丹葉 迫る
あかねが言ったこのまま芝田の兵を俺たちが狩るのは誰かの思うつぼ。
その言葉を受け、姫は明地の領国の治安維持のため、生死不明の明地剣史郎の代わりとして、玉姫を担ぎ上げ、猿飼の兵を招き入れた。猿飼との直接の一戦を避けたい芝田は参陣を約束した丹葉を使い猿飼に圧力をかける策をとった。
その丹葉を抑えるため、俺と犬江、そして姫で丹葉の地に馬で向かっている。
もちろん、姫は馬に乗れないため、俺の馬に乗っているのだ。
日ごろからきれい好きな姫の髪からはほのかな甘い香りが風に乗って漂い、俺の鼻をくすぐる。
いつまでも嗅いでいたい気がしないでもないが、その時はいつか終わる。
猿飼の地を一気に駆け抜け、丹葉の領地との間の関所にたどり着いた。
丹葉側の向こうには多くの兵たちが控えていて、いつでも攻め込むぞと圧力をかけている。
「開けて!」
馬上からの姫の言葉に猿飼側は扉を開いた。
丹葉側にある扉は閉じたままだ。
「私は浜路姫である。
この部隊の指揮官に話があります。
この扉、開きなさい」
姫が丹葉側に命じた。
浜路姫。その名に一瞬たじろいだが、兵たちを率いている指揮官らしき武将が進み出て来て、姫の言葉を一蹴した。
「浜路姫様がこのような所に現れる訳あるまい。
姫様の名を騙るこの者たちを討ち取れ」
その武将の命で、弓兵たちが前に進み出てきて、弓を構えた。
「緋村!」
馬から飛び降りると、諸刃の剣を抜き放った。
「てぇ」
武将の命で、兵たちが一斉に弓矢を放った。
その数、数十。
この程度の弓矢をあしらうのはたやすい事。
諸刃の剣を振り払い、関所を越えて飛来した弓矢、全てを吹き飛ばす。
「犬江さん。
関所を雷で吹き飛ばして!」
「承知」
一瞬にして、天空は真っ黒な雲で覆われ、雷が関所の柵を直撃した。
轟く雷鳴の中、目も眩む閃光が猿飼と丹葉の領国を隔てる木造の建造物を吹き飛ばし、わずかばかりの残骸物は激しい炎を噴き上げた。
「もう一度言う。
我は浜路姫なり。
我に逆らう者は、容赦なく成敗する。
いざ、心して決められよ」
姫が声を張り上げた。
さすがに天変地異の力を見せつけられた兵の動揺は激しい。
ほとんど戦意を喪失している。
が、武将は違っていた。主である丹葉から命を受けているだけに、そう簡単には引き下がれないのだろう。
「し、しかし、あなた様が浜路姫様であると言う証がございませぬ。
今、浜路姫様は芝田様と共に帝都におわすはず」
「おぬし、我を信ぜず、偽の姫を信ずると言うのだな。
それは我への反逆も同じ、ここにいる皆を道連れにして、あの世に向かう覚悟ができておると言う事でよいか!」
姫はそう言うと犬江に目配せをした。
先ほどの落雷の後、戻っていた青空を再び真っ黒な雲が覆いつくし、いつでも雷を落とす準備ができていると言う脅しの咆哮がごとく、雷鳴がとどろき、天空で稲光が走っている。
「我は罪なき者をあの世に送り込むほど、慈悲なき者ではない。
逃げたき者は今、ここより立ち去るがよい。後々その責を問われれば、浜路の命に従い、離脱した。それを罪と言うならば、姫への反逆が正義となってしまうと申せばよい」
姫が後方に控える兵たちに向けて叫んだ。
自分の命欲しさではなく、正義のための退却。自分たちが逃げ出すための正義を得た兵たちは我先にと逃げ出し始めた。
「どうする。
その方、我に逆らうもよし。
従うもよし。
いずれとするか、性根は定まったか!」
自分の兵たちが逃げ出すさまを成すすべなく見つめていた武将に姫が大声で言った。
「ははっ。我ら、姫様の命に従い、国境より立ち去りまする」
「うむ。
戻って、長秀に申し付けよ。
猿飼の地に手を出す事、この浜路姫が許さぬとな」
「ははっ」
戦になることなく、丹葉の軍勢を撤退させた。
そんな姫をちょっとかっこいいと思ってしまった俺だった。