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梓立つ

 猿飼の地より引き入れた川の水は透明で、魚たちと共に穏やかに流れていく。

 その流れ着く先は裂土羅隠を越えて、再び甲斐族の地。

 そこは猿飼の領地ではなく、丹葉にわの領地である。


「これで、申世界にも緑が広がるよね」


 降り注ぐ陽光のせいかも知れないが、舟の上で揺られている姫の顔が輝いて見えた。

 そんな輝く姫の姿をこの地の民も見ている。

 川岸には多くの民が集まり、俺達に手を振っている。


「浜路姫様ぁ。ありがとうございました」

「浜路姫様、お元気でぇ。また来てくださいね」


 俺がここに来た時には、すでに多くの民が姫に手懐けられていたが、姫が来る前はそうでなかったはずだ。

 この地の人々は豊かだった土地を追われ、何代もの間、この貧しい申世界で苦しい生活を強いられてきていた。猿族は甲斐族を恨む事で、この地での暮らしに耐えて来ていたはずなのだ。

 この人々はその恨みを忘れ去ったかのようじゃないか。


「ほら、あそこ」


 姫が指さした先には、魚を獲ろうとしている人々の姿があった。

 植物が育つには月日がかかるだろう。

 だが、魚は今そこにいるのだ。

 食料事情も大きく改善する。それは人々の体力を改善し、病気に対する抵抗力も上昇させるだろう。

 しかも、いつでも水が使える事で、汚れ切った体を清潔にすることも可能となり、人々の生活水準は甲斐族に近づいてくる。

 お互いの文化を尊重しながら、二つの民族がこの国を支える。そんな日も近い。


と言う甘い思いは、現実からは遠いのだと思い知らされる声がした。


「申世界からの水など一滴たりとも、我らの地に入れるな」

「申世界を封印しろ」


 川下に目を向けると、川を遡って来たと思しき丹葉の兵たちが裂土羅隠の麓辺りで騒いでいる。申世界の民たちは抗う術を持たず、遠巻きにして見守る以外できていない。


「犬江さん。

 ちょっと、あいつらの骨、二、三本折ってやって」

 最近、過激さを増して来た姫が狂犬に指示を出した。

「承知」


 犬江はそう言って、舟から飛び降りると川を駆けて、兵たちの下に駆け寄ると、勢いそのまま斬りかかった。


「浜路姫様の命により、お前たちに天誅を下す!」


 恐ろしい形相で襲い掛かる狂犬の言葉を、小者でしかない丹葉の兵たちが咀嚼できたかは定かではない。

 慌てて刀を抜いて構えたが、それはかえって狂犬を挑発しただけにしかならない。

 犬江の一振りを支える事すら叶わず、手にしていた刀を吹き飛ばされ、そのまま犬江の刀の餌食になり倒れ込んだ。

 数人を倒すと、もはや自分たちの叶う相手ではないと本能が感じ取り算を乱して、逃げ出し始めた。

 犬江は刀を構えたまま、去って行く丹葉の兵の後ろ姿をしばらく眺めていたが、物足りなさそうな表情で舟に戻って来た。


「しかし、姫様。

 丹葉の兵ともめ事を起こすと後々厄介では?」

「だからと言って、あんな無法を見逃せないでしょ」

「それはそうですが」

「それよりも、もうちょっとで裂土羅隠だよ」


 八房と伏姫神の力で削り取られた裂土羅隠の岩山。申世界とその外の世界をつなぐのは妙椿が造ったと言われる利馬主真雲天と、川の出入り口の三つ。これで空気の通り道ができたゆえか、風がかなりきつい。


「いやあ。風がきついねぇ」

「姫様。お気づきだと思いますが、ここを抜けたところに丹葉の兵たちと思しき多数の気が」


 俺は忠告した。


「そうね。

 弓とか来たら、緋村、お願い」

「犬江さんは突撃かけてくれるかな?」

「斬り捨ててよろしいでしょうか?」

「いやいや、だめでしょ」


 姫が狂犬を止めた。が、俺には言いたいことがあった。


「でも、姫様。先ほどは骨の二、三本でも折ってやれって言ってましたよね?」

「緋村って、ばかなの?

 あれは申世界に侵入してきてたんだよ。

 同じ国とは言え、丹葉兵が四公の領国に無断で武装して入って来たんだから、いわば内戦でしょ。

 殺されなかっただけ、ましってものよ。

 で、この先にいる兵たちは真っ当な職務についている訳で、彼らが私たちに攻撃をかけて来たからと言って、断罪にはできないじゃない」

「ですが、姫様。

 手傷を最小限に抑えながら、敵兵を排除するのはなかなか容易ではないかと」


 犬江が言った。それが本心なのか、それとも口実でそのまま敵兵を狩りたいのかは分からないが。


「佐助。何か手はないの?」

「このような状態で、忍びの私に何ができましょうや」

「本当に使えないわね」


 姫がそう言った時だった。消え入りそうな梓の声が聞こえて来た。


「あ、あ、あの。佳奈。

 わ、わ、私、周りの者たちを……」


 梓は俯いて体を震わせていて、言葉は途中で消えてしまったが、まだ何かを言おうとしている。

 そして、意を決したのか、顔を上げて姫をじっと見て、再び口を開き始めた。


「私、周りの……」

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