玉梓参戦
金毛九尾の狸、妙椿は突然犬村に向けて、突進し始めた。
速い!
だが、姫の言葉じゃないが、向かって来る敵ほど狩りやすい獲物はない。
犬村が刀をかまえ、妙椿が間合いに入るのを待ち構えている。
今だ!
そう思った瞬間、狸の口が開き、赤い玉が吐き出された。
火球!
慌ててかわす犬村に代わり、妙椿をその刃で捉えようと、俺が妙椿に向かって駆けだす。
向かって来る俺に気づいた妙椿が今度は俺に向かって、火球を吐き出した。
さっきの火球もそうだが、決してその速度は速くない。
かわすのは容易だ。
妙椿は当たりかまわず火球を吐き出している。
その本体は火球とは全く違い、素早い動きで逃げ回り、未だに俺も八犬士たちもその刃を突き立てられていない。
「緋村。
妙椿はどう?」
大猿を倒したらしい姫たちが駆けつけてきた。
「姫様。
私にお任せを」
狂犬 犬江の声がしたと思ったら、妙椿に向かって行っていた。
犬江も素早いが、金毛九尾の狸と化した妙椿の動きも素早い。
犬江が繰り出す剣技を全てかわしながら、火球を打ちはなって行く。
「みんな、火球が変」
姫が言った。
吐き出される火球をかわすことと、妙椿本体を狙う事に気を取られていたが、妙椿が放った火球は俺達をその中心とした円を描くようにふわふわと漂っている。
「くっ、くっ、くっ。
ようやく気付いたか」
そう言うと妙椿は一気に俺達から離れた場所に移動した。
俺たちを取り囲む多くの火球はやがて信楽焼の狸にその姿を変えた。
何体もの信楽焼の狸が俺たちを取り囲んだ円を同じ方向に移動し始めた。
その速度は最初はゆっくりだったが、少しずつ速さが増してきている。
「犬村さん。
風でそいつらを吹き飛ばしてみて!」
「承知」
犬村が突風を放ったが、狸たちは一糸乱れず円を描いて回っているままだ。
「犬山さん。焼き払ってみて」
「お任せを」
犬山の指から炎が発せられたが、狸たちは何事も無かったかのように回り続けている。
「実体がない?」
姫はそう言うと狸たちに襲い掛かった。
実体のない妖をも斬れる犬王の剣。
姫の放った一振りで、狸の一つが消滅した。
「ちっ!」
妙椿の顔に憎悪が浮かび、俺たちを取り囲んでいた狸たちが一斉に姫に襲い掛かり始めた。
狸たちは手にしているとっくりの蓋を取り外した。
多くの狸が放つ鴆毒!
姫を守ろうと八犬士たちが姫に駆け寄る。
当然、俺もだ。それは図らずも妙椿にとって、敵である俺たちを一か所に集中させることになった。
ここで、俺たちを取り囲む狸たちから一斉に鴆毒を浴びせかけられれば、ひとたまりもない。
「緋村様ぁぁぁぁ」
梓の絶叫が耳に届いた。
そして、禍々しい気が放たれ、いつぞや目にした美女が現れた。
冷たい瞳でそいつは俺を見た。
そして、軽く右手を振ると俺たちに襲い掛かろうとしていた狸たちが一瞬にして消滅した。
「玉梓よ。
なにをなされる」
妙椿が言った。
「すまぬ。
邪魔をしてしもうた」
「姫様、みんな。
こいつからは離れた方がいい」
俺が言った。俺はこいつの危険さを知っている。
「みんなを襲わないで!」
梓の声が響くと、玉梓の顔が歪んだ。
梓が完全に制御できないまでも、ある程度の影響を与える事ができるらしい。
「妙椿。
われはまだ力が十分ではない。
このままではいつまたあの忌々しい王毘笥に封じ込まれるや分からぬ。
われが力を養うまで、我の邪魔をさせるな」
「承知」
玉梓は姿を消したと言っていいほどの速さで、遠くで事の成り行きを見守っている毛里勢に向かって行った。
きっと、あの時のように人の生気を吸い取るに違いない。
しかも、あの時とは違い、毛里が引き連れて来ている兵の数は万を超える。
玉梓にとっては人の生気を吸いつくし放題と言ってもいいほどの筈だ。
「姫様。
あやつの力が増すと厄介な事になろうかと。
追います」
「私も行こう」
「邪魔はさせないよ」
妙椿がそう言った瞬間、俺達と妙椿の間に小さな堀が現れた。
そして、新たに妙椿が生み出した大き目の信楽焼の狸が徳利からその堀に向かって鴆毒を流し始めた。
見る見る堀は鴆毒に満たされ、毛里勢を襲っているであろう玉梓を追う事はできなくなってしまった。