金毛九尾の狸
「緋村。
ここは私と犬川さんと犬江さんでしのぐから、緋村たちは妙椿の気を探って、妙椿を襲って。妙椿はこの近くのどこかにいるはずだから」
「姫様、どうしてそんな事が。
八房が言っていたでしょ。
大猿の頭の中は何も無いって。
あれはただの肉人形よ」
「犬江さん。
緋村たちが妙椿を見つけて襲えば、妙椿の思考はそちらに向かい、大猿を操る意識が削がれるはず。その隙をついて、大猿のここにできる限り多くの槍を打ち込んで!
そして、その槍に雷を落とすの」
そう言って、姫は足のふくらはぎの下の方を差した。
「承知。
緋村殿、妙椿は頼みましたぞ!」
犬江が言った。
「目を閉じ、周囲の気を探る」
多くの殺気立った気。戦いを繰り広げている忍びたちだ。
狼狽し、恐怖に満ちた多くの気。大猿になすすべなく怯えた猿飼の兵たちだ。
多くの好奇心と畏怖が入り混じった気。葉芝の兵たちだ。
そして、俺は見つけた。
一心不乱に集中した気。それもたった一つ。
「近い!」
その位置は我が軍の前方だ。
「行くぞ!」
八犬士たちに声をかけると、背後から迫る大猿に目を向けている猿飼の兵たちの間を縫って、最前列まで進み出た。
どこだ?
気の方向に目を向ける。
左側の少し小高い丘に一人の女が立っていた。
猿飼の兵たちは背後から迫る大猿に気を取られ、女の存在には全く気付いていない。
「あれこそ妙椿」
俺の言葉にその女はにやりと笑った。
そして、その女の横に姫が言う信楽焼の狸が出現した。
狸が手にした徳利の蓋を開け、傾けると中から透明な液体が溢始めた。
そのまま吹き出すと、その液体は完全に俺たちに降り注いだだろう。が、犬村が風を起こし、その液体を妙椿の方向に吹き飛ばした。
狸は慌てて徳利の蓋を閉めた。そして、妙椿も慌てて場所を移動した。
妙椿には実体がある。そう言う事だ。
そんな時だった。
後方で犬川の声がした。
「アータタタタタタタタタタタタ」
犬川が動きが鈍った大猿の足目がけて百裂槍を放っているに違いない。
続いて、雷鳴が轟き、周囲をまばゆい閃光が包み込んだかと思うと、続いて大きな地響きがした。
ドスゥン!
振り返ると、さっきまで立っていた大猿の姿が無かった。
「わぁぁぁぁぁ」
猿飼の兵たちから喚声が沸き起こっている。
「ちっ。油断したわ」
妙椿がそう言った。
「ならば、眠るがよい」
妙椿が続いてそう言った。狸寝入りの術だ!
これを防ぐ手段は聞いていない。
「みんな、離れろ」
そう言って、妙椿から離れ始めた時だった。
「大丈夫です。
あの術は私の視界の範囲では中和できます」
梓の声がした。声がした方向に目を向けると、梓と共にその横にも信楽焼の狸が立っていた。
「梓姫。何故邪魔をする」
妙椿の言葉は怒りに溢れている。
その時だった。
後方では再び犬川の百裂槍の声が響いた。
アータタタタタタタタタタタ。
そして、続いて雷鳴が轟き、巨大な絶叫が辺りを包んだ。
「ぐぅわぁぁぁぁぁ」
大猿の悲鳴らしい。
「わぁぁぁぁぁ」
「やったぞ!」
「浜路姫様、万歳。
八犬士様、万歳」
猿飼の兵たちから喚声が上がっている。
大猿との決着はついたらしい。
「そろそろ諦めたらどうだ。
堤の決壊は失敗し、伊香の里による襲撃も失敗し、鴆毒も狸寝入りの術も失敗し、賽八陣の術も敗れた。
もうだめなんじゃないか?」
妙椿に挑発気味に言った。
「おのれ。
確かに、これまでは我らの思う通りには進んでいない。
が、いつまでもおぬしたちの思い通りになると思うな。
ならば、これはどうじゃ」
妙椿から眩いばかりの光が発せられた。
そして、その光が止んだ時、そこには金色に輝く九本の尾を持つ狸の姿があった。