている意味は分からんが、お前、俺達をあの世に連れて行こうってか?」
「そのとおり。
ここを勝手に通る事はゆるさねぇにゃっ!」
「お前に俺が止められるかな?
容赦しないで行くぞ」
「ニャッ、ニャッ、ニャッ!
勝てる気でいるのかにゃっ!」
諸刃の剣を抜き去ると、目の前の化け猫から少し離れた化け猫本体の気があるところに向けて、一斬りの技を放った。
「フンニャァァァ!」
目の前の大きな化け猫は大きな悲鳴を上げた。
「幻に騙されるほど、俺は耄碌していない」
「お前の事、忘れにゃい」
そう言い残すと、巨大な化け猫の姿は霧散した。
幻影に惑わされず、本体を見極められれば、倒せるはずだ。
そんな事を思いながら、梓に目を向けると、梓は泣きじゃくっていた。
巨大な化け猫。それにあの世に連れて行くと言われ、恐怖で涙を流している。
俺はそう思い、心を落ち着かせようとぎゅっと抱きしめた。
「うっ、うっ、うっ」
梓は小さく嗚咽している。
「怖かったか。
もう安心だ」
そう言いながら、頭を撫でる。
「うっ、うっ、うっ」
ただ怖がっている。そう思っていた俺の耳に梓の意外な言葉が届いた。
「人でも妖に勝てるんですね。
そうなんですよね?」
溢れる涙の奥の瞳で、梓は何かを訴えているように思えた。