耶麻崎の合戦
この国の筆頭と言っていい戦力を持つ鬼の芝田が、明地討伐を掲げたのだから、猿飼と事を構える余裕など明地にはない。
明地が猿飼の地に攻め込んで来る。その懸念は消え去った。
と言う訳で、また松姫が俺たちの旅に加わった。
「えーっと、あかねさん。
どうして、緋村様の腕に纏わりついているのですか?」
「もう二度と離れないし、離さないって意味ですけどぅ」
あかねがにこりとして松姫に言った。
「と言うか、あかねさんって、この前までずっと緋村様とは離れておられたんですから、引っ付く必要は無いのでは?」
もう片方の腕に纏わりつく梓が言った。
「そうですよ。
ずっと緋村様とは別々におられたんですから、引っ付く必要は無いのでは?」
松姫が言った。
「離れていた分、それを取り返すんじゃあありませんか」
「私はね」
先頭を歩いていた姫が立ち止まり、振り返ってそう言った。
「ずっと会っていない幼馴染を想い続けるなんてのは、アニメの設定の中でしか存在しないと思うんだよね。あ・か・ね・ちゃん」
「あにめですか?
それはなんなんですか?」
あかねの問いに姫はにこりとだけ微笑んだだけで、答えなかった。
「それはそうとどちらに向かわれているんですか?」
梓たちの何だか分からない険悪な雰囲気を変えるため、俺は話題を変えようとした。
「あ、言ってなかった?
芝田の領国に行ってみようかなって思ってるんだけど」
と、姫が言った時だった。
「松姫様ぁ」
背後より猿飼の早馬がやって来た。
俺たちの所までたどり着くと、伝令の男は馬を降り、松姫の前に跪いた。
「何事じゃ」
「はっ。
植杉謙信は卒中にてすでに他界しており、芝田様の軍勢は植杉より申し入れのあった停戦を受け入れ、明地討伐に向け、一気に引き返してきているとの事。
それを知った明地も迎え撃つべく軍を動かし始めました」
「両軍はどのあたりで激突?」
松姫が伝令の男にたずねた。
「はっ。両軍の進路、進軍速度、そして合戦に適した地、これらより耶麻崎あたりが合戦場となり、開戦はニ、三週間後くらいかと。
特にこの地にある転王山をどちらの軍が抑えるかが合戦の趨勢を決める可能性があります」
「佳奈。どうしますか?」
松姫が姫にたずねた。姫は目を瞑り顔を上げて、何か考えている。
「うーん。芝田が山崎に?」
「どうされました?」
松姫の問いかけにも答えず、まだ唸っている。
「何かが変わったって事なのか、この世界の正しい姿なのか」
まだ何か独り言を言っていたかと思うと、俺達を見渡してたずねてきた。
「ねぇ。その山崎の近くに小栗栖って場所ある?」
耶麻崎と言う地名くらいは知っているが、そのような地名は俺は知らない。と言うか、小さな地名なら、地元に詳しい者でなければ知らないはずだ。
「浜路姫様。
私、知ってますよ。男侯留守。竹藪があるところですよね?」
あかねが言った。
「そう!
竹藪があるのよ。
ところで、私の事は佳奈って呼んでね」
「分かりました。かなさん。
そこに何があるんですか?」
「佐助。あんたは先に山崎に行って、状況を調べて来てよ」
あかねの言葉に返さず、姫は佐助に命じた。
佐助の後ろ姿を見送り、十分離れると姫はあかねに目を向けた。
「この戦い、明地が負けるわ。
そして、明地は敗走するときに、小栗栖の竹藪を通るはず」
「どうして、そのような事か分かるのですか?」
「勘よ。勘」
「浜路姫様。諸侯の動きですが」
伝令の男が割って入った。
「芝田様は植杉と停戦したとは言え、背後を衝かれる事を恐れ、三分の一ほどの兵力を残してきているようです。また、明地様も背後を衝かれる事を懸念し、兵のいくらかは残すものと考えられますので、兵数は拮抗状態。あとは諸侯がいずれに参陣するかなのですが、丹葉様は浜路姫様に付くと宣言されたようで、他の諸侯も浜路姫様を擁する芝田様に付くのではと考えられております。この事より、この合戦は浜路姫様のお言葉通り、明地様の敗北の可能性が高いかと。
しかも、その芝田様より松姫様が出立された後も、明地様の背後を衝くよう督促が頻繁に届いておりますが、松姫様、いかがいたしましょうか?」
「佳奈、どう思われます?」
「うーん。そうねぇ。
猿飼の家としては勝ち馬に乗らないといけないと思うんだよね。
でも、芝田が本当に勝ち馬なのかな」
「と、申されますと?」
「私の偽物を用意したのは芝田じゃないと思うんだよね。
それをわざと芝田に掴ませたとなると、この話、まだ見えていない先がある」
「分かりました。
いずれにしましても、私どもは目の前の本物の浜路姫様に忠誠を誓わさせていただきます」
松姫はそう言い終えると、伝令に向かって命じた。
「我が家はいずれにも与しない。
よいな!」